盛岡・岩山の森林、なぜ伐採? 1957年から学校林に
盛岡市の岩山展望台付近で「一帯の森林が伐採されたのはどのような理由か」と岩手日報社特命取材班に疑問が寄せられた。この森林、地元の管理団体に土地を借りた市が昭和に盛岡・河南中の学校林として整備。60年以上経過し、伐採時期となっていた。一見すると普通の山林だが、地域にとって大事な思い出の場は「転換期」を迎えた。今後は自然の力による再生が進む見通しで、管理に携わった住民は青春を懐かしむ。
岩山展望台に立つと、東側に木が伐採された山肌が広がる。管理団体「東中野財産区」管理会長の吉田宏さん(79)=同市東中野=は中学時代を振り返り「昔遊んだ景色が思い浮かんでくる」と笑った。
伐採したのは、市動物公園ズーモ、岩山パークランドに接する12ヘクタール。市によると、土地は財産区が所有し、市が1957(昭和32)年から「河南中学校林」として主にカラマツを植え、管理してきた。
伐採時期となり、市は財産区と協議した上で、2022年12月に2750万円で立木を売却する契約を業者と結んだ。23年10月~24年8月に6023本を伐採し、財産区は約1060万円の配分を受けた。
山林は古くから引き継がれる地域の共有財産でもある。市などによると、明治初期、東中野村など一部の農民が牛馬の飼育やまきの採取場所として山林を取得。戦後は畑や雑木林だった。河南中の50周年記念誌には、生徒が1963(昭和38)年まで植樹や草刈りを続けたと記録される。愛林思想を養うなどの目標を掲げ、育苗や肥料の比較研究も行っていたという。
「鎌を持って遠足に行った。クラス単位で一斉に下から上に向かって草刈りをした」。吉田さんは中学生の当時を思い返す。卒業後は有志が「山頂会」と銘打って学校林や市内を眺めながら語らう会を開催。在校生には思い入れが深い場所だった。
伐採後、山林の管理は市から財産区に切り替わった。今後は立木の売却益を役立てながら自然に任せて森林を再生し、次の世代へつないでいく。地元の歴史をひもとく「岩手郡中野村誌」をまとめた吉田さんは「地域の大きな転換期」と受け止め、「住民に知らせながら、整備方法を検討していきたい」と話す。
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