今日もバズツイ界隈はあいもかわらず馬鹿でおろかでくだらない時間の無駄な考察と論理構造もない推論しかなく互いに結局は憎み合っているそんな馬鹿たちに
きょうは『基本的な』話をしよう。
リスペクトのはなしだ。
それがなければたとえばスポーツはなりたたずボクサーは単にアサシンとなり、nbaは試合後常に乱闘するようになるだろう、同様にビジネスにおいてもリスペクトは『信用・信頼』(お父さんお母さんが終身雇用時代の日本の方なら耳酸っぱく聞かされたであろう言葉だ)の前提になっている
そんなリスペクトをあなたは欠いている。それも決定的に。
端的に言うけどリスペクトは性別年齢階級部落国籍などの『属性』によらず、つねに、あなた『その人(つまり名前だね)』(基体)に払われるものであり、自分自身にも払うべきものである。
『ルッキズム』(果たしてこれが哲学的用語なのかなんなのかわたしはさっぱりわからない)に陥っている者はまず自身にリスペクトを注いでおらず、それゆえに社会適応困難となり破滅しそうになっている。
リスペクトはテクニークでもある。隣人もちろんじぶんにもにリスペクトをはらうというのはつまり自身の教養を指し示すものになるおおいに地球を観察、古典を学ぶべきである。
リスペクトの真髄は一般に孔子の論語の精神、ユダヤ教の精神
『自分にしてほしくないことは人にもするな』で表現される
そしてリスペクトの奥義はイエスが示しているが黄金律である
『自分がしてもらいたいことをりんじんにもせよ』である
日本は意味のない左翼右翼論争内紛、男女論争内紛で無意味に減退幻滅減退憎悪老化し国力は著しく衰えた、リスペクトなどそこにあるだろうか、ない、ゆえに、言論など初めから生まれるわけなく魂の糧となる収穫はついぞなかった。
そして大きな流れにきみたちは運ばれて名前は籾殻の如く飛んでいき思い出す者は誰もいなくなる
ソロモンはいうがこころのなかに隣人は住んでいる
いまここからできる。こころからじぶんにそして心に住まう隣人へリスペクトをはらい両親へリスペクトをはらいあなたの出会うすべての運命の隣人たちにリスペクトを注ぐといい
あなたはうまくいく。
そうねがってやまない
らぶゆー
山田洲作