魂の常態は泣きたがっている。
西行の歌に「山深くさこそ心のかよふともすまで哀れはしらんものかは」というものがある。どれだけ心を通わせても、住まなければ(その人と同じ心持ちにならなければ)、澄まなければ(情に溺れないようにしなければ)、人の心のゆらめきはわからない。共感と共に一切執着しない世界。熱い涙をこぼす世界と、涙など一滴もこぼさない世界の、どちらも大切であることを詠っている。
西行に師事した明恵の歌に「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」というものがある。歌というより真言に近く、あっあっあっという人間の原始感情をそのままぶつけたものになる。西行は「歌は真言なり」と言った。真言とは「呼びかけ」である。人間から、永遠なるものへの切なる呼びかけを真言と言った。明恵は、十八の時にぴたりと作歌をやめた。その年に西行が死んだ。歌の良し悪しを見極める師のいない今、これ以上歌の道に入る気をなくした。
一休の歌に「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」というものがある。有漏路とは煩悩のある世界(この世)で、無漏路とは煩悩のない世界(あの世)になる。村田珠光という、侘び茶の大家がいる。不良だった珠光は、更に不良だった一休に出会い変わった。不良は、人間の醜い面を隠し、きれいごとで人生を終えることができない。不良は、愛の真贋を本能的に見抜く。それは芸術の道にも通じる。一休は、珠光というならず者を本物にした。真面目一辺倒の人間に、こういうことはできない。真面目さは、自分一人を守ることに汲々とするエゴイストを生む。破格と破格の出会いが、茶の初祖を生んだ。一休は秘蔵の書を珠光に託した。珠光はこれを床に掛け、茶室に禅僧の軸物を掛ける慣わしとなった。
体調不良で寝込んでいる。こたつが壊れたため、家にある服を全部着ている。見舞いに来た人から「たくさん汗をかいて着替えるといいよ」と言われたが、着替えがない。人生相談の電話が来た。良い学校に入り良い企業に就職したが、仕事が辛くて休んでいる。このまま辞めたら自分はダメ人間になるという悩みを聞いた。レールを外れたらダメになるという考え方が、ひどく遠くのものに思えるくらい、私は逸れ続けてきた。生きている人の悩みは遠く、死んでいる人の悩みは近い。生が死んでいるのか、死が生きているのか。生者は死に死にと死に、死者は生き生きと生きている。
良寛の歌に「形見とて何か残さむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉」というものがある。人生を捨てたものたちが、捨てても捨てても捨てきれないもの。それが涙だと思う。熱海の家に来た人たちが、自分でも意図をしていないところで、涙を流す。情緒や悲しみとは違う、あくびのような涙。体からあふれ出す、真言のような涙。あくびの涙に、情緒や悲しみを覚えることはない。悲しくないからこそ、哀しい。魂が、あくびをしたような涙。魂の常態は、泣きたがっているのだと思う。
こんばんは。
お加減はいかがですか。
白神山地ツアーで体調を崩すきっかけをつくっちゃったかなと、心がチクッとしています。
でも、ここでごめんなさいと言ったら、たぶん、そういうことじゃないと言われそうだから言わないことにしますね。
お体が早く回復しますように。
あれから◯◯◯へ向かいました。
標高1100mの地に身を置くと、しきりに圭吾さんの顏が浮かんでくるのです。
何か忘れ物をしたような感覚に襲われ、
身体の中から泥の泡のようなものがブクブクと噴き出してきました。
大きな間違いをしでかしたような気持ち、押し寄せる孤独感。うわっ。
そうだった....
わたしは自分の話を聴いてくれる人をずっと求めていたのだった。
求めていながら、いつも相手の話を聴く側で、仕事柄それが自分の役割としてデフォルトになっていた。
圭吾さんは、きっとわたしの他愛のない話もヘビーな話でもなんでも話せる相手だったのに、
わたしったら何してたんだろう。
あんなに一緒に過ごせる時間があったのに、バカじゃないの!?
身についてしまった役割を脱ぎ捨てて、ただ懐に入っていけばよかった。それが許される人だった。
そのことに気が付いて、自己嫌悪。
そこから土砂崩れ。
どこにも属さず、流儀も持たず、孤高を気に入っていたはずなのに、
ベールの内側には強がり、やせ我慢、さびしんぼうのわたしがいた。
素直に認めてサレンダー。
これからちょっと(更に?)かわいい女になれるかも。
圭吾さん
あなたのおかげです。
ありがとう!
おおまかな予定
11月23日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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