【声明】神道LGBTQ+連絡会の「こぼね」氏による「無断使用/改変」のご指摘について
過日、私の新刊『言霊の幸う国で』に出てくる祝詞について、「神道LGBTQ+連絡会」の「こぼね」氏という方から、「無断使用/改変された」というご指摘が、SNSでありました。
一般的に「無断使用」というのは「盗用/盗作」と同義で、著作権を侵害する、決して許されない行為です。「こぼね」氏の指摘は、一人の作家のキャリアを葬り去りかねないほど、極めて重いものです。
また、『言霊の幸う国で』という作品は、すでに筑摩書房という由緒ある出版社から公刊され、色々な方から、書評、読書会、刊行記念イベントなど、様々な形で応援されています。「無断使用」という指摘は私個人だけでなく、版元である筑摩書房、そして本書を応援してくださった多くの方々にも影響を及ぼすものです。
したがって、これらの指摘には応答する必要があると判断し、本声明を執筆しました。
結論から言うと、「無断使用」はまったくもって事実ではないし、「無断改変」という指摘も当たりません。「こぼね」氏の指摘は、根拠を欠いた単なる言いがかりに過ぎません。
以下の声明は『言霊の幸う国で』という作品の核心に触れており、ネタバレの可能性がありますので、未読の方はお気をつけください。
前提事実
私の新刊『言霊の幸う国で』には祝詞が登場します。
この祝詞は、私の依頼を受けて、「こぼね」氏が所属している「神道LGBTQ+連絡会」のメンバーが作成したものです。
依頼にあたって、私は「こぼね」氏のみと、TwitterのDMのみでやりとりをしました。「こぼね」氏を含め、「連絡会」のメンバーの素性や個人情報を、私は一切把握していません。
『言霊の幸う国で』刊行後、2024年7月16日に、「連絡会」を代表して、「こぼね」氏から筑摩書房あてに、書籍の内容や著作権関連についてのお問い合わせがありました。
問い合わせに対応すべく、私は筑摩書房、そして「連絡会」と、三者で話し合いをすることになりました。ところが、話し合いの最中、2024年9月1日に、「こぼね」氏がいきなり、いわば「晒す」ような形で、「連絡会が作成した祝詞を無許可で使用された」旨の、事実と異なる内容のツイートをTwitterで連投しました。協議の最中において、「こぼね」氏の「独断」によって起きた出来事であるため、私も筑摩書房も困惑しています。本来は話し合いで妥協点を模索できたはずなのに、「こぼね」氏の行動によって難しくなり、本声明を出さざるを得ない状況となりました。
「無断使用」について
「こぼね」氏は、「連絡会名義で作成した祝詞を無断/無許可で使用された」と主張していますが、これはまったくもって事実ではありません。
事実は以下の通りです。
『言霊の幸う国で』に出てくる祝詞は、私の依頼を受けて、「こぼね」氏が所属する「神道LGBTQ+連絡会」のメンバーが作成したものです。
祝詞作成を依頼するにあたり、私は謝礼を支払う意志があると明示し、金額も提示しました。
それを受けて、「こぼね」氏は「謝礼を辞退する」と無償の協力を申し出ました。
祝詞作成にあたり、私は「こぼね」氏とかなり綿密な打ち合わせをしました。『言霊の幸う国で』の基本的な設定や、主人公の名前や経歴など、祝詞作成に必要な情報も共有しました。「こぼね」氏とのDMの打ち合わせは数万字に及びました。
また、祝詞作成に協力してくれたからと、私は「こぼね」氏や「連絡会」からのご要望を、最大限作品に取り入れました。「連絡会」の要望を受けて追加した登場人物やシーンもあります。
祝詞の完成・査収後、私は「こぼね」氏に、「書籍化の際に『神道LGBTQ+連絡会』をクレジットする」と承諾しました。「こぼね」氏もこれを了承しました。
実際、『言霊の幸う国で』の巻末には当該クレジットをつけました。
以上の記述はすべて事実であり、DMのスクリーンショットもあります(DMは個人間のやり取りなのでここでは公開しませんが、今後は必要があれば公開する用意もあります)。
依頼、謝礼支払の申し出と辞退、綿密な打ち合わせ、そしてクレジット――そうした経緯からも分かるように、『言霊の幸う国で』の祝詞は正当な手続きを踏まえて使用許諾を頂いたものであり、「無許可/無断使用」という指摘は、まったくもって事実無根の言いがかりです。なぜこのような真っ赤な嘘が吐けるのか、はなはだ理解に苦しみます。
この言いがかりに抗議し、撤回を求めます。
「無断改変」について
「こぼね」氏は、「祝詞が無断改変された」という主張もしています。この主張は、あたかも自分たちの意思に反して、祝詞の内容を大きく変更されたかのような印象を与えますが、事実とは異なります。
「連絡会」から査収した祝詞の原稿は、Wordファイルベタ打ちで、句読点がなく、改行もばらばらの状態のものでした。書籍や文芸作品にそのままでは使えない状態でした。
そこで、私は書籍として、文芸作品として読めるように、祝詞の専門書を参考にして、①改行を整える、②句読点を施す、③ルビをつける、という3点の編集作業をしました。それだけです。内容に関しては、一字一句変更していません。
これが、「連絡会」から査収した祝詞の原稿と、私が形を整えた後の状態です。読み比べると分かるように、内容は一字一句変わっていません。
以上から分かるように、「無断改変」というのもやはり印象操作のための、事実を誇張した言いがかりに過ぎません。
これに対して、「改行や句読点だって改変じゃないか!」というご指摘もあるかもしれませんが、確かに事前に承諾を得たほうがよかったと、今は反省しています。
当時の心境としては、すでに素晴らしい祝詞を作成してくださったのだから、句読点や改行くらい、先方の手を煩わせず、自分でやっておこうというものです。
それに、「連絡会」のメンバーは神職であり宗教の専門家ですが、文筆の専門家は私です。読み物として読みやすいようにフォーマットを整えるのは私の仕事だと、考えた次第です。だから専門書を参考に、形を整えました。
今となっては一報しておくべきだったと反省していますが、だからといって、「無断改変」というのは事実と大きく乖離している言いがかりだと言わざるを得ません。
本来、改行と句読点の問題は話し合いで解決を図れたはずですが、「こぼね」氏がいきなりSNSで晒し上げたことによって、話し合いは極めて困難なものとなりました。この状況については、残念に思えてなりません。
以上からも分かるように、「無断使用」と「無断改変」は、事実無根か、事実を誇張した言いがかりにほかなりません。本書の関わった方々、ならびに読者の方々には、何とぞご理解いただきたく、宜しくお願い申し上げます。
以 上
李 琴峰
2024年9月
9月15日追記
以下は、2024年9月14日付の「神道LGBTQ+連絡会による声明」(以下、「声明」)を受けての追記です。
「声明」は、性質の全く異なる様々な問題をごった混ぜにすることで論点をぼかしているという意味で、極めて不誠実なものだと感じております。
「声明」は「客観的な事実の記載を心がけて」いると書いていますが、これまでのやり取りとは相も変わらず、「事実の歪曲」や「都合のいい事実の切り貼り」、「時系列の逆転」などの問題が多々見受けられ、鵜呑みにすべきではありません。
そもそも、本件はすでに「神道LGBTQ+連絡会(「こぼね」氏が窓口)」、「筑摩書房」と私との三者間で話し合いをしていました。にもかかわらず、私と筑摩書房が「こぼね」氏からの返信を待っている状態で(俗な言い方をすると、「ボールが「こぼね」氏側にある」という状態で)、「こぼね」氏が何の予告もなく、いきなりSNSで晒し上げました。晒し行為をすることで事態をこじれさせたのは、明らかに「こぼね」氏のほうです。
にもかかわらず「声明」では、「神道LGBTQ+連絡会」は「こぼね」氏の晒し行為について、全く関係のない「かんぴんたん」氏からの誹謗中傷と嫌がらせの件を引き合いに出して言い訳をし、正当化しています。これもやはり非常に不誠実で、卑劣なやり方です。
「こぼね」氏による先日のSNS投稿にしろ、今回の「声明」にしろ、いくつかの点について、第三者には見えないDMやメールのやり取りの内容をひどく曲解した形で言及し、私を公に糾弾しています。このような状況において、私が先方の糾弾が事実ではないことを公に証明するためには、現実的にはDMやメールのやり取りを公表するしか方法はありません。しかし、私がDMやメールを公表する意向を示すと、「こぼね」氏はまた「それはアウティングだ」という、全く別の方向から糾弾してきます。「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏がやっていることは、自分から刃を向けておきながら、相手に盾を持つことを禁じるようなものです。相手に非があるのだとひたすら責めまくる一方で、弁解を許さないというそのやり口は極めて陰湿であり、卑劣であり、また、典型的な心理的虐待の手口だと感じています。
実際には、DMやメールのやり取りを全部公開すれば、通常の読者なら、「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏の対応と言い分には大いに問題があると認識できるはずです。
(ただ、DMやメールを公開する用意があると言いながら、私は公開をあまり望んでいません。とりわけDMのやり取りの量は極めて膨大で、大抵の人は追い切れないだろうし、また、DMはいわば作品制作の舞台裏なので、作家としてそれを公表するのは不本意です。私が公表していないのをいいことに、「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏は曲解に曲解を重ね、的外れな糾弾を繰り返してきました。これもやはり卑怯としか思いません。)
また、「声明」には真っ赤な嘘も含まれています。例えば「李氏は窓口となったメンバー(=こぼね氏)以外にもDMを通して数人のメンバーと交流している」とありますが、私が直接やり取りをしたのは最初から最後まで、「こぼね」氏の一人だけです。ほかのメンバーにどんな人がいるのかは全く把握していません。その「こぼね」氏でさえ、その本名も年齢も所在地も勤務地も、私は一切把握していません。「こぼね」氏の名字が「楽丸」であるらしいということですら、私はつい最近まで知りませんでした。なぜこのような嘘が吐けるのか、はなはだ困惑しています。
「声明」で言及されている「宗教差別」について、私は自分なりの立場と見解がありますが、ここはそれを発表する場ではありません。果たして『言霊の幸う国で』という作品に「宗教差別」的な要素が含まれるかどうかは、読者がそれぞれ読んで判断すればいいと考えます。
しかし、これだけは明言しておきます。私は「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏による「宗教差別論」に全面的には賛同しません。賛同した覚えはないし、賛同すると約束したこともないし、これからも賛同しません。宗教関係者(神職、聖職者、信者など)やその政治的勢力による、歴史から現在まで続く数千年に及ぶ性的少数者に対する迫害と差別を、宗教と一切に関連づけずに批判することは不可能です。とりわけ聖典や教義そのものに差別が刻み込まれたような宗教ならばなおさらです。宗教に関連づけた対抗言説を「宗教差別」だと糾弾する論理は、対抗言説を封じ込め、差別を助長する方向にしか働きません。
(全面的には賛同しないのになぜ協力を仰いだの? という疑問はあるかもしれません。しかし、私が「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏に協力を仰いだのは2023年2月~4月のことでした。一方、「こぼね」氏がまとまった「宗教差別論」の発信をし始めたのは、2023年11月以降のことでした。つまり協力を仰いだ時点で、私は「こぼね」氏の論調や主張を知りえませんでした。また、私はSNSから距離を取っていたため、「こぼね」氏による前述の「宗教差別論」を知ったのは、『言霊の幸う国で』刊行後の、ごく最近のことでした。もし私が「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏の論調や主張を知っていたら、「こぼね」氏に協力を仰がなかったでしょう。今となっては、私は「こぼね」氏に協力を仰いだことをとても後悔しています。)
最後に、私は本件について、自分には一切非がないと主張したことは一度もありません。いくつかの細かい点において、確かに手続き的な瑕疵がありました。前述したように、私には反省すべき点があったし、謝罪する必要があると判断した点については実際に謝罪もしたし、話し合いを通して妥協点を模索する誠意も示してきました(これはDMやメールの内容を読むとよく分かります)。しかし、「神道LGBTQ+連絡会」と「こぼね」氏がやっていることは、細かい手続き的な瑕疵を突いて、非常識なまでに攻撃的・威圧的な物言いで激しく責め立て、事実と異なる主張をし、関係のない論点を後出しじゃんけんのように後から次々と放り込み(これもDMやメールの内容を読むとよく分かります)、あげくの果てに話し合いの最中にSNSで晒し上げたことです。自分たちの攻撃性や加害性、晒し行為の暴力性をことごとく棚に上げて、あたかも私が一方的に悪いかのように糾弾していますが、何度でも言います。本件で事態をこじれさせたのは紛れもなく「こぼね」氏のほうです。
本件は現在まだ協議中(=私と筑摩書房が「こぼね」氏からの返信を待っている状態)なので、今後はしかるべき方法で協議と対応を進めていくこととします。これまでは必要に迫られてこの記事を執筆しましたが、この追記を最後とします。事態がこれ以上こじれないように、私は今後、ネットで本件について応答しません。何とぞご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。
以 上
李 琴峰
2024年9月15日
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