株式会社ガーデン 代表取締役社長 川島 賢氏 | |
生年月日 | 1971年2月5日 |
プロフィール | 高校卒。就職することなく、フリーター生活を送りながら、25歳で起業。カラオケ事業の再生を皮切りに、次々と不採算事業を再生し、15社以上のM&Aも実現するなど高い評価を受ける。創業のカラオケ事業を売却し、飲食に主軸を移す。2022年12月現在、「壱角家」などのブランドを210店舗展開している。 |
主な業態 | 「壱角家」「山下本気うどん」「肉寿司」他 |
企業HP | https://gardengroup.co.jp/ |
足が速いと色々有利だ。運動もできるし、なにより、注目される。トークも楽しく、人気者。「あの頃は、モテモテだったんですよ」と笑うのは、1971年生まれの川島社長。株式会社ガーデン、代表取締役である。
「勉強はできる方だったと思いますが、勉強そのものはまったくしなかったですね。何をしても飽き性でつづかない。そんな少年でした(笑)」。
足が速いから、中学生になると陸上部に入る。だが、本人曰く、ぐうたらだからサボってばかり。
高校は、どちらに進まれたんですか?
「港区にある芝商業高校です。商業を選択したのは早く独立したいと思っていましたし、じつは、私の小さい頃にセブンイレブンが出店を開始した頃で、ちかくに次々とセブンイレブンができていったんです」。
それに、興味を持った?
「そうなんです。小さいながらにも。イトーヨーカドーにも買い物によく行っていて、それで創業者の伊藤正敏さんに興味をもって、本も読ませていただきました。中学生くらいですから、十分、理解はしていなかったと思うんですが、伊藤さんが、芝商業高校の出身だと知って、行くならここだろうと」。
早くも事業に関心を抱いていたことを示すエピソードだ。
ただ、志は高かったが、飽き性が顔をだす。
「週5日は学校に行きました、ちゃんとね。でも、遅刻ばかり。高校1年までは勉強しなくても、なんとかついていくことができましたが、高校2年の頃には、何が何だか、やばいくらいわからない(笑)。だから、益々、勉強をしない。学年でビリが指定席です(笑)」。
バレー部にも入ったが、辛くてすぐに逃げ出した。
「高校時代は清掃のアルバイトで月10万円くらい稼いでいました。バイトもまぁ言えば大人の世界ですが、じつは麻雀にハマって、雀荘に行っては大人相手にリーチ!ロン!の世界です」。
進学どころの話ではなかったそう。「私の卒業が決まったのは、卒業式の1週間前。担任の先生が職員室で教職員や教頭に泣きながら土下座してくれたおかげなんです」。
高校は卒業できたが、むろん、大事なのは、そこから。風船のような少年は、どんな青年になっていくんだろうか?
「マジメに仕事はするんですが、指示されるのがイヤな性格だからそもそも正社員は向いていなかったんでしょうね」。職も転々としたが、引っ越しも30回以上と、回数を重ねる。引っ越し代だけでたいへんだ。あいつはいまどこだ?という話が、とびかったにちがいない。
ただ、どこにいっても注目されたんじゃないだろうか? ポジティブで、話も、面白い。「たしかに、ネットワークはそれなりに広がりましたね。縁あって起業したのは25歳の時です。知人の紹介で、不採算のカラオケBOXをもらい受け、事業を開始しました。カラオケBOXってだいたい1億円くらいの初期投資がいるんですが、うちは0円。0円でもいいからやらないかと言われスタートしたわけですから」。
いかがでしたか?
「最初の数ヵ月は月商300万円程度でうろちょろするんですが、半年くらいで1000万円をオーバーします」。
まさに、V字回復ですね?
「ありがたいことにそうですね。当時、社員は私1人。むちゃくちゃ効率的です(笑)」。
話を聞くと、割り切った戦略だった。「初期投資がないから、むちゃくちゃ安くしました。極端な話、0円でもいいんです。かわりにジュースとかで、利益を取ることができますから」。
平日から満員御礼。
「ちょっといけなかったのは、高校生が学校に行かずにうちにきちゃうようになったことですね(笑)」。安くて、楽しめる。そりゃ、人がくる。
「2店舗目を出店する際に、はじめて社員を採用するんですが、それが、今の専務です」。
専務はもとバンドマンで、デビューも決まりかけていたらしい。カラオケBOXには、もってこいの人材だ。
「不採算のカラオケBOXを買い取り、再生するビジネスモデルで合計10店舗まで突っ走ります。3年で年商10億円。もう、イケイケです。ただ、イケイケすぎて、そのあと本厚木、ひばりが丘、熊谷に3店舗同時オープンしたりするんですが、ちょっとヤバかったですね。本厚木は閉店。ひばりが丘、熊谷も苦戦。競合店が勝手にコケてくれたおかげで、なんとか黒字化したんですが。手当たり次第、買い取ったり、出店したりしたもんだから、資金繰りができなくなって大ピンチです」。
どうされたんですか?
「ある銀行さんの新宿東口にある支店に、アポなしで突撃です。担当から支店長につないでもらって、支店長に包み隠すことなく現状をお話しました」。
「融資していただかないと、今月末で潰れます」。むろん、頼んだからと言って融資が下りるわけがない。支店長は、川島氏になにをみたんだろうか?
「ありがたいことに1億円を融資いただきました。それだけではなく、事業モデルを絶賛いただいて、アドバイスというか約束を色々交わしてもう1億円、融資いただけたんです」。
その時の話を聞くと、支店長のアドバイスは、1億円以上の価値があったように思う。事業モデルも評価されたが、何より川島という人間が評価された証だろう。学年ビリの生徒が、億単位の評価を受けた証でもある。
カラオケ事業は、専務に任せ、自身はラーメン店の事業にチャレンジする。
ただ、カラオケとラーメン店は、ぜんぜん違う。大丈夫なんだろうか?
「たしかに、そうなんですよね。でも、その頃には、私もちょっと有名人になっていて、再生の話が向こうからくるんです。もともと、そのラーメン店は、潜在的なちからはあったんですね。ただ、私も慎重になって、いったん部長として入社して、この財務なら間違いなく再生できるだろうと確信して再生を開始します」。
なんと、8000万円の赤字が8000万の黒字化まで改善したそうだ。それが、今の「壱角家」の始まり。ホームページには、家系ラーメンの最高峰と記されている。
「株式の上場を狙うくらいにまでは、大きくなりましたが、もうおわかりのように、けっして順風満帆だったわけではありません。リーマン・ショックの時はとにかくきつかったですね。飲食自体は、それほどダメージを受けたわけではないんですが、うち借入金が少なくなかったもんですから」。
融資を断られるだけではなく、貸し剥がしにもあったと乾いた声で笑う。「『もう辞めだ』っていいたかったんですが、そういうわけにはいきません」。
銀行にはとびこむな、と、例の恩人の支店長に、その昔、釘をさされていた。「メインバンクからして、貸し剥がしですからね。もう、どうすることもできない。でも、できないなら、潰れるしかない」。
電話をかけまくる。
「沖縄から北海道までのすべて銀行をリスト化して、北から次々、電話をかけていきました。相談に乗ってくれる銀行なんて、ぜんぜん現れない。でも、徳島まで進んだ時に、神の声ですね。徳島の銀行がビジネスローンを組んでくれたんです。そのあと、何行かでビジネスローンを組んで、なんとかピンチ乗り切ることができたました。この経験は、私にとって、違う意味で財産になっています。コロナ禍でも、うちは、びくともしなかった。たまたま組織を固めたタイミングだったことも幸いしたわけですが、この時の経験をいかし、キャッシュをつねにもっていたからです」。
ところで、カラオケ事業は、売却されていますね。
「そうですね。カラオケは大手が独占しているし、国内需要だけですからね。頭打ちだと思っていましたので、創業の事業でしたが、第一興商さんに売却させていただき、飲食に主軸を移しました」。
2022年12月22日、現在、ガーデンは国内だけではなく、タイ、マレーシアを含め、3ヵ国に210店舗ある。むろん、指揮者は、川島氏。
「じつは一度、会長職になったんですが、組織がうまく回らなくなって、売上も落ち込み、会社が傾きはじめてしまって。それで、社長職にもどり、今度は自社の再生です。もちろん、V字回復。ただ、コロナ禍になり、またまたピンチ。もっとも、今度は、さきほどもいったように資金は潤沢にありましたから、右往左往することはなかったんです。ピンチは乗り越えることで、ちからにも、財産にもなるという好例だと思っています」。
M&Aはガーデンのビジネスモデルの一つ。資金がなければ、スピード勝負についていけない。しかし、飽き性でつづかず、転々とした青年が、いつ、これほどまでにスイッチが入ったのだろうか。
「人生っていうのは、わからないもんですよね。20歳くらいの時に、好きな子がいたんです。でも、私が定職に就かなかったもんだから留学に行っちゃった。お恥ずかしいけど、仕事に本気になったのは、この時から。もちろん、いい先輩にも出会いました。まだ、私がフリーターだった頃、もともとNHKの報道員だった店長がいて、バカじゃないのって思うほど、お客さんに親切で。でもあとになって、そうか、あれが仕事に対する本来あるべき姿なんだと、教えられました」。
人はかわる。学年ビリからの大逆転が、それを証明している。だから、痛快だ。セブンイレブンの快進撃に興味関心をもった少年の未来と言えば、わからなくもないが。
「たぶん、勉強でも、スポーツでも、仕事でもどう取り組むかですよね」。
川島氏が言うから説得力がある。
ホームページを参照いただければわかるが、川島氏は、次々とM&Aを行い、悉く、事業を再生させている。資金力だけでは、むろんない。資金より、人。
ホームページでも「人材のモチベーション管理とコーチングを駆使し、受け身ではなく主体性をもって働ける人材を育成します」と、事業再生の処方箋を挙げている。
1人1人が主体性をもって仕事に取り組むこと。至極、真っ当な答えだが、じつはこれがいちばん難しい。川島氏の人を動かすちからのすごさを物語っていると言えるかもしれない。もしくは、人はかわることを知っているからこそ、できることかもしれない。
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