原発事故 正しく伝えたい 県内から福島へ
2021年3月11日 05時00分 (3月11日 10時10分更新)
徳永医師 治療で奮闘
偏見、差別防止へ知識教える
2011(平成23)年3月の東京電力福島第一原発事故で、現場近くで自衛官や作業員らの治療に当たった医師がいる。当時、福井大病院の救急医だった徳永日呂伸(ひろのぶ)さん(49)。原発が集中する福井県内で原子力災害時の救急医療を学んでいたことから、派遣された。今も年に10回ほど当番医として福島第一原発に通う。敦賀市立看護大教授でもあり、学生らに事故の教訓や放射線の正しい知識を教えている。 (高野正憲)
三月十一日の東日本大震災発生を受け、救急医として翌十二日午前、仙台市の病院に応援に入った。やがて、原発が危険な状態に陥ったため、福島市へ移った。
十四日、3号機が水素爆発し、冷却作業に加わっていた自衛官が重傷を負った。防護服が破れて出血を伴う傷ができたため、内部被ばくの可能性があった。原発近くで自衛官を引き取り、初期手当てをして千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)にヘリコプターで搬送。飛行中、自衛官から「僕はこのまま死ぬんですか」と不安げに問われたという。自衛官は回復し、内部被ばくの影響もなかった。
その後の約二年は、半分ほど福島にいる日々。原発構内の仮設救急医療室などで、作業員らのけがや病気を診た。夏は、防護服の暑さもあって熱中症になった作業員をよく治療した。
原発に招集された医療従事者の中にも、知識の乏しさから放射線を必要以上に怖がる人もいた。「うつ状態になったり、声を荒らげたり。それでも使命だからと懸命に活動する、思い詰めた顔が印象的でした」
原発作業員が住民から石を投げられたり、県外避難した子どもがいじめられたりした話を聞いた。「放射線への理解が正しくないと偏見や差別につながる」と痛感した。
現在は福島に通いつつ、福井大と市立看護大で医師や看護学生らを教える。県内外の自治体や病院、学校などで百回ほど講演してきたが、最近、講演依頼がかなり減ったことに、事故の風化を感じるという。
講演で強調してきたのは「被ばく」と「汚染」の違い。被ばくは放射線が体を通り抜けるようなことで、他人に影響は与えない。汚染は放射性物質が衣服や皮膚に付着することで、脱衣や洗浄で取り除ける。受講者から「知っていたら福島の人にひどいことはしなかった」と聞かされ、意義を感じたという。
「今も原子力は広く社会に存在する。扱いようによっては危険もある。正しい知識を伝え続けたい」と思いを新たにしている。
とくなが・ひろのぶ 岐阜市出身。1997(平成9)年に筑波大医学専門学群を卒業。岐阜、愛知の病院を経て、2002年に福井大病院救急部に赴任した。20年4月から敦賀市立看護大教授。
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