阪急の本拠跡地を記者が「見た」西宮編 “勇者”の痕跡、巨大ショッピングモールの片隅で発見!

1989年当時の阪急西宮球場
1989年当時の阪急西宮球場

 2022年のプロ野球が開幕し、新型コロナウイルスによる制限がなくなった球場には多くのファンが詰めかけた。関西にはかつて、パ・リーグ3球団が使用した4つの球場があり、ファンでにぎわった。近鉄バファローズの藤井寺球場(大阪府藤井寺市)と日生球場(大阪市中央区)、南海ホークスの大阪球場(同浪速区)、阪急ブレーブスの阪急西宮スタジアム(兵庫県西宮市)。昭和から平成を経て令和となって、個性豊かな3球団が姿を変えた今、球場跡地も商業施設などに様変わりした。それぞれの「いま」を見た。(取材・構成=田中昌宏、宮崎尚行)

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 西宮球場は少年時代の「秘密基地」だった。記者は生まれも育ちも現住所も兵庫・西宮市。プロ野球は阪急(と巨人)を応援していた。「阪急ブレーブスこども会」は年会費2000円前後で、内外野自由席が1年間見放題。格安設定は「大人になったらお金を払って見に来てね」という球団の“先行投資”だったようだ。塾や部活をサボって観戦することしばしばで、試合に飽きれば球場横に収納されていた西宮競輪場としてのバンクで隠れんぼしたものだ。

往時の阪急西宮スタジアム周辺(阪急電鉄提供)
往時の阪急西宮スタジアム周辺(阪急電鉄提供)

 ♪YES, YOU WIN 阪急~、と鼻歌交じりに選手を出待ちするのも楽しかった。現在はスポーツ報知評論家の福本豊外野手に「どうしたら足が速くなるんですか?」と聞いたら「そんなもん、足なんか遅うても盗塁できる」と答えてもらったことがある。いや、鈍足の僕でも少年野球なら二盗は“タダ”。とにかくシンプルに足が速くなりたかったんですけど…。

2008年開業当時の阪急西宮ガーデンス周辺(阪急電鉄提供)
2008年開業当時の阪急西宮ガーデンス周辺(阪急電鉄提供)

 阪急ブレーブスは1988年限りで球団譲渡。オリックス・ブレーブスも90年限りで神戸に移転し、ブルーウェーブと変わった。そのブレーブス最後の年に同球場で近鉄戦を観戦中、スポーツ各紙の取材を受けたのも良い思い出だ。近鉄のルーキー・野茂英雄投手が三振を奪うたびに「Kボード」をスタンドの壁に貼りつけていた。その数14枚。すると、日本ではまだなかった斬新な応援スタイルだということで、番記者が集まってきたのだ。スポニチには一面に写真、名前、コメントつきで掲載されたが、取材に来なかったところが1紙だけあった。報知新聞とかいうところです(苦笑)。当時の近鉄担当・Iさん、これ読んでますか?

阪急西宮ガーデンス内「阪急西宮ギャラリー」の阪急ブレーブスに関する展示物。2008年の開業からグッズの入れ替えは行っていない
阪急西宮ガーデンス内「阪急西宮ギャラリー」の阪急ブレーブスに関する展示物。2008年の開業からグッズの入れ替えは行っていない

 西宮球場は翌91年に「西宮スタジアム」と名称変更され、2002年大みそかで営業終了した。その後、08年11月に西日本最大級のショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」として生まれ変わった。ブレーブスも西宮球場も「大人になったら―」の先行投資を回収することなく消滅しちゃった…。

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