(交論)情報空間の「健全性」とは 宍戸常寿さん、楊井人文さん

交論

 インターネット上の偽・誤情報の悪影響が深刻化しているとして、政府は情報流通の「健全性」確保に向けた検討を進めている。一方で、規制強化には「表現の自由の侵害」「官製ファクトチェックになりかねない」との懸念の声もあがる。健全なデジタル空間とは。

 ■高度なウソ見抜く技術、国の出番 宍戸常寿さん(東京大学大学院教授)

 ――デジタル空間の現状をどう認識していますか。

 「表現の自由が確保される一方で、偽情報・誤情報があふれ、健全な情報の流通が阻害されています。原因の一つがインターネット上のアテンションエコノミー。情報の質ではなく、人々の興味に経済的な価値を置くということです。そのため、特定の情報に影響されやすい人に向けて効果的に情報が発信されています」

 「さらにそれを受け止めた人がSNSの中で拡散し、真偽にかかわらず、その情報を正しいと信じる人が増えている。『フィルターバブル』の問題です。自分の信念を変えることなく、強固にするメカニズムが生まれ、これまでの世論形成プロセスや、『思想の自由市場』の働きが変わってきています」

 ――具体的にはどんな問題が起きていますか。

 「災害のたび、デマの問題が指摘されてきました。元日の能登半島地震の直後にX(旧ツイッター)などのSNSに虚偽の投稿が相次ぎました。また、今回の総選挙では幸い、偽情報・誤情報の流布・拡散が問題化しませんでしたが、将来は、生成AIの発達で悪意のある偽情報により選挙が混乱する可能性がある。実際に起きた時に慌てふためかないよう、小康状態にあるいまから問題の所在を明らかにし、情報流通の健全性を議論しておく必要があります」

 ――偽情報・誤情報に対し、国家はどんな役割を果たすべきですか。

 「それに先立ち、誹謗(ひぼう)中傷などインターネット上の権利侵害に対応するため、情報流通プラットフォーム対処法ができました。大手SNS事業者に権利侵害情報の削除の迅速化を求めています。同時に、ただ削るだけではなく、表現の自由に配慮した運用ルールを作って下さい、責任者を置いて下さい、と求めています。過剰な削除も過小な削除も困るので運用の透明化を求めています」

 「同じことは、偽情報・誤情報対策にも通じます。プラットフォーム事業者は社会的権力として、表現活動をする個人との関係では、削除に慎重であることも求められる。他方、偽情報や誤情報が拡散して社会を混乱させるような装置を作り、利益を上げておきながら、そこで生じる問題について、自分たちは何も責任を負わないという理屈は通らない。国家はこのように、プラットフォーム事業者に対応を求める存在ですが、自由と規制の間で常に板挟み状態にあります」

 ――宍戸さんが座長を務めた総務省の「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」での偽情報・誤情報の対策をめぐる議論には、「官製ファクトチェック」という批判があります。

 「言葉が一人歩きしていると感じるときもありますが、批判は歓迎すべきです。官製ファクトチェックという言葉は、ファクトチェックを国が推進することを懸念しておられるのでしょう。しかし、検討会は、政府がファクトチェックを主導するということは考えませんでした。民間のファクトチェック団体への政府の助成に対する懸念については、それがファクトチェックの中身にかかわらない技術開発などに限定されているか、透明性や独立性が担保されているのか、外からの監視で対応すべきでないでしょうか」

 ――偽情報・誤情報の範囲や「健全性」という概念があいまいで、国家が介入する余地が広がるのでは、という懸念もあります。

 「偽情報・誤情報の定義がまだあいまいだという批判も、正面から受け止めるべきだと考えています。社会が対応すべき偽情報・誤情報の問題は何層かに分かれています。世の中の自由な情報の競争で解決してもらうもの。ジャーナリズムに基づくファクトチェックの普及により処理してもらうもの。そして政府による技術開発の支援も含めて高度化したファクトチェックへの対応です」

 「生成AIで作られたディープフェイクに既存のジャーナリズムやファクトチェック団体だけで対応するのは難しい。その部分について政府が技術的な支援をすることは、適切な監視のもとで許されてよいのではないでしょうか」

 「こうした具体的な議論をしながら、新たに発足した『デジタル空間における情報流通の諸課題への対処に関する検討会』で、どんな法整備がふさわしいか、深めていければと考えています」(聞き手 編集委員・豊秀一)

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 ししどじょうじ 1974年生まれ。総務省の「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」座長を務めた。情報法にも詳しく、著書に「憲法裁判権の動態」など。

 ■実害調べずに官民で抑制、危うい 楊井人文さん(弁護士)

 ――総務省の有識者検討会が、ネット上の偽・誤情報や誹謗(ひぼう)中傷について対策案をまとめました。プラットフォーム事業者や行政、新聞・テレビをはじめとする伝統メディアなどのステークホルダー(利害関係者)が協議会を設置し連携することを提案しました。

 「まず大きな問題は、偽・誤情報の具体的実害を丁寧に調査、把握することなく、あいまいな理念やリスク認識の下、削除を含む情報流通の『抑制』を促進しようとしている点です」

 「有識者検討会は、偽情報が社会的混乱や民主主義への悪影響をもたらすとした上で、『安心かつ安全で信頼できる情報流通空間』を実現し、『情報流通の健全性』確保を目指すという理念を示しました」

 「あまりに漠然とした、いかようにでも解釈できてしまう理念ではないでしょうか。これが法制度に採用されれば、権威主義国家が行っているような、公権力による情報への介入や排除が正当化されかねません」

 「更に問題なのは、公職者など官民のステークホルダーも偽・誤情報の発信主体となり得ることを、十分考慮していない点です」

 ――しかし、誤った事実や考えは反論や批判によって淘汰(とうた)されるという「表現の自由市場」論ではもはや不十分で、悪貨が良貨も駆逐してしまうほど事態が悪化しているというのが、有識者検討会の問題意識の根底にあるようです。

 「何が良貨か悪貨なのかは、情報の受け手が判断することです。偽・誤情報といっても様々な種類があります。なりすまし・詐欺広告といった『権利侵害など実害を伴う違法な情報』と『違法性のない偽・誤情報』は明確に区分けし、一般論ではなく実態を踏まえた丁寧な議論が必要です」

 「有識者検討会では、能登半島地震での偽情報の拡散が問題視されました。SNSを契機とした虚偽通報で救助が妨害された事例があったか、総務省消防庁に情報公開請求しましたが、そうした事例を確認した文書はありませんでした」

 ――欧州連合(EU)では、かなり踏み込んだプラットフォーム事業者への規制が進んでいます。

 「EUがプラットフォーム事業者に偽情報の排除を義務づけ、違反時に巨額の制裁金を科す法律ができたかのような誤解がありますが、EUのデジタルサービス法は違法でない偽情報の直接規制はしていません」

 「EUでは偽情報リスクを軽減するため、事業者に説明責任行動規範へのコミットメントを求める『共同規制』方式を採用しています。また、主体は国際機関であり、特定の国家による恣意(しい)性が入りにくいという点も留意すべきです」

 ――総務省が昨年実施した意識調査によれば、「自由な情報公開やアクセスを制限しても、虚偽情報を制限すべきだ」と答えた人が、「情報公開やアクセスの自由は保護されるべきだ」という人を上回りました。

 「政府機関が情報の真偽を判断し情報を統制するのは一番の悪手です。一方で、EUのように、生成AIによるコンテンツの明記を義務づける規制なら、表現内容に踏み込まないので前向きに検討すべきです」

 ――対策案では、政府や自治体の責務として「ファクトチェック(FC)の推進」が盛り込まれました。

 「FCはジャーナリズムの一部だと、FC先進国では考えられています。各国ではメディアや大学、市民団体がその担い手。政府や政治家が発信する言説の真偽も検証する役割がある以上、権力からの独立性は極めて重要な要素です。政府が特定のFC団体を支援すべきでもありません」

 ――最終的に取りまとめられた対策案では、FC組織の独立性が盛り込まれましたが、なお政府の動きを警戒していますね。

 「FC団体や伝統メディアを含めて官民一体で偽情報対策を推進するという発想自体が危うい。情報空間の『健全性』の名の下で今後、民間から、政府機関と目立たない形で連携しつつ第三者を装って展開される『官製FC』が出てくる恐れもあります」

 ――兵庫県知事選をめぐっても、SNSの影響がとりざたされています。

 「『フェイクニュース蔓延(まんえん)のせい』『SNSの悪影響だ』といった短絡的な総括が飛び交い始めています。今後、選挙中のデマを取り締まるべきだという声が高まり、政府の『対策』強化に利用されるおそれもあります。選挙結果と偽・誤情報を安直に結びつける言説には注意が必要です」(聞き手・石川智也)

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 やないひとふみ 産経新聞記者を経て2008年に弁護士登録。17年にファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)を設立し、事務局長兼理事を約6年務めた。共著に「ファクトチェックとは何か」。

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