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31歳で乳がんを経験した私が、第二子も仕事も諦めなかったワケ

育児・スポーツ・音楽・ダンス・推し活など……。
働き方の多様化が進むいま、仕事と別の活動を両立して、自分のライフスタイルを確立している人も多いと思います。

連載企画『わたしの #もうひとつのかお 』では、マイナビの仕事以外の「かお」を持つマイナビ社員に、その活動にかける想いや、両立法について聞いていきます。

読者の皆さんにとって、ご自身のワークスタイルを考える“ヒント”になれば嬉しいです。

第11回は、31歳で乳がんを患いながらマイナビ管理職として働き、病気を乗り越えた現在、二児の母でもあり、ピンクリボン運動(乳がんの「早期発見・早期治療」の大切さを世界の女性たちに伝える運動)にも積極的に取り組む丸橋真生さんの寄稿でお届けします。

毎年10月はピンクリボン月間とされており、乳がんに関する正しい知識の普及、乳がん検診の受診を通じた早期発見・早期治療の啓発を目的として様々なイベントが各地で開催されます。それに合わせて、31歳という若さで乳がんを経験した丸橋さんが、ライフイベントやキャリアを諦めずに進み続けられた理由に迫っていきます。


【プロフィール】

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丸橋真生(まるはし・まい)
2010年に毎日コミュニケーションズ(現:マイナビ)に新卒入社後、就職情報事業部の営業職に従事。育休明けの31歳で乳がんが見つかり、治療を続けながら営業推進としてマイナビに復帰。現在は東京の営業推進部で課長を務める。完治後はプライベートでピンクリボン運動にも積極的に参加し、数々のイベントなどに登壇。二児の母。

「まさか私が」9人に1人がかかる乳がんに気づいた日

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人間ドックに誘ってくれた先輩が10年後、上司に。

31歳のクリスマス、今までの人生で最も悲しい一言を告げられた日。
「検査の結果、右胸のしこりは悪性腫瘍と認められました。乳がんです。」
 
毎日コミュニケーションズ(現:マイナビ)には、2010年春に新卒で入社しました。営業でがむしゃらに売上を追い続けていた20代後半のある日、当時お世話になっていた先輩に『年に1回は人間ドック受けよう!』と誘われたことがきっかけで、自分の健康と向き合う日をつくろうかな?という意識が芽生え、毎年健診を受けるようになりました。
 
その後、2016年に結婚し、翌年に長女を出産。育休を経て2018年春に営業へ復帰しました。その頃は妊娠中で受けられなかったこともあり、人間ドックからは少し遠のいていました。

初めての育児と仕事の両立に頭を悩ませる日々が半年ほど続いた頃、微熱が下がらず胸騒ぎに襲われる夜を過ごすことが増えました。何度か内科や婦人科を受診しましたが原因不明。この時にふと気づきます。
 
❝そういえば私、2年以上も人間ドック受けてないじゃん!❞
 
31歳の冬、マイナビの補助金制度を利用して人間ドックを受診。ブレストチェックでは到底気付くことのできない14mmのしこりが超音波検査により発見され、12月25日に乳がんの告知を受けました。

「まさか私が」「もしかして死ぬのかな」と、絶望の淵に立たされました。


我が子から教わった命の尊さと家族・同僚の支え

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全摘後の入院中で長女が1歳の頃

乳がんの告知を受け、一時は堕落の底に突き落とされましたが、長いこと落ち込んだりふさぎ込むことはありませんでした。それは第一に、まもなく2歳になる長女の存在と、夫の存在があったからです。
 
❝私には、かけがえのない家族がいる!❞と、主治医から提案された右乳房全摘の手術を迷わずに受け入れようと決めました。しかし同時に重大な忠告を受けます。

「当分、妊娠は控えるようにしてください。」
 
全摘後は再発を防ぐためにホルモン療法が始まり、毎日ホルモン剤を飲み続けます。手術から最低でも5年前後は、出産時の様々なリスクを想定して妊娠を控えてほしいということでした。

第二子を考えていたので、「もう子供を産むことができないかもしれない」という事実に堪えていた涙が一気に溢れました。唯一の救いは、長女がいてくれたこと。もし乳がんになる前に授かっていなかったら・・・と、より尊い存在になりました。
 
次に支えられたのは同僚です。人間ドックで要精密検査となったときから相談するほど信頼関係が強かった当時の上司は、自分のことのように心配してくれ、告知から2週間後に手術の目途が立ったときは早急に必要な調整をしてくれました。

また当時の私は課長として配下に3名のメンバーがいて、彼らへも包み隠さず話しました。
自分の性格的にオープンである方が周囲にも受け入れられやすいと思い、休職直前は同僚全員へ乳がんであることを知らせました。30代でもがんにかかるリスクを同時に伝えたかったという思いもどこかにあったと思います。
 
手術直前に同僚から「病気平癒」のお守りをいただき、当時担当していたクライアントにも「無理せず戻っておいで」と言っていただけました。待ってくれる環境があったからこそ、仕事を辞めるという選択肢は一切浮かびませんでした。


治療中の職種異動と二人目の育休で培ったスキル

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初めて家族4人で大好きな沖縄へ

「妊孕性(にんようせい)温存療法※という治療はご存知ですか?」
主治医から乳がんの手術前に提案されたのは、数年後の妊活に向けての選択肢でした。

2歳になる長女にきょうだいをつくってあげたいと思っていたので、夫と1%でもプラスに転じる可能性があるならと、手術後は妊孕性温存療法に踏み切ることにました。

※妊孕性温存:加齢や病気の治療などによって、失われてしまう妊娠する力を、何らかの方法によって保存する事。

その頃マイナビでは入社10年目を迎え、ホルモン療法を続けながら営業課長として働いていました。

その頃、私を人間ドックに誘ってくれた先輩が統括部長となり、「これまでの営業経験を活かしてステップアップしないか?」と誘われ、横浜の営業から神奈川・静岡エリアの統括部付けの営業推進へ異動を決めました。
 
ホットフラッシュ※という治療の副作用と戦いながら働くことは容易ではありませんでしたが、異動の経験は私のキャリアにおいて大きな刺激になりました。営業統括部全体を支える立場になったことで、俯瞰的に一人ひとりの特性をみながら組織開発できるやりがいを感じることができたし、人脈も広がりました。

そうして2020年、コロナ禍の全社の表彰式で大きな賞をいただけたことは今でも誇りに感じています。

※ホットフラッシュ:エストロゲンの低下で体温調節がうまくできなくなることがあります。そのため、急に汗が出たり、顔がほてったり、急に寒くなるなどの症状が出ます。

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コロナ禍でオンラインでの表彰式

営業推進になり丸3年が経過した頃、主治医から「90%再発はない」と診断を受け本格的に妊活を開始。2022年11月、次女を出産しました。

この頃から、育休中にも関わらず、同僚やまだ関わりのない社員から婦人科系の病気や不妊治療の相談を受ける機会が増えたのです。
それがきっかけで、❝私の経験は、身近な人たちだけでなくもっと多くの女性やそのパートナーの参考になるのではないか?❞と思い始めました。

それからは、1年半の育休期間をサバティカルタイム(第二の職業人生を模索する期間)と捉えるようになり、営業の経験を活かして大手新聞社へ自らの経験を売り込み連載にしていただいたり、個人ブログやラジオを始めたりしました。また、Instagram(@pink_cancer)を通じて少しずつ全国の罹患者さんたちと情報交換ができるようにもなり、乳がんになってもポジティブな発信を続けることが、誰かのためになると分かりました。


小1の壁…退職か?本社異動で見えた新たな世界

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現在所属している東京の統括部

二人目の育休明けが迫った頃、マイナビで働き続けるか正直悩みました。乳がんに関わる仕事が徐々に見えてきた頃でもあり、長女の「小1の壁」にもぶち当たっていたため、フリーで働くという選択肢が頭を過りました。
 
そんな私を引き留めてくれたのは、10年前に私を人間ドックに誘ってくれたあの先輩でした。「今の経験をマイナビで更に活かすことはできるし、また一緒に働こうよ!」と。さらに長女からは「ママ、マイナビ辞めないで!お友達たくさんいるじゃん!」と言われ(笑)夫にも「なんだかんだ言ってマイナビが大好きでしょ?」と言ってもらい、自分はマイナビという会社がとても好きだったなということに改めて気づかされました。
そうして復職を決め、同時に神奈川支社から東京の本社へ異動しました。
 
傷病直後だったので環境の変化は不安でしたが、新天地での仕事は新鮮で想像以上に楽しいです。100人近く初めて会う同僚がいるため、私の経験をもっとマイナビで拡大することができるという確信にも変わりました。


ピンクリボンアドバイザーそしてマイナビ社員としての目標

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ピンクリボンのイベントでの登壇中

日本では毎年10月がピンクリボン月間(乳がん検診月間)とされているのをご存じでしょうか?

私も乳がんになる前はピンクリボンマークが目に留まることすらありませんでしたが、病気を乗り越え、乳がんを患ってもキャリアやライフイベントを諦める必要はないということを証明したいと思い、2023年12月にピンクリボンアドバイザー(認定NPO法人 乳房健康研究所)の資格を取得しました。

私は命を救うことはできないけれど、女性のキャリア形成、妊活、出産、育児そして病気のことについて自身の経験を出し惜しみなくアウトプットしたいと思っています。
 
わたしのもうひとつのかお、それはピンクリボンアドバイザーとして一人でも多くの女性やそのパートナー、友人、ご家族の参考になるポジティブな発信を続けていくことです。
 
今年のピンクリボン月間は、横浜市港北区保健福祉課の方々と共に活動をすることが決まりました。昨年、自宅近隣で開催されていたピンクリボンイベントへ飛び込み、港北区役所の方々と名刺交換をしてパイプをつくり、今回へと繋がりました。
10年以上マイナビで培ってきた営業経験が、私のピンクリボン活動の土台になっています。
 
また、マイナビでの勤務も15年目になりました。異動から半年、まだまだ反省ばかりの毎日ですが、営業推進として組織全体を面でサポートして、自部署に配属された営業にこの組織で働けてよかったと思ってもらえる環境を提供することが理想です。そして、いつか同僚に限らず自らの経験が人伝で拡がり沢山のマイナビ社員が検診を受け、企業の健康意識向上につながることも大きな目標です。これぞ、マイパーパス!!
 
 
最後にnoteを読んでくださった皆さんにお伝えしたいこと、それは
どんなに忙しくとも1年に1回は『自分を1番にする日』をつくってください。つまり必ず検査を受けてください。結果が問題なければ乾杯です!
 
例え問題があったとしても早期発見できればキャリアやライフイベントを諦める必要はありません。人生100年時代といわれる今こそ、自分でしか行動にうつせないことがあります。
 
定期的に受診をして健康的な日々を送れる人たちが増えてほしいと心から願っています。
 
『マイナビの社員は健康的で素敵だね!』と、社外のヘルスリテラシーまで高まれば本望ですね!

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先輩(現上司)と第二子育休前の最終出勤日

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