【阪神再建に挑んだ男たち】「よき敗者」中西太、ブレイザー監督途中退陣…緊急避難で後任に

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 しかも顔が広くない。で、ヤクルトをクビになったヒルトンに声をかけた。岡田が入るというのに…だ。これは小津社長の「外国人監督人事」の最大の失敗だ。岡田はイジメに遭い、苦しみ、2年目のブレイザーは5月に「退陣」に追い込まれる。

 そして…中西太に緊急避難の監督がまわってきた。

 もちろん中西は「岡田彰布をキチンと育てる」作業に着手した。彼は1962年に28歳で西鉄ライオンズの兼任監督に就任して苦労した。そして日本ハムで2年間「監督」をやったが、その「打者を育てる指導力」は際立っていたが、投手のまとめは弱点だった。

 球団社長小津正次郎のブレイザー起用は結局「田淵放出」という負の部分が強くチーム改革とはいえない。そしてブレイザーが岡田を回り道させて…あげくのはてに中西太という温厚派の指揮官に何をもとめたのだろうか?

 「俺はガンだ。もう長くない…」とマジで中西は筆者に言いだして、遠征先の宿舎で口をひらいてこっちに「見ろ」という。そんな監督の真剣? な姿をみて選手がどう思うか…。

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