【阪神再建に挑んだ男たち】「よき敗者」中西太、ブレイザー監督途中退陣…緊急避難で後任に

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★中西太の横顔

 1933(昭和8)年、香川県高松生まれ。高松中-高松一高から52年西鉄ライオンズ入団。打率・281、12本塁打でパの新人王。2年目に36本塁打、86打点で2冠王。4年連続ホームラン王と「怪童」の名をほしいままにし、稲尾和久、豊田泰光とともに最強ライオンズを築いた。53年には平和台で史上最長不倒の160メートルのホームランを打った。

 62年から西鉄の監督を兼任し、63年には優勝。74~75年日本ハム監督。80年途中からブレイザーのあとを受け阪神監督。81年限りで安藤統男監督と交代した。打撃指導に定評があり、いろいろなチームにコーチとして引っ張りだこ。実動18年で1262安打、244本塁打。MVP、首位打者2回、打点王3回、本塁打王5回。監督として通算14年で748勝。

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