板垣情報(7/28配信)より
韓国は統一教会を使って日本に「乞食外交」を行い、日本の財産を韓国に持って行った。その額は何千億円を優に超え、兆の単位になるだろう。
その「乞食外交」のための「統一教会・勝共連合」の窓口になっていたのが、岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の三代だったということだ。
統一教会への献金で財産を搾取された人たちの多くは、破産に追い込まれて家庭崩壊し、なかには自殺に追い込まれた人もたくさんいる。
まさに山上容疑者の家庭環境は、統一教会被害家族のモデルケースだったといえる。同じような境遇に追い込まれた被害者はたくさんいる。
(参考)
そうした犠牲の上に成り立っていたのが、日本の保守であり自民党であったという「日本の暗部」の一端が、あの銃撃により露わになった。
安倍は、表では「反韓政治家」のレッテルが貼られるくらいの言動をしてきた政治家だったが、しかし、実は韓国との関係は祖父・岸信介の代から密接だった。
安倍晋太郎氏「私は朝鮮人だ」
韓国の大統領が国内向けに支持率を上げるために「反日」の言動を取らざるを得ないのと同じで、安倍も「反韓政治」の言動で支持率を上げてきた。
しかし結局は裏では手を取りあう完全出来レースだったということだ。出自も半島系であることは、父・安倍晋太郎が自ら話していたことでもある。
安倍晋三首相のルーツは、山口県の南東部の町「田布施町」にあった。「朝鮮部落」とも言われた地域だ。祖父の岸信介、大叔父の佐藤栄作と2人の内閣総理大臣を出した「町」は全国でも田布施町だけである。
この町の出身者には、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八郎、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などがいる。(中略)
祖父・岸信介の岸は「木+子=李」を意味しており、「日韓併合」の憂き目に遭った「李氏朝鮮」との縁を感じさせる。(一部転載終了)
◆安倍晋三氏のルーツとは?
李氏朝鮮(Wikipedia)
1392年8月から1897年10月にかけて朝鮮半島に存在した国。高麗の次の王朝にあたり、朝鮮の歴史における最後の統一王朝である。(引用終了)
李成桂(李氏朝鮮建国の王)
李成桂の「桂」から木偏を外すと、〇〇圭になりますね~
★1909年・・伊藤博文が安重根により暗殺される
★1910年・・日韓併合(当時の朝鮮は大韓帝国)
李垠(リ・ギンorイ・ウン)と方子妃(梨本宮方子)
★1907年、李垠は純宗の皇太子となり、日本に留学
★1910年、韓国併合により、日本の皇族待遇となる
★1920年、梨本宮方子さまと婚姻
★1921年、第一子「李晋(りしん)」誕生
★1922年5月11日、朝鮮で李晋が急死する
李晋(Wikipedia)
1922年4月23日、李垠夫妻は「生後8か月の晋」を連れて東京を発ち朝鮮に里帰りしますが、なんと、晋は急死してしまいます。
ここからは飛鳥先生の説であり、一般には陰謀説と言われていますが、守護靈さんに尋ねたところ「本当の話だ~」とのこと。
安倍寛(Wikipedia)
朝鮮に里帰りする直前、李晋を安倍寛氏(現在の山口県長門市)に預けます。つまり、朝鮮で急死した「李晋」はダミーだったということです。
李晋は安倍晋太郎氏なんです。だから、自ら「私は朝鮮人だ~」と告白していたのです。李晋とは出生年が3年違いますね。
ここで注目!
安倍晋太郎氏と養父の安倍寛氏の誕生日が「4月29日」
親子の誕生日が同じとは、かなりの高確率です~
そして、4月29日は「昭和天皇の誕生日」でもあります。
これまた奇跡的一致だわね~
お若い方はご存知ないでしょうが、終戦前、産婆さんの手を借りて出産しましたので、実際は大晦日に生まれても、「縁起の良い元旦生まれにしてほしい~」と頼めば、戸籍にはそう記載できたのです。よって、出生日はあまり当てになりません。
李 玖(Wikipedia)
形式上、李垠夫妻の第一子・李晋が亡くなった後、第二子の「李 玖(りきゅう・イグ)」が生まれます。死没場所は赤坂・・
上図の真ん中の人物が李玖氏ですが、眉毛が下がっている点などは晋太郎氏、晋三氏にそっくりですね~
李垠(父方の祖父)、李晋(父)、晋三
晋三の「三」は三代目(第三の男)という意味なのです~
また、以前から安倍家の祖先は、安倍文殊院(奈良県桜井市)を開いた安倍氏、あるいは、平安時代の陸奥国の豪族・安倍氏との噂があります。
私は2012年12月に誕生した第二次安倍政権当時から、両説には懐疑的でした。その理由は30年ほど前の記憶からお話しないとなりませんので、次回に続きます~では~
六本木心中(1984年 アン・ルイス)