【ひじかず】お試し恋人期間は終了間近です。延長しますか?しませんか?【期間限定】
11/16-17ピクリエ内にて開催されます「聖い幸福へのみちしるべ」にてスペースを頂けました。
11/30までの期間限定公開になります。
※福城聖×遠山和葉(ひじかず)です
※平和交際後に破局描写あり
※amcの民なので、ほんのりそういう事を匂わせてる
※関西弁は自己流
※期間が過ぎれば非公開になりますが、シレッとあーる18版になって生まれ変わったら笑い飛ばしてやって下さい
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本日はお日柄も良く、空もからりと晴れて過ごし易い。
体感は三十分実際は一時間弱程度の距離で電車を経由し、あるアウトレットパークへ二人は出掛けていた。
かつては世界規模の祭典が行われた地。
跡地として今でも多くの人が訪れ、親しまれている。
そして、その周辺に併設される形で水族館、映画館、観覧車、果ては巨大アウトレットパーク……あれやこれやと詰め込み、弛まぬ経営努力を積み重ね続け、連日多くの人で賑わっていた。
「今日も人多いなぁ」
自分もその内の一人である和葉は、犇めき合う人達を見て何とも言えない顔を浮かべる。
一人きりで来ていて態々そんな事を言う趣味は無い。
よって、彼女には連れがいる。
連れの男に寄り添うように、アウトレットパークへ向かっていた。
男はうっそり微笑んで、和葉を見下ろす。
今年でもう19歳。彼が知る17の時より、随分美しくなったように見える。
これからも益々美しくなるのだろう。それが彼女への恋心故だとしても、別段構いやしない。
さて、遠山和葉をよく知る人間ならば。
彼女の事を語るには、幼い頃から寄り添っていた幼馴染、服部平次の存在が先ず欠かせない。
何やかんやと紆余曲折を経た後。
高校生探偵として名を馳せる服部平次が、ついに遠山和葉へ告白を果たし晴れて恋人同士になった。
その事は二人と親しい間柄の人間なら、大体知っている。
もしそれから二人と全く会う事なく二年経った今、再会したとしよう。
普通に考えて、何事も無ければ和葉の隣に居るのは平次だと誰もが思う筈だ。
「そうだね」
男は和葉の言葉に相槌を打つ。
「君とはぐれちゃったら、凄く寂しい」
和葉の指先に己の指先を引っ掛ける。
「だから、僕から離れないで」
「ほんま、甘えたさんやわ」
和葉はつい、くすりと咲う。
そして見上げる。
「聖さん」
恋人である、福城聖の顔を。
平次に告白され、晴れて恋人として付き合っていた和葉は二年経った今。
彼女は聖と恋人として交際をしていたのである。
◇◇◇
何がどうしてこうなったのか。
和葉が平次に対して、どうしても腹に据えかねる事があったからだ。
平次は遅刻や放置の常習犯である。
しかして、その事ではない。
かつて、ビックマン前で四時間待たされた事は許した。
ドタキャンを繰り返すのも、まあ良い。
事件に遭遇し夢中になって時間を忘れるのは、何時もの事。
時々『工藤がピンチや!ちょお行ってくる!』
とデートの途中で放置をかましてきたのも、まだ許せる。
そも、付き合う前から頻繁にやらかしていたし、事件やら親友やらを放置する西の名探偵なんて、和葉の愛した西の名探偵ではない。
事件が起きたという事は、誰かが傷付き或いは尊い命が失われたという事。
悲しみや憎しみを全て払拭出来ずとも、せめて真実が明らかになれば、傷付いた誰かや失われた者への慰めになるだろう。
その役割を平次が果たすのなら、どんなに誇らしい事か。
謎を解いた時のキラキラした目だって、好きだったのだ。
それを思えば、乙女心が擦り減る位は大目に見てやれたのである。
だって、彼女なんだから。
平次は基本的に口が悪く、言い方も常に丁寧とは言い難い。
時折必要以上に言及されて、口喧嘩に至る事も屡々。
だからとて、その場では腹を立てても、後々まで引き摺ったりしない。
言い方に関しては、お世辞にも和葉とて丁寧かどうかで言えばそうとは言えないし、時々やらかすのは自覚している。
平次相手だと、尚更加減を見誤り易い。
なので口の悪さや言い方も許せると言うより、お互い反省すべきとすら思っている。
だって、彼女なんだから。
色々と思い返せば、単なる幼馴染だった頃にも嫉妬深い部分は見え隠れしていた。
会ったばかりの聖に対する噛みつきが良い例である。
付き合いだしてからは、更に隠さなくなった。
常時自分の近くに居させようとするのは、良い。
クラスメイト相手に威嚇するのも、まだ分かる。
店員の営業スマイルやサービスにすらニコリと笑って『ありがとう』と答える事すら苛立つ。
褒められたものではなかろうが、それもまだ許せた。
寝ぼけて聖に抱き着き、身体を擦り寄せた事で平次が物凄く怒った事に関しては、そりゃそうとしか言えない。
聖は、
『役得みたいなものだし、寧ろ和葉ちゃんの方が気を悪くしてないかな』
と微笑って許してくれただけでなく、気に掛けてもくれた。
本当に申し訳無い気持ちで一杯になったものである。
因みに、紆余曲折を経たものの、函館の事件諸々で平次達に何か償いをしたいと申し出た聖に対し、
『じゃあ受験勉強教えてぇな!』
と戯けながら提案したのがきっかけで、臨時の家庭教師になって貰っている。
なので、嫉妬深い事に関しても怒っていない。
だって、彼女なんだから。
そう、大概の事は許せた。
気にしないように振る舞いながらも、ある程度は許せたのだ。
そも、幼馴染だったから、ある程度は理解を示せた。
だって、彼女なんだから。
「あの有名な西の名探偵に会えるなんて感激!」
「カッコいい〜」
「いやぁ〜そんなそれ程でも〜あるんやけど〜」
なんて女子に言い寄られてデレデレしているのだって、許してやった。
腕に大きな膨らみが当たって鼻の下が伸びていたのも、寛大に許してやったのである。
脚本家殺人事件の調査中に、大岡紅葉の豊満な膨らみを鷲掴みにした事だって、半分は事故みたいなもの。
キスされそうになったのに、ほぼ無抵抗だったのもどんなに腹立たしかったか。
が、コナンの手によって未然に防がれた。
もう怒ってなどいない。
だって、彼女なんだから。
とても便利な、魔法の言葉である。
幼馴染よりも確かな関係を示すものであり、周りへの牽制として最適解の武器。
某三桁の数字よりも、あるかないかで全く心境が違う。
この言葉を使う権利を有している時点で、何にも負けない強さすら感じていた。
小さい頃からコツコツ想いを積み重ねて、凡ゆる全てを跳ね除けられる魔法の言葉。
何なら菩薩のように心が広がっている。
セクシャルハラスメントだって、ノンデリカシーだって、モラルハザードだって、全然全く本当に許そうと思えば許せた。
寛大で、寛容で、ああなんてアタシは優しいのかしら。
……等と、偉ぶってひけらかす事はしない。
許されるなら、ほんの少しだけ、そんな素振りをしていたかもしれないが。
でも、一応苦言は呈さねばならない。
だって、彼女なんだから。
彼女なんだから、
『あんまり他の女の人に見向きしちゃ嫌よ』
みたいな事は言いたかった。
周りへの体裁だって宜しくない。
そう、平次を想えばこそ、苦言は呈さねばならぬ。
さて、苦言を呈された平次の返答は、此方。
「何やねん。向こうから引っ付いてきただけやろ。一々言われんでもわぁーっとるわい。
ほんま、女の嫉妬は怖いわぁ。ちょっとした事ですぐやいやい言う」
ダメだった。
もう全部が全部ダメ。
ダメダメ過ぎて。
「………………あ゛?」
キレた。
誰が見ても、分かる程に。
詳細を記するまでもなく、キレ散らかした。
幼い頃から編み上げた恋の魔法。
綺麗な事、ときめいた事、腹を立てた事、嫌な事。
恋をする過程で得られた、兎に角沢山の想い出。
余す事なくブチ込み編み上げられた、和葉の人生に置ける恋の集大成。
その規模、威力は常に彼女の原動力として、常に和葉と共に在った。
ならば、それが一度憤怒に傾けば。
癇癪なんて可愛らしいモノで済む筈がない。
それは周りへの影響も顧みず荒れ狂う、災害を通り越した天変地異であり、神の怒りであった。
一日ちょっとでは到底収まる筈もなく。
平次がちょっと何か言っても、直ぐに吹き飛ばされる。
和葉を知る周囲に、彼女が魔法を編み上げた経緯を全て理解するなぞ、不可能。
しかして、怒る経緯も気持ちも分からないでもない。
故に、誰もが静観に努めていた。
忙しいとか場所が遠いとか、様々な理由で手を差し伸べる事もしなかったが。
そこで、福城聖である。
「あ、和葉ちゃ…………え、え、え?」
彼は何時ものように勉強をみようと声を掛けたら、ブン殴られる勢いで引っ張られ、そのまま目に付いたケーキバイキングの店に連れ込まれたのだ。
初めて出会った時もそうだが。
聖にとって和葉は、突然何をするか全く予想出来ない嵐のような女性だった。
只管、無心に、ケーキやサイドメニューを頬張り続ける和葉。
誰もが、帰りたいと願って恐れ慄き、或いは呆れ果てるだろう。
だが。
「…………」
無心に食べ続ける和葉を、聖はただ見守り続けた。
積み重なる皿やコップを片付けては、入り用のものを訊ねる。
時折暖かい飲み物で、然りげ無く胃を休ませようと試みるものの、食べるのを止めろとは言えなかった。
和葉もカラオケやらではなくケーキバイキングにしたのは、ぶち撒けるだけぶち撒けても、聖を困らせるだけと理解している故。
もっと言えば、ぶち撒けるだけぶち撒けた後、理性を振り切って要らぬ事をしまいかねない、と冷静に判断していた。
誰でも良いから、己が要らぬ事をせぬか監視して欲しかったのだ。
巻き込まれた聖の立場にしてみれば、堪ったモノではないだろう。
それでも、付き添ってくれた事は有り難かった。
食べながら漏れてくる言葉から、事情を何となく察した聖は、
「…………そうか」
やはり、静かにそう呟くだけ。
誰が見ても逃げ出す、恐ろしい形相だったとしても。
耳を塞ぎたくなる、怨嗟溢れる言葉を並べられても。
目が灼く程の、憤怒のオーラを浴びせられていても。
「…………それは、辛いね」
聖は目を逸らさず、和葉に寄り添い続けた。
乙女心を極限まで擦り減らされた一人の女の子の、尊厳を踏み躙られた怒りと嘆きに、そっと寄り添い続けたのだ。
人は、スマートフォンを使用する際に画面を注視する為、視野がどうしても狭まり易い。
そして目線より下、例えば電車内にて座席で誰かがスマートフォンを弄っているとする。
使用している本人は気付かれていないと思って、或いは気にしていないかもしれない。
だが、目の前で立っている誰かからは、何をして、何を見ているか、存外見えてしまうもの。
故に。
「あ…………」
和葉が、
『平次。もうアンタには付き合いきれません。別れましょう。つか、もう別れます。既読スルーしようが無駄です。このメッセ送った時点でアタシ達はもう他人です。もう金輪際話しかけないで下さい。ほな』
と送り、凡ゆるアプリからブロック操作をしているのが、容易く見えてしまった。
全くもって、嵐のように突然過ぎる。止める暇も無い。
通信技術の発展が止まらぬ現代社会ならではの、お手軽且つシームレスな業務連絡からの申し送りに、寧ろ感激すら抱く。
送られた側は、遅かれ早かれ発狂するであろうが。
「(…………まあ、俺には関係無いか)」
恩人だけど、心配等していないし、どうでも良かった。
恩人だからとて、何でもかんでも助けたい訳では無い。
「っ!」
何でもいいから、食べる物を取りに行こうとした和葉の腕を、
「待つんだ」
聖はそっと掴む。
余り力は入れなかったが、そも、男と女では握力の地力が違う。
振り解けず、苛立たしそうに鋭く睨み付ける和葉に、
「そろそろ出なきゃいけない時間だ。10分切っている」
ぐうの音が出ない理由を告げる。
食べられるか否かではなく、分かりやすくダメな理由を。
晴れぬ怒りに狂っていても、ルールは遵守せねばならない。
「少し、身体を休めよう」
促されて、席に着く。
テーブルの上にあるのは、ドリンクバー用のコップだけ。
他は聖が片付けていた。
払った料金の割には、彼は殆ど飲み食いをしていない。
食欲よりも、和葉に寄り添う方が大事だった。
時折、目の前の男が何も食ってない事すらも腹立たしく感じた和葉が、適当なケーキを一切れ分聖の口に突っ込んだ位。
突然過ぎて止める間も、逆らう間も無い。
誠、嵐のような女性であった。
因みに。
聖の口に突っ込むのに使ったフォークは、直前まで和葉が使用していた物である。
突っ込んだ後も、引き続き自分で使用していた。
聖も思う所がなかった訳でもなく、顔を紅くしたものの妙な顔を浮かべるのはどうにか抑えた、とだけは記しておく。
兎も角、激情のままに貪り続けた和葉は、コップに残った冷水を飲み干す。
目に付いたと言う理由だけで。
そのコップも、
「…………」
聖が直前まで喉を潤す為に使っていた物。
皿の置き換えや片付けで彼方此方動かしていた為、考えながら口を付ける場所を決めていた訳でもなく。
「…………」
ただ、静かに見詰めていた。
冷水を飲み干し、ほう、と溜息を漏らす口元を。
「…………あ」
コップを置こうとして、和葉は声を漏らす。
「ごめん、間違えた」
「いいよ、喉渇いていたんでしょ」
気にしないように告げたつもりだが、それでも和葉は納得しない。
「これ、あげるわ」
そう言って、己のコップを差し出す。
カフェラテがまだ半分程残っていて、和葉が何度か使ったコップを、聖の前に。
「…………」
「あんま食べても飲んでもないやろ」
ほぼ己だけが飲み食いしていた不公平が、気に食わない。
そんな思いで差し出したのだろう。
「ほら、時間ないで」
後は、入店時に店側から言われた、食べ残しは遠慮頂きたい旨の話。
「…………まあ、確かに、食べ残しはいけない」
食べられる分のみ取って、残さず食べる。
ルールを守れなければ、店も客も自分の首を絞める羽目になってしまいかねない。
そう、ルールはルール。
定められたルールを遵守する為に、シロップで甘ったるくなったカフェラテを、一気に飲み干した。
「…………」
そんな聖を尻目に、和葉はぼんやりと周りを見て。
「………………う」
目尻が潤む。
「和葉ちゃん?」
「……う……うぅ」
聖が傍に近寄る寸前、和葉の頬を涙が伝う。
「隣、失礼するね」
そっと横に座る。
その間にも伝う涙の数は増えていくばかり。
「…………っう」
和葉の中から、魔法は、消えていた。
ごっそりと抜け落ち、空っぽになった心に注がれるのは、途方も無い虚しさと哀しさ。
平次の悪い所ばかり目がいってしまった。
でも、同じ位、否、それ以上に良い所は沢山あったのだ。
それでも、だとしても。
一緒に居たくない。少なくとも、今直ぐ謝って元通りなんて、無理だった。
「…………ちょっとだけ、失礼するね」
和葉の肩を抱き、傍に寄せる。
顔が聖の肩に触れた瞬間。
「――――ぅ――――ぅぅ――」
啜り泣きが、聖の衣服に沁みる。
「…………」
退店の時刻が迫っているのは、勿論分かっていて。
「…………」
それでも、聖は右手で和葉の肩をゆったり叩き、左手で髪を撫でた。
首元に和葉の頭を寄せる。
啜り泣きの声が周りに聞かれるかもしれないのは、仕方なくとも。
せめて涙を流す所は、人目に触れさせないようにしてやりたかった。
「…………」
何か声を掛けたい。
けれど、何を言えば良いのか分からなかった。
何かを言える程、和葉の事を知らないのだから。
だから。
「和葉ちゃん……」
「ぅ――――うぅっ――」
ただ、静かに寄り添う。
それが、聖に出来る唯一の事。
嘗て、ありもしない大量破壊兵器を葬り去る事が出来なかった男は、
「…………辛かったね」
「っ!ぅ――ううぅ!」
誰もが寄り添えなかった、一人の女の子の恋の嘆きと怒りに寄り添う事を果たし、
「さあ、そろそろ店を出……………………………………よし、待て。待つんだ。待ちなさい。背中を前に曲げちゃダメだ。鼻でゆっくり静かに呼吸するんだ。僕に合わせて立って。…………そう、そう、ゆっくりで良い。コップだけ片付けるから、此処から動かないように。……いいかい?僕が戻るまで一歩も動かないでね?ちゃんと最後まで付き添うから。大丈夫だから。僕は最後まで君の傍に居るから」
己の全てを賭して乙女の尊厳と矜持を護りきったのである。
それから何時間が経ったのか。
陽は地平線の向こうへ帰ろうとする時刻。
「はい」
「…………ありがとう」
木々に囲まれ、薄暗くなりつつある公園に二人は来ていた。
頭の上に陽が輝る時刻なら賑やかな公園も、今は殆ど人が居ない。
近くの自販機でペットボトルを二本買い、片方を和葉に手渡す。
先にベンチで座って休んでいた彼女の隣に、そっと腰掛ける。
「大丈夫?」
「大丈夫。もう、平気」
聖からの気遣いに仄かな微笑みを向ける和葉。
端から見れば、誰も気付かないだろう。
先刻まで乙女の尊厳と矜持を手放してしまう危機に陥っていたなどとは。
聖も態々蒸し返そうとはしない。
「平気やから…………ほんま、あの…………ごめん」
自分で思い出し自己嫌悪で悶え苦しむ分には、誰も止められないが。
「いや、いや……」
どうなるかは何となく分かっていて止めなかった聖も、気不味そうに俯く。
今は居た堪れずとも、己を見詰め直し前へ進めるのなら、それはそれで必要な罪悪感なのだろう。
例え、危うく多くのモノを喪う寸前だったとしても。
涙が出る前に違うものが出てきそうになって、泣きたい気分が台無しになったとしても。
取り敢えず、途中で食べ過ぎに効用を持つ胃薬を飲ませた聖のファインプレーが有ったからこそ、最悪の事態だけでも避けられたのは確かである。
二人は並んで座り、
「………………」
「………………」
黙したまま時間が過ぎるのを待った。
「(和葉ちゃんは……これから……)」
聖の脳裏に過ぎるは、和葉からの一方的な業務連絡からの申し送り。
それを読んだであろう平次は、今頃どうしているのか。
ひょっとしたら、未だ気付いていない可能性もある。
しかして、どうでも良い。
恩義を感じて助けるにしたって、限度がある。
どんなに怒り狂おうとも咽び泣こうとも、それは平次に必要な後悔と罪悪感の筈。
聖が嘗て函館山を吹き飛ばそうとし、危うく和葉を殺しかけた罪悪感を捨てられないように。
「…………」
それ故に、聞けない。
このまま平次とは終わるのか。
何れはヨリを戻すつもりなのか。
見てしまったとは言え、軽々に指摘出来る筈がない。
伏せ気味に地面を見る翡翠は、僅かに潤む。
「…………ふう」
聖の心境を全て察した訳ではない。
だが、何かを言い難くさせている自覚はあった。
ならば。
「もうやーめた!」
「…………何を?」
「平次と付き合うの!」
和葉の方から切り出すしかない。
「あんな奴もう知らん!顔も見たない!」
思いっきり腕を伸ばして、ハッキリ告げる。
「…………」
聖は気付いていた。
和葉の目尻が薄ら潤んでいるのを。
無理をして笑顔を作っているのを。
だとしても。
「…………」
聖は、考え直せとも、やめておけとも、言えない。
和葉自身が自分の為に決めた事。
迷いを切り捨てでも別れを告げる罪悪感より、なあなあで済ませて我慢を続ける方が、ずっと辛いのだろう。
だから、態々宣言した。
聖の前で宣言して、自ら退路を断つ為に。
「…………そうか」
故に。
「君がそう決めたのなら、それで良いと思うよ」
「ほんま?」
「うん」
退路の介錯を買って出た。
言い逃れなぞして堪るか、と和葉が腹を括れるように。
「はぁ、口に出したら何やスッキリしたわ。て言うか、お腹空いてきた。何でもええから、思いっきりようけ食べたいわ」
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言うが。
「そ、そう……」
幾ら何でも忘れる速度が早過ぎて、思わず口端を引き攣らせた。
若さ故か、所謂別腹故か。
ともあれ、和葉の調子が戻ってきたのなら、それで十分だった。
「そやけど」
両膝に両手を乗せて、ぶらん、ぶらん、と膝から下を上げ下げする。
空っぽにした心の中で燻る気持ちを篩い落とすように。
ぶらん、ぶらんと。
揺れる、揺れる。
気持ちから溢れ落ちた塵が、飛んでいく。
「聖さんにこないな時間まで、えらい付き合わせてしもた」
眉尻を下げ、溜息を漏らす。
両脚が力無く地面に着く。
「気にしないで。僕が付き合いたくて、勝手に付き合っただけだ」
ふやけた微笑みを浮かべ、
「和葉ちゃんと、こんなに長く一緒の時間を過ごせて嬉しい」
ありのままの心情を吐露する。
けれども。
「…………気ぃ遣わんでええのに」
和葉にしてみれば、額面通りには受け取れない。
意思疎通とは、かくも難しいものだ。
聖は微笑ったまま、眉尻を下げる。
「なあ」
パッと咲かせた笑顔は、やはりどうしても苦しげで。
それでも聖の心臓は、とくりと高鳴る。
「何だい?」
「此処まで色々付き合うて貰うたんや。何かお礼させて」
「礼?」
ポニーテールを揺らしながら、こくりと頷く。
「うん。気にせんでって言うてくれるけど、甘えっぱなしなんも悪いやん。アタシの性やないし」
本当に気にしないで欲しいとは言いたい。
が、それを言った所で、和葉はやはり納得しないだろう。
黙って話を聞く事にした。
「そう……」
視線を切って俯く顔に、無邪気な笑顔が向けられる。
「そやから何かお礼させてぇな」
深碧の瞳が、
「何でもええから」
聖の顔を覗き込む。
その瞳に映り込む聖の顔は、
「っ!」
動揺に強張っていた。
「…………」
吐息が、緊張に染まる。
「なん、でも?」
絞り出した声が、震えていた。
和葉は気付いているのか、いないのか。
「うん。何でも」
聖に向けた笑顔は、
「アタシに出来る事やったら何でもええで!」
無邪気に彩られていた。
「何でも」
胸元に、汗が滲む。
両手の甲に不自然な力が籠る。
時折、血管がぷくりと膨らむ。
「……何でも?」
「うん!」
お互いを真っ直ぐに見据えている筈なのに。
「……っ」
和葉の顔がよく見えない。
「…………」
どくり、と脈打つ心臓。
「(…………俺は)」
胸元を掴む。
「(最低だ)」
この先の人生、どんなに足掻いても得られぬ筈の、
「(最低の男だ)」
千載一遇の幸運諸共に。
「(恩人を踏み台にしようってのに)」
「聖さん?」
突然胸元を掴み表情を歪めた、――――と思いきや。
「…………」
すくり、と急に立ち上がる聖へ、訝しげな眼差しを向ける。
そんな視線に気付かぬ程、
「(これっぽっちも悪いなんざ思えねぇ)」
頬が恍惚に火照っていた。
「聖さん?」
呼び掛けにも応じず、聖は和葉の前へ立つ。
見上げた男の顔は、薄暗くてよく見えない。
「和葉ちゃん」
「はい?」
「何でも。……と言うのは、凄く曖昧で危険な言葉だ」
「う、うん?」
「互いの出来る事、互いの希望が全然噛み合ってないのに、何か遭っても従わない、言い出した方が悪いと決めつけられる。そんな、恐ろしい言葉だ」
「え、えっと」
突然、何でもに対しつらつらと意見を陳べられ、和葉は小首を彼方此方傾げる。
深刻な意味合いとして口にした訳ではない。
故に、困り果てる。
「それを踏まえて、踏まえて尚、僕は君の言う『何でも』に乗っからせて貰う」
だが、容赦しない。
「和葉ちゃん」
「へっ?」
戸惑いを拭いきれない和葉の前に、跪く。
「今、何でも、と言いましたね?」
「う、うん」
今更ながらに確認されて、しかして、反故には出来ず。
問われた通りに、肯定の意を答える。
「ならば」
聖の口端が吊り上がった。
「僕と交際して頂けませんか」
和葉の呼吸が、止まる。
「こ、こう?」
「貴女からの御礼として、貴女の恋人になるという名誉を賜りたい」
無理に呼吸をしようとして、はく、はく、開いた唇が戦慄く。
構わず、真っ直ぐ見据えた。
深碧の瞳が、翡翠の瞳から逃れられない。
「あ、アタシの……?アンタが……?」
問い糺そうとして、なのに、必要な単語と文脈が喉で痞える。
「何なら、貴女へ剣を捧げたって構わない」
かつて大罪を犯そうとした男は、未だ己が刀を携える事を良しとしない。
それでも、心の裡に剣が在る。
道を外し、迷い、揺らいで、それでも尚、残る己。
「俺の、全てでさえも、貴女へ捧げます」
それすらも捧げろと言われたら、喜んで捧げよう。
「なん、なんで」
今にも逃げ出さんと身を縮こませ、
「何で、アタシにっ!そんなん!」
それでも、聖から目を逸らさない。
全てを見透かされるような視線に、怯えてすらいた。
両手で掴むペットボトルが、べこべこと凹む。
「何故?難しい話ではないですよ。よくあるじゃないですか」
「よく、ある?」
「初めてお逢いした時から、貴女の事をお慕いしておりました」
本当に、よくある話だ。
何か親切にしてくれるなぁ、と思っていた人が実は――。
……なんて言うパターンは。
「そういう事です」
「聖さんが、アタシの、事」
そんなありきたりのパターンに、自分が巡り逢う。
成程、目眩で頭がクラクラする。
「勿論、俺の事を好きになって欲しいとは言いません」
貴女の心が欲しいなんて贅沢を、どうして言えようか。
「決して貴女が嫌がる事はしません」
触れ合えなくても良い。
「ほんの、僅かな間だけで良いんです」
何年とか、何ヶ月とか、何日とか。
そこまで付き合って貰えなくても構わない。
何時間とか、何分とか。
何なら、何秒とかでいい。
『ええよ』と言ってくれた一秒後に、『やっぱ平次の事が好き!』と逃げ出されても、構わないのだ。
「どうか、俺の人生に、俺の想いを貴女に受け取って頂いた時間を刻ませて欲しい」
人生に於ける一秒。
割合にして1/1000000000000000000にも満たぬ。
僅かなその時間だけでいい。和葉に愛を受け取って貰えたのなら。
それは、聖の中で永遠になる。
聖の人生に、記憶に、魂に、永遠となって刻まれるのだ。
その機会を掴み取れるなら、剣を、全てを捧げてでも掴み取る価値がある。
「……っ……」
それを聞いた和葉は、
「お、重い……」
ときめきすら通り越して、呆れていた。
たかが、痴話喧嘩の愚痴に付き合わせた礼の話。
何故そこから交際だの恋人だの人生だのが出てくるのか。
覚悟ガン決めで告白されるのか、全く理解出来なかった。
「聖さん」
「はい」
「重い。めっちゃ重い」
「ふふ。そう難しく捉えないで。ほら、ネットとかアプリでみるお試し無料期間。
君にとってそれ位のお手軽な時間で良いからさ。何時解約してもいいから」
「サブスクみたいな事言いよる……」
「僕と付き合って欲しい」
顔は微笑っている。
しかして、翡翠の瞳は微笑わない。
マグマのようにどろどろと熱い愛を、滲ませていた。
「…………告白で、何でそこまで重い事言うかな」
「すみません。貴女への愛を伝える、またとない機会です。加減なんて出来ません」
「っ⁉︎」
手を差し出す。
黙したまま、微笑う。
彼がそうした意味は流石に分かる。
OKなら自分の手を取って欲しい、のだと。
「…………むぅ」
和葉は思わず眉を顰めた。
「自分でそないハードル上げてどないすんねん……」
「ハードル?」
「あ、いや」
片手で額を抑える。
「…………はぁ」
溜息が漏れた。
聖は戸惑いながらも、それでも、ただ静かに答えを待つ。
「重いわ」
「はい」
「重くてかなわん」
「すみません」
「重すぎてアタシ一人ではよう持たれへん。寧ろそんな重いの、よお一人で抱えとるなぁって思うわ」
「褒められる程ではありません」
「褒めてへんわ。呆れとんねん」
「そう、ですか」
「せやから」
手を上げる。
「一緒に持ったるから」
聖の瞳孔が、ぐんぐん小さくなっていく。
和葉の指先が、
「持つん手伝って」
聖の指先に触れる。
聖の愛が、和葉に、届いた。
「…………っ」
夢を見ているようだ。
「もう」
目の前が霞んで見えない。
和葉の顔が見たいのに。
「何でアンタが泣くんよ」
「何で?」
そう言って咲う和葉の顔を。
「嬉しいからに決まってるだろう」
ああ、此処に。
此処に、永遠がある。
決して消えない永遠が、聖の中に刻まれた。
「何時迄か、はっきり言われへんけど」
「うん」
「まあ、よろしくな」
「うん、うん」
縋り付くように、両手で和葉の指先を包む。
「はぁ……」
やはり、溜息が漏れる。
今の時点でこんな有様だ。
「ほんま、自分でどんだけハードル上げとんねん」
こんな有様で、果たしてプロポーズの時どうするのやら。
何だか心配になって、ついつい呆れてしまう。
◇◇◇
こうして、和葉と聖の交際が始まった。
平次と別れた事も含めて隠しもしなかったし、親しい人達に報告すれば、誰もが驚き騒ぎ立てるのも無理はない。
当然、平次とて平静で居られなかった訳で。
彼の発狂振りが如何程だったのか。
――本人の名誉の為に、敢えて言及を避けるものとする。
とは言え。
実の所、長続きするとは誰も思っていなかった。
周りは勿論、聖も和葉も。
精々二、三週間。
一、二ヶ月保ったら凄いな位にしか見積もっていない。
聖自身が言うように、それこそお試しサブスク解約みたいに別れを切り出して、平次の元へ戻るのだろう。
そも、平次が二人の交際を静観し続ける訳がない。
何かにつけて、和葉に接触し言いくるめようとする筈。
各々の希望は兎も角、全員が予想していた。
そう予想する程に、和葉の平次に対する想いは決して軽くない。逆も然り。
故に交際とは言いつつ、聖から和葉に異性として触れ合う事はほぼほぼ無かった。
腕が触れ合って小指が僅かに絡む位。その程度なら、いざと言う時に和葉も戻りやすいだろう。
彼のそんな気遣いは当然和葉も気付いていたし、敢えて何も言わなかった。
そんなこんなで、皆その時を信じて待っていたのだ。
聖と和葉のお試し交際が終わって、和葉が平次と元通りになる事を。
誰も彼も、平次も、和葉も、聖も、その時を待って待ち侘びて。
気が付くと、一年経過していた。
何故全員の予想を悉く裏切ったのか。
雑に雑を重ねて雑に纏めると。
服部平次が此処一番と言う時に、盛大にやらかした為。
そもそもの発端は、和葉の裡に長年溜め込まれた鬱憤が破裂したからである。
よくある話だが。
イジメの加害者が被害者へ謝ったのに、被害者側が許さないという話。
それだけ、被害者側に刻まれた傷は深いのだ。
謝ったら全てが帳消しになって許されると思う事こそ、傲慢である。
誠意を以て謝罪をするのは、して当たり前の事。
決して全て無かった事にして、加害者側の安寧を齎す魔法等ではない。
そして、被害者側がどんなに傷付き苦しんだか。
加害者側が理解も想像も及ばない事がある。
まず、まともな思考を持つ人間なら。
そもそも誰かに対し、危害を加える発想すら持たない筈。
己の心の弱さに負けて誰かを傷付けたとしても、やはりまともな思考があれば、悪い事をしたと後悔や罪悪感を抱く。
ならば。
想像が付かない。
理解が出来ない。
つまりは、悪い事をしたという自覚が薄いと言う事。
今回の場合も、似たような状況である。
平次が幾ら謝罪を重ねようが、和葉の裡に刻まれた諸々が癒えぬ限り、どうにもならない。
それでも、流石に二ヶ月経てば互いの頭も冷えてくる。
平次の懇願に負けて、話位は聞いてやっても良いかな、と思い初めていた。聖も止めなかった。
話の内容次第では、許してやっても良い。
その位には、平次に対する情は残っていた。
聖に対しても情が湧く頃合いではある。
しかして、どちらを取るかと言えば、迷いながらも平次を選ぶ。
良いか悪いかは兎も角、この時点ではそのようなスタンスだった。
聖とて名残惜しいとは思いつつも、元々叶う筈の無かった夢。
想定以上に長く傍に居させて貰えただけ感謝はすれど、恨んでいない。
平次への恩義を返すという意味でも、和葉をあるべき場所へ送り届けるつもりだった。
故に一時は和葉の恋人だった者として、和葉と平次が話をする場に立ち会いたいと願うのは、至極当然である。
二人もその申し出を飲んだ。
周りも漸くゴタゴタが鎮静化する兆しが見えて、喜んだものである。
色々有った。
ああ、終わり終わり。
めでたしめでたし
……には、ならなかった。
◇◇◇
さて、当日。
和葉の受けている講義の時間に合わせ、待ち合わせをしていた。
近くの喫茶店で、聖と平次は和葉を待っている。
端から見れば、いい男といい男が二人向かい合わせ。
お嬢さん、お姉さん方の目には、さぞ魅力的であろう。
然りとて、あからさまに近寄れば鬱陶しがられる事請け合い。
よって、然りげ無さを装って近寄り――――。
「…………」
「…………」
二人の間で濃縮された険悪な雰囲気に畏れをなし、皆逃げ出す。
お互いを嫌っている訳ではない。
助けられたし、助けたし。
恩義を返したいし、別に恩を着せるつもりもなかった。
それでも。
「…………」
「…………」
同じ女に惚れ込んでいる以上、どうしたって相容れる筈がなく。
それでも、聖からは何も言わなかった。
和葉が一方的に平次を振ったとはいえ、その直後に付け入り、まんまと和葉の傍に居られる権利を横取りした男。
まともな人間なら、先ず後ろめたい気持ちを抱く。
何かを言える権利等、どうして示せよう。
よって、基本的に喋っているのは平次の方である。
勿論、豆腐の中に棘付き鉄球を潜ませて。
実に楽しくない、苦痛を伴う時間。
憂鬱な事に、和葉が来ても苦痛は和らがないのだ。
拗れに拗れた三角関係をどうにかする為の話し合いが、楽しいと思える筈がない。
聖は和葉を苦しめる罪悪感を抱えたまま、和葉を手放さなければならないし。
和葉は聖と平次両人に対し罪悪感を抱えたまま、片方を選ばねばならないし。
平次は和葉との時間を突然奪われ、聖の事を何時までも疑わねばならないし。
ないないない尽くしの上、誰も得をしない。
得をしないのに、態々三人で集まって話をする。
誰が見ても修羅場になるし、誰が見ても楽しくない。
「(俺は)」
平次から詰られながら、聖は内心で溜息を吐く。
「(無力だ)」
二ヶ月の間傍に居てくれた和葉は、何のかの言いつつも穏やかに過ごしてくれていた。
けれど、平次に縋られた後は決まって落ち込む。
聖はそんな彼女に寄り添うだけで、根本的な解決を示していないし示せなかった。
「(せめて、俺達だけでもさっさと和解しておけば、和葉ちゃんは……)」
結局、二年前から何も変わっていないのか。
躓いて、恥を知り、それでも前へ進んで、愛を捧げて。
本当に幸せだった。和葉から幸せな時間を沢山貰えて、本当に嬉しかったのだ。
けれど、同じだけの幸せを捧げられたとは言えない。
「(俺は、本当に、どうしようもない奴だ)」
どうしたら、和葉が咲っていてくれるのか。
「お前は」
「(…………それにしても)」
「ほんま」
等と、頭の中でぐるぐる悩んでいれば、平次は未だを棘付き鉄球入りの豆腐を聖へ投げ続けていた。
「(飽きないな。コイツも)」
余程腹に据えかねていたのだろう。
しかして、延々と続ければネタも尽きようというもの。
一度口にした言葉を繰り返す事が増えた。しかも無自覚である。
やはり、聖はしおらしく平次に言われるがままで。
けれど、内容までは耳に入れてなかった。
言われていた時間も見ていない。
果たして、聖が言われた内容は如何様なものなのか。
雑に雑を重ねて雑に纏めると、
『人の女にちょっかい掛けて寝取りよるとかマジで性根どないなっとんや。
女にモテるからって調子乗りおって。何でお前なんかが和葉の傍に居んねん。
二年前から何も変わってへんやん、この恥知らずが』
……と言う事を延々と言っていたのである。
言われている方は、ちっとも楽しくない。
腹が立つし悔しかった。
それでも、言われるだけの事はしたと自覚している。
平次からの非難を甘んじて受け入れていた。
「黙っとけば何とかなると思とんのか、え?」
聖が何も言い返さないのを良い事に、否、それすらも腹立たしいようで。
和葉を奪われた事が、本当に、心の底から、悔しかったのだろう。
悔しくて悔しくて堪らなかったに違いない。
今日、平次がこの場に来たのは和葉と仲直りをしてヨリを戻す為。
立ち会いは認めたものの、聖との交流を深めるつもりはない。
――これも、よくある話だが。
自分の大切な女性を横から掻っ攫ったら男に対し、
『色々あったけど、友達として仲良くしましょうや!』
と好意的に振る舞えるか。
人にも寄るが、難しいと言えるだろう。
特に平次は存外嫉妬深く、独占欲が強い。
和葉の事となると、探偵としての冷静さは直ぐに何処かに飛ぶ。
和葉を奪った男が、かつて己が手を差し伸べようとした聖とくれば、尚更腹立たしい。
だから、引き続き延々と聖を詰る。
只管、延々と。
故に、気付かなかった。
「…………あ、あ…………⁉︎」
聖が平次の背後へ視線を向け、真っ青通り越して真っ白から土色に顔色を悪くしたのも。
「………………」
予定よりも早くやってきて、平次の背後で一部始終を聞き、氷点下100度の表情で見下している和葉にも。
時に人は、己よりも他人に対する理不尽へ、より嫌悪と憤怒を抱く場合がある。
お試しとは言え。
たった二ヶ月とは言え。
寄り添ってくれた恋人を貶され、平然と居られる人間は果たしてどの程度居るのか。
少なくとも。
遠山和葉はそのような人間ではない。
それからの詳細は。
――――最早言及するまでもないだろう。
そうして、和葉は、平次を見放した。
誰が聞いても、
『百万歩譲って気持ちは分からんでもないが、今それ言う事?』
みたいな事を散々口走ってしまい、完全に見放されてしまったのだ。
そんなこんなで、一年が経過してしまったのである。
流石に一年が過ぎれば、誰もが大体『もう諦めたら?』と投げやりになっていくもの。
当然それで諦め切れる程、平次の想いは浅くない。
故に、諦めない心を以て和葉へ縋り続けた。
続けたのだが。
「二度と話し掛けんな」
想っているから赦せる事と、想っているからこそ赦せない事がある。
想っているからこそ赦せない事を、土足で反復横跳びで踏み躙られ続ければ、積年の想いも冷めるというもの。
寧ろ『お前いい加減しつけーよ、馬鹿』と言う理由が加わってきた。しかも、風船のように段々と膨らんでいく。
平次の心強い味方として、毛利蘭が粘り強く説得を試みていたものの、
『……何ぼ蘭ちゃんでも、いい加減にして貰えへんやろか』
と、絶交をチラつかされれば、強く出られない。
平次の気持ちも大事だが、和葉との友情も蔑ろにしたくなかった。
因みに、この件に関して江戸川コナンと安室透は――。
『子供の頃からずっと好きだったのに、どうしてあの人と付き合うとか簡単に言えちゃうの……』
『…………』
『…………』
蘭がそう言うと、何故か二人共そっと視線を逸らす。
それからも、我関せずのスタンスを貫いていた。
物凄く罪悪感たっぷりの顔で。何故か。
『…………まあ、色々あるんやろ』
寧ろ平次の方が気を遣って放置している。
聖と和葉の仲を応援しないが、平次と和葉の間を取り持つ事もしない。
蘭に何か頼まれても、『ちょっと、何とも……』と濁す。常に。
物凄く罪悪感たっぷりの顔で、何故か。
端から見ていると痛ましいが、平次の言うように色々あるのだろう。
途轍もない罪悪感だって、彼等にとって必要な罪悪感かもしれないのだ。聖には関係無いが。
聖が理由を聞いても教えてくれなさそうではあるし、聞く理由も無い。
聞いた所でどうにもならないし、聖の立場からすれば、それこそ『どうでもいいよ、そんなもん……』としか言えなかった。
何か妙に距離近くねぇか、とぼんやり思う位だ。
下手に関わっても、途方も無い徒労しか得られない。
結局はどうでも良い、で終わらせるしかなかった。
最も話し易い親友。最も女性の扱いに慣れていそうな公安。
此処一番で頼りになりそうな二人が、肝心な時にそんな有様。
故に、最も和葉と繋がりが強い方々へ接触を試みた。
具体的に言えば、血の繋がりが強い方々である。
情けないのは分かっていた上で、どうにかお取りなし頂けないか、依頼せざるを得なかった。
和葉は元々一人娘。
ならば、一番近いのはご両親に他ならぬ。
幼い頃から平次と和葉の事はよく知っている二人。
付き合いだした時も現場に居たし、喧嘩別れした事も知っている。相談もシームレスに通じた。
では、そんな御二方からの有難いご意見が、此方。
『何でうちの娘傷付けて怒らせた男の頼み聞かなあかんねん』
『娘が会いたない言うとるから無理』
彼等は家族である。
まともな理由且つ可愛い娘に対して非の割合が低いなら、可愛い娘の味方をするに決まっていた。
しかして、それで平次が納得するかと言えば、そうではない。
当然のように食い下がる。
和葉が付き合っている相手が聖で良いのか。
添い遂げる相手が平次以外で良いのか。
『別にええけど』
『娘がその男と付き合いたい言うとって、その男がまともでしっかりしとるんやったら、誰でも構へんわ』
彼等は家族である。
彼等の望みは和葉の幸せであって、平次に和葉を贈呈する事ではない。
和葉が真っ当に幸せな人生を過ごせて、尚且つ彼女を託せるのならば、相手は誰でも良かった。
聖だろうが、安室だろうが、それこそコナンだろうが、誰だって。
……仮にコナンだった場合、清々しい程問題しかない。
遠山夫妻にしてみれば、何が何でも平次でなければならない理由はないのである。
家族の愛は、何処までも惜しみなく和葉へ注がれていた。
因みに、同じ家族でも服部夫妻の場合。
『お前が悪いんやろ。自分で何とかせえ』
『怒ってて話聞いて貰えへん?ほな知らんわ』
息子を助ける気は無い模様。
母親にとっては可愛い息子とは言え、もう二十歳間近。
二十歳を過ぎて、三十四十越えても女性問題で助けてと親に縋るのが当たり前になってしまったら、親としても人としても困るのである。
和葉は取り付く島もない。
家族も親友も友人も助けてくれなかった。
ならば、どうするか。
恥も外聞もかなぐり捨てて福城聖に頼み込むしかない。
勿論、殆ど無い誠意を掻き集めた謝罪をした上で。
地面に頭でも魂でも何でも擦り付けながら誰が聞いても、
『和葉とヨリを戻したいので、和葉と別れて頂けませんか』
としか聞こえないお願いをしたのである。
かつて、大罪を犯す寸前の聖を止めた平次。
決して此度の状況を想定した訳ではない。
が、聖が立ち直り、再び叶えたい夢を目指せるようになった要因ではある。
本人もかつて恩義を感じていると言っていた。
ならば、その恩義を此処で返しては貰えば良いのでは?
その考え方が最早恥知らずであると、平次は果たして気付けるのか。
ともあれ、聖ならば或いは、平次の味方になってくれるかもしれない。
そう考えた平次から頼みこまれた聖の返答は、此方。
『何で大切な恋人じゃなくて、元彼の味方しなきゃなんねぇんだよ』
普通に和葉の味方だった。
聖が和葉を愛しているのが伝わっていても、和葉の気持ちが平次に傾きまくっていたのなら、まだ理解は示せる。
聖が和葉を愛しているのが伝わっていて、和葉も聖の事を憎からず想ってくれているのに、態々台無しにする意味がない。
そも、和葉の裡に積み重ねられた鬱憤が一気に爆発してしまい、耐えきれないと彼女から別れを切り出したのであって。
例え平次に借りを返すべきだとしても。
返す形位は選びたかったし、単純に物凄く嫌だった。
よって、平次と別れて一年経った今も、聖と和葉のお試し交際は続いている。
◇◇◇
一年の節目とは、何だか嬉しくもあり、しみじみと感慨深くもあり。
人は兎角、一年の節目を祝いたがるもの。
聖と和葉も、お試しとは言え交際を始めて一年。
二人で何処かに出掛けて、思い出を作りたい。
そう願うのは、ごく自然な事であった。
しかして。無理な背伸びに挑める余裕はない。
和葉は未だ19歳。
未婚の男性と宿泊旅行は、先ず遠山夫妻が良い顔をしない。
そも、二人は真面目に努める大学生。
テストも課題もてんこ盛り。国以前に県境を越える程の遠出は難しい。
故に、比較的近場のアウトレットパークへ出かける事になった。
広大な建物内に敷き詰められた数多くの店舗。
予め決めていた店舗に向かうのも。
目に留まる何かに惹かれるのも。
偶々見掛けた催事に飛び入りで参加するのも。
普段の休日でも出来る事ばかりで、特別感には甚だ物足りないかもしれない。
けれど、今日、二人で、連れ添って、並んで、歩く。
ただそれだけで、満たされる。
二人で居る事に、意味がある。
「ん?和葉ちゃん?」
不意に和葉が足を止めた。
ある方向をじっと見詰めている。
聖も視線を合わせた。
「ピアス?」
数メートル前に見える仮設店舗。
小さな板が大量にずらりと並ぶ。
アクセサリーを扱う店舗だと、一目で分かる。
少し前にもアクセサリーを扱う店舗に立ち寄ったばかり。
それでも可憐に、或いは華麗に着飾りたい。
煌めく硝子の海の中から、自分で見付けた一品物で。
そのたった一つを見付け出す為には、自ら飛び込まねばならない。
「行ってみる?」
「ええの?」
「勿論」
ならば、何処までも付き添ってみせようとも。
そうして近付いていくにつれ……。
「あれ?でも」
「っ」
和葉の右耳に掛かる髪を、指先で除ける。
「穴開けてたっけ?」
耳たぶの淵に指先を這わす。
「…………」
とくり、と鳴る心臓。
ふるり、と震える肩。
「…………ううん」
ほう、と吐息を溢しながら聖の問いに答えた。
「耳に穴開けるん、何か怖くて」
「ああ……」
耳を開けるのに使うピアッサーは、薬局で容易に購入出来る。
穴を開ける箇所によっては痛みを伴うが、耳朶ならば比較的痛みは少なく済む。
医療機関に行けば、開けると同時にピアスを装着する為、殆ど痛みはない。感じるとしても一瞬のみ。
しかして、痛みよりも穴を開ける事自体が気になる人間も居る。
和葉がそうなのだろう。
「イヤリングも時々ぞわぁ〜ってなる時あるし、外す時耳朶痛なるし」
耳を開けずに済むのならイヤリングでも十分事足りる筈。
だが、ネジバネ式の場合、調整を誤ると耳朶を強く圧迫したり落としてしまう危険がある。
中々にもどかしく思うのも無理はない。
「なら……」
顔を上げて陳列棚を見た。
付ける事は出来なくても、色取り取りの煌めきを見る事は出来る。
そのつもりで来たのだろうと推測し、
「ん?」
棚の上に掲示されたPOPに注視した。
『ノンホールピアス』
『耳を開ける必要はありません☆』
『一秒で貼り付けるだけ!』
この文言に惹かれたのだろう。
和葉を見ると、それが正解と言うように気恥ずかしげに目を伏せていた。
微笑みをふやかせていたら、
「良かったら付けてみませんか?簡単ですよー」
と販売員に声を掛けられる。
その視線は、若干聖の方へ傾いていた。
気が付けば、周りの女性達も聖の方へ注視している。
「…………」
甘い端正な顔立ちは、何処に行っても目立つようだ。
内心で溜息を漏らしつつ、
「……ええ。僕の恋人が興味あるようで。ね、こう言ってくれてるし付けてみない?和葉ちゃん」
和葉の肩を抱き寄せ、甘く微笑む。
ぱちくり瞬きを繰り返して、
「うん。せやね。そうしてみるわ、聖さん」
うっそり微笑んで、聖の肩に頭を寄せる。
それを見た周りが息を呑み、そして気落ちした溜息を漏らした。
「それでは、此方サンプルになります。耳元失礼しても宜しいでしょうか?」
携えていたシートのような物を手前に差し出す。
そのシートには、ピアスのようなものが幾つか貼り付けられていた。
「シールのように耳朶に付けるだけなので、穴を開けなくて済むんです。他にも樹脂で出来たリングタイプのもございますよ」
へえ、と言いながら聖がシートに手を伸ばす。
「僕に付けさせてください」
和葉と販売員が目を見張った。
「貼るだけですよね?」
「え、ええ……」
シートを受け取ると、一つだけ取り外し和葉の耳元へ近付ける。
「ちょっと失礼するよ」
「聖さん……」
額がくっつく程に顔を近付けていく。
潤んだように蕩ける瞳。
真っ直ぐに和葉だけを見詰める。
「…………」
和葉は瞬きを忘れ、翡翠に魅入ってしまう。
「どんな感じになるんだろうね」
喋っていなければ、キスをしている最中だと錯覚してしまいそうな程に近い。
聖は指先で撫でながら、ピアスを耳朶に押し付ける。
「痛い?」
「ん。いや……」
「そう?良かった」
周りの響めく視線や呼吸に、二人は気付かない。
一分にも満たぬ時間。
……である筈なのに、何十分も経過した気がした。
「うん、出来た」
そう言って離れる。
翡翠の瞳は、
「……可愛い。よく似合っている」
和葉への愛しさに溢れていた。
「え……と」
「こ、こちらどうぞ!」
呆然としていた事に不覚を感じながらも、販売員が鏡を差し出す。
鏡には、ピアスを付けられた耳朶が映る。
「どう、も……」
「如何でしょうか?」
「ええんと、ちゃうかな」
他人事のように呟く。
「医療機関でも使われる粘着剤を使用してますので肌にも優しいし、ちょっとした運動でも落ちにくいんですよ。外す時は爪先で軽く引っ掛けるだけで取れます」
「へぇ……」
鏡を覗き込みながら、耳朶の淵を撫でる。
確かに、貼り付けタイプなら耳に穴を開けずに済むし、痛みを伴わずに外す事も可能だろう。
悪くない、寧ろ良いかもしれない。
「気に入った?」
聖も和葉の反応を見て、我が事のように喜ぶ。
「うん!」
頷きながら、ピアスを外す。
使用済と分かるように分別する為か。
別のシートに付けていたピアスを付けるよう促される。
「色々と取り揃えておりますので、宜しければご覧下さい」
右手を陳列棚へ差し向けた。
二人は釣られて目線を動かす。
和葉はすっかり気に入ったのか、試す前より真剣に一つずつ見入る。
ゆったり一つずつ視線を流して……。
「あ」
目を留める。
「ん?」
和葉の目線の先を追う。
其処には紫色がメインのピアス。
月と花を模した意匠。耳朶に収まる程の控えめなサイズ。
「これ、ええな」
丁寧に棚から外し、手に取る。
「こういうの、好き?」
「うん」
和葉が頷くと同時に、
「なら」
和葉の指先からピアスを摘まみ取った。
驚き見上げるよりも先に、
「此方頂けますか?」
そう言って、購入の意思を販売員に伝える。
和葉が止める間も無く、あれよあれよと購入を済ませ、仮説店舗から離れていった。
◇◇◇
仮設店舗から離れた二人は、暫し沈黙に浸る。
ぴとりと寄り添いながら、特に目的も定めず彼方此方歩く。
和葉の耳元には買ったばかりのピアスが、周りの光を帯びて光っていた。
時々耳朶の淵を摩っては、ピアスの存在を確かめているのだろう。
「可愛い」
「聖さんもそない思う?」
「ああ」
代わりに買ってくれる程、ピアスを気に入ってくれたと思い、笑顔が綻ぶ。
「それを付けた君が」
ピアスでは無かった。
聖は軽率に和葉を褒めていく。
何時もの事だ。
顔を赤くして俯く姿に、尚更心を和ませた。
「もう……」
恨めしそうに見上げる瞳は、しかして、怒りの色は無い。
それが分かっていて、益々笑顔を綻ばせるのであった。
「……それにしても」
「ん?」
「珍しいね」
何が、と小首を傾げる。
「色だよ」
「色?」
「ああ。普段紫っぽいの着たり身に付けたりしてないから」
和葉は主に、黄色かピンク色の衣服を纏ったり、装飾を身に付ける事が多い。
少し前は緑系統も見受けられたが、最近はそうでもないようだ。
「…………変?」
「いいや?新しい魅力を知れて嬉しい」
「直ぐそんなん言う……」
実に軽率である。
軽率だが。
「まあ、喜んでくれたんやったら……ええけど」
嬉しく思う和葉も、大概であった。
だから余計恥ずかしく思ってしまう。
「でも、珍しいと思ったのも本当だよ。何か理由でも?」
何となく、という可能性はある。
けれど、理由を聞けるなら聞いてみたい。
「あー」
軽い気持ちで訊ねると、和葉は少しばかり視線を彷徨わせる。
言い難いなら無理に言わなくて良い、と言おうとして。
「いや、大した理由やないねん。何となく、ほんま何となくやけど。これ見てたらな、思い付いてん」
再び耳朶の端に指先を添えた。
微笑みに、紅が増す。
「アンタの……聖さんの色っぽいなぁ、って」
聖の呼吸が、止まる。
「そない思うたら、つい手を」
言葉は続かない。
左手が和葉の左頬を上げさせ、覗き込むように唇同士が触れ合ったから。
「 」
「 」
時間にして、一瞬。
しかして。
「…………っ」
心臓が破裂しそうな程の衝撃を受けるには十分。
「…………」
直ぐに聖が離れて、
「っ!」
仄かに茫然としていた顔が、恥ずかしさに歪む。
「ご、ごめ……!」
片手で顔を多い、慌てふためく。
「ごめん!俺、いきなり……!」
「聖さん?」
「君に何も聞かずに、こんな!」
彷徨う視線は、キスの恥ずかしさより罪悪感の方が濃く現れていて。
「嫌がるような事しないって、約束したのに…………!」
「聖さん……」
思い出す。
忘れていた。
どうして、忘れていたのか。
二人が付き合う事になった経緯を。
お試しでも良いから、と。
何時迄かはっきり言えないが、と。
直ぐに終わる筈だった、お試し交際。
その最中なのだと、今更思い出した。
「ごめん……和葉ちゃん……」
二ヶ月も続けば情も湧く。
それが一年。
貰える筈が無かった時間。
続けば続く程、聖の胸の裡は幸福に満たされて。
穏やかな光が胸の奥を照らす。
照らされて、影が出来る。
恐怖という影が。
何時、和葉が心変わり……否、心戻りをして自分の元を去るのか。
その時、和葉をちゃんと見送れるのか。
自分がみっともなく縋らずに居られるのか。
失う位なら、いっそ欲のままに全てを奪ってしまわないか。
怖くて堪らなくなる。
ああ、成程。
平次も冷静になれなくて怒り散らす訳だ。
分かっている。
その時が来れば、手放さねばならない。
お試しでもいいから、そう言い出したのは聖自身。
過剰に触れ合ってはいけない。
なのに。
「聖さん」
服の袖を掴む和葉の左手に、自分の右手を重ねていた。
「聖さん」
「ん……」
再び呼び掛けられ、無視出来る程図太くない。
「本当に、ごめん」
「聖さん」
謝罪を受け取ろうとはしなかった。
「ちょっと」
「はい」
代わりに袖を引っ張り、屈ませる。
何だろうと思って、
「っ」
目を見張った。
「…………」
身体が動かない。
唇を重ねてきた和葉に、どう反応したら良いのか分からなかった。
やがて、先刻と同じか短いか。
直ぐに離れた。
「和葉ちゃん、何で……」
「何で?そっちこそ何でよ」
和葉の細い眉端が眉間に寄る。
「アタシ等恋人同士なんやろ?キスで一々怒ったりせぇへんわ」
溜息を溢しながら、呆れ返っていた。
「まあ、言うて……恥ずいっちゃ、恥ずいけど」
中途半端な笑顔を浮かべ、視線を逸らす。
恋人同士と告げた事が恥ずかしいのか。
キスをする事に対して恥ずかしいのか。
どちらでも、恥ずかしい事に大差ない。
「え、あの、うん」
聖も喜びと戸惑いにドギマギする心臓を抑える。
「うぅっ」
変な空気に居た堪れなくなったのか、和葉は顔を左右に振った。
「あ、あんな!」
「うん」
「…………ぎゅってして」
バッ、と両腕を広げる。
「いい、の?」
「……ええに、決まっとるやろ」
むすりと顰められた顔は、やはり紅い。
「…………っ」
恐る恐る、腕を伸ばす。
戸惑いを隠さず、それでも止めるという選択肢は無かった。
通りすがる人の訝しげな視線が、途切れない。
だから、何だと言う。
キスの時間より長く時間を費やして、
「っ!」
聖は和葉を抱きしめる。
和葉も腕を上げ、聖の背に回す。
益々視線が刺さる。
衆目を気にせず抱きしめ合う男女への嫌悪、やっかみ。
全部伝わってくる。
だから、何だと言うのだ。
「聖さん」
「…………っ!」
怖がらないで。
信じて欲しい。
聖にそう言いたかった。
そう言って、安心させたかった。
「…………」
言えない。
己と平次の事で不安にさせている分際で。
どの面を下げて、適当な事を言えるのか。
だから。
「もっと、ぎゅうってして」
「……ん」
「アンタの気が済むまで、なんぼでも」
「うん……うん……」
聖の望むように身を委ねた。
「…………聖、さん」
聖の背広を、強く、強く掴む。
「聖さん」
どうしたら伝わるのだろう。
胸の裡で膨らんでいく何かを。
「アタシは、此処に居る」
「…………うん」
「此処に居るから」
「和葉ちゃん……」
和葉を抱きしめる聖の手は、
「僕は……僕は……」
僅かに震えていた。