これぞ僕らの音楽だ!
そんな個性的で、変だったアルバム『靖幸』ですが、同じく1989年夏に発売された他のアルバムとつなげてみると、私たち世代にとっての意味のようなものが見えてきます。
7月発売の『靖幸』を真ん中に、6月発売の(奥田民生がいた)ユニコーンの『服部』と、8月発売の(小沢健二と小山田圭吾がいた)フリッパーズ・ギター『three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった』――。
この3枚のアルバムを聴いて、当時の私が感じたのは、やっと「同クラスタ音楽」に巡り会えたという喜びでした。そう、「これまで聴いたことのない音楽」の正体は「同じ世代、同じ共通感覚を持った=同じクラスタによる音楽」だったのです。
一世代上が熱狂する完熟の音楽=矢沢永吉、桑田佳祐、佐野元春ではなく、一世代下が熱狂する半熟・未熟の音楽=「バンドブーム」でもない音楽。
音楽的クオリティはめちゃくちゃ高いのだけれど、変にマニアックで、全然マッチョじゃなくって、あと、キメキメにかっこつけるのではなく、どこか笑えてくる要素が組み込まれた音楽。
さらにいえば、「俺は絶対成りあがるぞ、ビッグになるぞ!」なんて、死んでも言わなそうな側、80年代前半の校内暴力ブームに加担するのではなく、多分じっと息を潜めていた側による音楽ーー。
「やっと同クラスタ音楽に巡り会えた!」「これぞ僕らの音楽だ!」と思ったのでした。
ちなみに、上に書いた「どこか笑えてくる要素」だけをギリギリまで拡大したのが、こちらも同じく35年前の夏にリリースされた森高千里『非実力派宣言』だったのですが。