株式会社一品香 代表取締役社長 鳥生恒平氏 | |
生年月日 | 1978年7月19日 |
プロフィール | 大阪府枚方市出身。高校時代、「大阪王将」でアルバイトを開始。専門学校に進むもバイト重視の生活で1年で退学。24歳で株式会社大阪王将に就職。「よってこや」をはじめ、ラーメンブランドを担当し、執行役員に。2023年1月現在は、新たにグループ入りした株式会社一品香の代表取締役社長を務めている。 |
主な業態 | 「一品香」「華濱楼」「海遊」 |
企業HP | https://www.ippinko.jp/ |
「調理実習で炒飯をつくったのがいけなかった」と、今回ご登場いただいた鳥生氏が笑う。なにがいけなかったというと。「うちの高校はアルバイトが禁止されていたんです。でも、つい、いつもの要領で炒飯をつくったものだから」。
バレてしまった?
「そう、プロみたいじゃなく、プロそのものですからね笑」。
鳥生氏が生まれたのは、1978年7月19日。
鳥生という苗字はかわっているように思ったが、愛媛県の今治には多いらしい。ちなみに、お父様が愛媛出身。鳥生氏自身は大阪の枚方市生まれ。兄弟は2名。
鳥生氏は長男で2つ下の次男は、特待生で同志社大学に進み、現在は大手企業での社長の秘書を務めておられるそうだ。
「小さい頃から、今みたいな性格だった気がしますね。明るくて。これはたぶん母親似。日曜日には、みんなでハイキングが日課でした。これは、父の趣味です」。
お父様は、個人事業主として金型の設計をされていたそう。なんでも、鳥生氏が小学校くらいに独立されたそうだ。理数系で数字が好きで寡黙なタイプとのこと。
スポーツはサッカー。
「小学高学年から高校で膝を怪我するまでは、サッカー漬けです」。
アルバイトは、そのあと?
「そうです。ちかくにある『大阪王将』にアポなしで突撃し、『アルバイトさせてください』って笑」。
とびこんだわけですか?
「それで、私の人生が決まるんだから、不思議ですね」。
「料理人がかっこよかったですね」。
たしかに、それはわかる。中華鍋ひとつでいろんな料理をつくりだす料理人は、食のクリエイターだ。炒飯ならこう。鍋を火にかけ玉子を投入。お玉でかき混ぜ、ご飯と具材を追加。お玉で調味料を救い上げ、適量を鍋のなかに流し込む。五徳と鍋底がリズミカルな音を奏で、ご飯と具材と玉子がはねあがる。そして、完成。まるで、芸術。自宅では、もちろん、真似ができない。
「見様見真似でしたが、私も賄いをつくらせていただくようになっていきます。もちろん、プロにはかないませんが、少しずつプロにちかい料理ができるようになっていきました」。
「大阪王将」は1969年、大阪の京橋で誕生する。餃子専門店としてスタート。
たしかに昔は「餃子とビール」だけだった気がする。関西人のなかでは、「餃子=大阪王将」というイメージがつよいのではないか。
餃子専門店から、いまのメニュースタイルになるのは、創業者のご子息、現イートアンドホールディングス代表取締役会長CEOの文野直樹氏が2代目の社長となられた時から。むろん、鳥生氏がアルバイトをはじめた頃はすでに現在、同様、中華料理店の幅広いメニューとなっていたはずである。
「私がアルバイトを始めたのは、比較的、大型店でした。料理はこちらで修業させていただいたりしたわけですが、のちにラーメン部門の『よってこや』に異動しました。こちらは10坪少しの小型店舗」。
「よってこや」は「京都鶏ガラとんこつ屋台の味」。今や大阪王将の主要ブランドの一つだが、当時はまだスタートしたばかり。
「高校3年の12月に南口にオープンし、その半年後に寝屋川にもオープンします」。
「よってこや」の興隆に一役買った鳥生氏だが、むろん、アルバイター。就職したわけではなく、鳥生氏も、まさか大阪王将に就職するとは思っていなかったのではないだろうか。
接点はあったが、交差しただけで、離れ離れとなるのは、むろん、ある話。
「高校を卒業してからはいったん2年制の専門学校に進みます。当時は、スポーツ関連の仕事に就ければと思っていました。だから、進んだのもインストラクターを養成する専門学校です」。
ただし、1年生の終わりに退学している。
「スポーツ系ということもあって、体力維持のため20時以降のバイトが禁止されていたんです。が、そういうわけにはいかないでしょ。そういうこともあって、退学してフリーター生活がスタートします」。
なんでも、学校からクレームの電話が入ったらしい。ところで、その頃にはもう、バイトといっても経験は長い。新店立ち上げも経験済。
「そういうキャリアを評価いただいて、直営店を恵比寿にオープンする時に声がかかります。文野社長と出会ったのは、その時が最初です」。
関西弁の青年が、大都会東京の恵比寿で奮闘する。
「当時の恵比寿は、ラーメン激戦区だったのでけっこうたいへんでしたね。私自身はオープンから4ヵ月ほど向こうで仕事をさせてもらって、いったん状況が落ち着いたこともあって大阪にもどります」。
ミッションコンプリート?
「そうですね。なんといってもアルバイトですしね(笑)」。
ところで、「大阪王将」以外でも、アルバイトは経験されましたか?
「もちろん、トラックに乗ったり、そうそう営業の仕事も経験しました。いろんな経験を積みながら、私自身がやりたいことを模索していた、そんな数年間だった気がします。大学に進学したともだちが社会人デビューする時には、多少、焦ったりもしましたが、私が社会人デビューするのは、2年後の、2002年の10月、24歳の時です」。
もちろん、就職先は大阪王将ですよね?
「色々、模索したうえで、行き着いたのが『大阪王将』でした。ほかにも色々、あったんでしょうが、私はこれで正解だったと思っています。うちの両親も、いつの間にか『大阪王将』のファンだったので、反対もされず、逆に喜んでくれていましたし」。
高校3年間から密接な関係を保ってきた舞台で、晴れて正社員となった鳥生氏は、どんな仕事をしていくんだろうか。
「6~7年ちかく関西で店長を経験し、再度、東京です」。
今度も、東京遠征で実績を残し、関西にUターン。関西マネージャーになり、ラーメン部門の指揮を執ることになった。「大阪王将」はむろん、規模が大きい分スタッフも多いわけだが「よってこや」を東西で極めた人は、そういないはず。「大阪王将のラーメン部門に、鳥生氏あり」と言われたのではないだろうか。
2023年現在、「大阪王将」ラーメン部門には、「よってこや」の他に「太陽のトマト麺」というブランドがある。もちろん、いずれも鳥生氏が密にかかわっている。
「イタリアンとラーメンが融合して生まれたのが『太陽のトマト麺』。トマトのうまみが凝縮されたヘルシーなラーメンです」。
ブランドサイトの「歩み」をみると、最初は<鶏パイタン麺専門店「よりみち屋錦糸町店」としてオープン>したそう。それが2005年のことで、翌年、メニューを刷新 トマトらーめん専門店として再スタート。名称が「太陽のトマト麺」となったのは2007年のこと。
鳥生氏が「太陽のトマト麺」を担当するのは、2008年「大阪 福島駅前支店」オープンの時。
「東京でヒットした『太陽のトマト麺』だったんですが、関西ではイマイチというか。なかなか想定通りの結果がでません」。
どうされたんですか?
「東京で実績もありましたし、1度食べていただければと。いわゆるラーメンとは異なりますが、だから逆に唯一の存在として注目されてもいいと思っていました。で、『そうか、TVに取り上げられたら』と、安直ですがTV局に日参して、警備員さんに毎日、無料券を配布して笑」。
狙い通り、TV局の人が来た?
「そうなんです。TV関係のお客様がいらっしゃるようになってしばらくして関西の朝の人気番組でオンエアされました。反響があったようで、それ以来、雑誌やTVで取り上げられ、『太陽のトマト麺』がメディアを彩ります」。
ちなみに、グルメサイトをみてみると評価は高い、高い。「これは、ハマる」といった口コミもあった。関西では、まだ大阪の2店舗だが、ラーメンの新ジャンルとして確固たる地位を築いているのが、これ一つからでも理解できる。
やがて、鳥生氏はラーメン部門を統括するようになり、執行役員に名を連ねることになる。
「『横濱一品香』は文野社長と意見交換をして子会社化を進めさせていただいた、いうならば大阪王将の新ブランドです。前社長の意向もあり、社長を交代し、現在、私がこちらの社長を務めています」。
横濱一品香は「元祖・横濱たんめん」の店として知られている。創業は昭和30年、「横浜、野毛にて3坪、カウンター9席」でスタートしたそうだ。「大阪王将」の始まりと似ていなくもない。
歴史が長いぶん、経営は難しい。
「創業された会長は積極的な経営手法で、前社長は安定性を重視されたフォーマルな経営スタイルでした。攻めのパートナーとして『大阪王将』と選択いただき、すでにお話しました経緯もあって、私が社長に就任します」。
むろん、コロナ禍で、通常でも経営は難しい。
「2021年からデリバリーも開始しています。今までのノウハウが通用しないなか、何をすればいいか。当然、チャレンジが大事だと思って、冷凍やオンラインショップにも挑戦しています。店舗数では、神奈川を中心に現在の10店舗を30店舗に拡大していこうと思っています」。
「横濱たんめん」。
ネーミングがいい
「今のもう一つの問題は、人材難ですね。労働環境の改善はもちろん、給与体系も見直しています。また、外国人の採用もスタートしています」。
さて、鳥生氏は、ハマっこがハマる「横濱たんめん」をどう料理するのか、それが楽しみ。「横浜中華と言えば、横濱一品香」と呼ばれる日も、そう遠くないだろう。
よってこや時代。 |
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