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ozepon
モラトリアムの花束
ぼくはすべてのことに無責任でいたい。
まあ、何かの責任を取りたい人間なんてそう多くなくて、ぼくのこの考え方も別におかしなことではないんだろうけど。
一学期が終わった。夏休みが来て、受験がある。
子供を卒業するためのフェーズをどんどん重ねて、ぼくらは気づけば半年もこの2024年で生きていたようだ。
成人が18歳に引き下げられ、ぼくの眼前にも“権利と責任”が見えてきた。
それはパンドラの箱で、魑魅魍魎の底に自由が眠っている。
ぼくらはそれを開けなければならない。
ぼくらはそれを受け入れなければならない。
ぼくらは代償なしに自由を手に入れることかできないと知らなければならない。
そして、ぼくらは子供を続けることを諦める。 大人のぼくらが、やってくる。
ああ、だれか神様のような何かが、
「汝よ、永遠に子供たれ」と囁いてくれたら
ぼくはそれ以上に嬉しいことはない。
ぼくは一生“子供”に縛り付けられる代わりに、何も考えなくて済むようになるのだから。
でもそんなことは叶わない。
ぼくは今日もまた一歩、パンドラの箱への道を辿るのだった。



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