私の主たる差料は大刀は安藝
國大山住仁宗重作、天正八年
作(1580)。
小刀は家伝周防國二王清元、
応仁元年作(1467)。
別口の大小一腰は大刀が天文
年間の備前長船則光、小刀が
家伝無銘大脇差。
保存管理保管刀剣は古三原
正家(大名登録)。
懐刀は家伝備中國水田住山城
大掾源國重在銘。
他にも日本刀を数多く所蔵し
ているが、江戸期からの家伝
の物は存外少ない。
審査申請したら重要刀剣間違
いない古三原が一口あるが、
重刀鑑定書発行までの手続き
で諸々総額80万円程かかるの
で、鑑定書の「紙」は取得し
ていない。
えてして、そうした無冠の中
にも飛び抜けた歴史上重要か
つ健全無比の名刀が存在した
りする。
家伝の二王の脇差は、たまた
ま幕末に新選組の近藤勇氏の
斬首刀が近藤氏の脇差二王で
あったという実話とも偶然に
合致し、私は我が家の脇差を
愛でている。
私は縁あって、近藤氏を弔っ
た寺に請われて在京時代に伺
い、近藤氏の遺品の短刀を毎
年お手入れしていたからだ。
その近藤氏の短刀は二王では
なく備前物だが、近藤氏の身
体に最後に触れた日本刀は周
防國の二王という逸話がある。
これも何かの奇縁である。
二王は戦国時代の斬鉄剣だっ
た。
切れ味において比類なきと賞
賛されていた刀剣だ。
私は本分は刀工ではないが、
現代斬鉄剣二代目小林康宏の
私的影弟子でもある。
小林康宏友の会日本刀探究苑
游雲会を主宰している。
現代斬鉄剣康宏派の中枢。
國大山住仁宗重作、天正八年
作(1580)。
小刀は家伝周防國二王清元、
応仁元年作(1467)。
別口の大小一腰は大刀が天文
年間の備前長船則光、小刀が
家伝無銘大脇差。
保存管理保管刀剣は古三原
正家(大名登録)。
懐刀は家伝備中國水田住山城
大掾源國重在銘。
他にも日本刀を数多く所蔵し
ているが、江戸期からの家伝
の物は存外少ない。
審査申請したら重要刀剣間違
いない古三原が一口あるが、
重刀鑑定書発行までの手続き
で諸々総額80万円程かかるの
で、鑑定書の「紙」は取得し
ていない。
えてして、そうした無冠の中
にも飛び抜けた歴史上重要か
つ健全無比の名刀が存在した
りする。
家伝の二王の脇差は、たまた
ま幕末に新選組の近藤勇氏の
斬首刀が近藤氏の脇差二王で
あったという実話とも偶然に
合致し、私は我が家の脇差を
愛でている。
私は縁あって、近藤氏を弔っ
た寺に請われて在京時代に伺
い、近藤氏の遺品の短刀を毎
年お手入れしていたからだ。
その近藤氏の短刀は二王では
なく備前物だが、近藤氏の身
体に最後に触れた日本刀は周
防國の二王という逸話がある。
これも何かの奇縁である。
二王は戦国時代の斬鉄剣だっ
た。
切れ味において比類なきと賞
賛されていた刀剣だ。
私は本分は刀工ではないが、
現代斬鉄剣二代目小林康宏の
私的影弟子でもある。
小林康宏友の会日本刀探究苑
游雲会を主宰している。
現代斬鉄剣康宏派の中枢。
安藝國大山住仁宗重について。
周防國二王について。
古三原(鎌倉~南北朝時代)に
ついて。