ブレイザーのスタッフだから「南海系」のコーチが残り、それにのっかった中西が自分のスタッフもそろえられずパの雑居ビル状態のコーチ陣でどれだけの戦い、改革ができたのか? といえば気の毒としかいいようがない。やがて「中西太」というキャラクターを好んだ社長はその中西にも限界を感じて、生え抜き監督安藤統男へと傾倒していく。それがわかるから…監督中西太は岡田彰布の打撃ケージにへばりついて「この男を俺は必ず一流に育てたい…」と絞り出すように言っていた。
中西監督の1年半(80年途中から81年)では、1年目の10月の広島戦でのエース江本孟紀の藤江コーチへの暴言、2年目の8月末のヤクルト戦での「ベンチがアホ!」発言が有名になり、投手陣を調教できなかった後遺症で力尽きるのだ。
実は田淵は「このままではダメだ」と再起にかけようとしていた。それを問答無用のように外国人監督はバサッと「粛正(トレード)」した。その改革とは名ばかりの乱暴なチームの体質改悪の刷新人事の余波を、危機管理型ではない監督中西太はモロにかぶり、それでもポスト田淵の掛布雅之を指導し、岡田彰布に方向を示したのは大いに評価してよい。
皮肉なことにブレイザーは『よき敗者たれ』とナインに教えた。それを実践したのはヘッド役の中西太だった。 (敬称略)=終わり