シゲルスダチ(Shigeru Sudachi)とは、2009年生まれの日本の競走馬。芦毛の牡馬。
後藤浩輝騎手との絆が多くのファンの心に刻まれた、心優しき悲劇の芦毛。
主な勝ち鞍
2012年:マーガレットステークス(OP)
概要
父*クロフネ、母エトレーヌ、母父*ブライアンズタイムという血統。
父は言わずと知れたダートの伝説にして名種牡馬。
母は2戦未勝利。半弟に平地・障害両重賞の勝ち馬エーシンホワイティがいる。
母父は説明不要、90年代の大種牡馬。
3代母タレンティドガールは1987年のエリザベス女王杯勝ち馬。タレンティドガールの母チヨダマサコの牝系はクロフネと相性がいいことで知られ、ドリームセーリング・ホエールキャプチャ・パクスアメリカーナの全きょうだい重賞馬トリオなどが出ている。
さらに牝系を遡ると、日本の基礎牝系のひとつである*ビユーチフルドリーマーに辿り着く。
2009年3月23日、日高町の豊洋牧場(主な生産馬にホウヨウボーイ)で誕生。2010年の北海道サマーセールにて、「シゲル」冠名でおなじみ森中蕃オーナーに400万円(税抜)で落札された。
馬体重はデビュー時402kg、最大でも440kgという非常に小柄な馬であった。厩舎では、普段はマイペースなやんちゃ坊主だったそうな。
西園厩舎時代は厩舎共通の水色に赤い星印のメンコが目印だった。伊藤厩舎移籍後は勝負服カラーの緑+赤のメンコをつけていた。……たった一度だけ。
馬名意味は「冠名+酢橘」。2009年産のシゲル軍団はシゲルオレンジ、シゲルバナナ、シゲルササグリなど果物・柑橘類・木の実シリーズで、彼も巣立ちではなく酢橘である。
巣立ち、旅立ち
はじめまして
栗東・西園正都厩舎に入厩したシゲルスダチは、2011年6月18日、阪神・芝1200mの新馬戦にて小牧太を鞍上に早めのデビューを迎える。67.8倍の8番人気という低評価ながら後方から上がり最速で5着に健闘すると、中1週で向かった京都・芝1400mの未勝利戦を2番手先行から抜け出して快勝。
しかしその後は掛かり癖もあってトントン拍子にはいかず、石橋脩を迎えた新潟のダリア賞(OP)はブービー8着に撃沈。武豊が騎乗した小倉のフェニックス賞(OP)では3コーナーで前の馬の斜行により思いっきり不利を受けながらもそこから2着に突っ込んでみせ、太宰啓介と小倉2歳ステークス(GⅢ)で重賞初挑戦したが、特に見せ場はなく7着に終わる。
しばらく休んで3歳となり、自己条件の500万下から再始動するも7着、10着。久々に小牧太が騎乗した3月の阪神・芝1200mの平場500万下を上がり最速で差し切って2勝目を挙げる。
続いて向かったのは阪神・芝1400mのマーガレットステークス(OP)。鞍上には新たに後藤浩輝を迎えたシゲルスダチは、33.4倍の7番人気に留まったが、中団をじっくり追走すると直線で外からまとめて差し切り、1番人気レオアクティブの追撃を退けて勝利。オープン入りを果たした。
そばにいるから
オープン勝ちで、引き続き後藤浩輝とNHKマイルカップ(GⅠ)に挑戦することになったシゲルスダチ。実績に乏しい彼は、73.8倍の16番人気という全くの人気薄であった。
岩田康誠が騎乗する2番人気マウントシャスタを前に見ながら、後方馬群の中でレースを進めたシゲルスダチ。直線に入り、マウントシャスタの内のスペースへ向かって脚を伸ばす。――だが、次の瞬間マウントシャスタが内へ斜行。進路をカットされたシゲルスダチは転倒、落馬競走中止となってしまう(加害馬マウントシャスタは6位入線後失格[1])。
地面に叩きつけられた後藤浩輝騎手は頸椎骨折の重傷を負い、うずくまったまま動けない。雨に濡れた馬場で滑ったおかげでか、幸い大きな怪我もなく立ち上がったシゲルスダチは、そんな後藤騎手に寄り添うように、後藤騎手が担架で救急車に乗せられていくまで、その場にじっと留まっていた。
普通、騎手が落馬した馬は立ち上がったあと、他の馬を追いかけるなどして走り去ってしまうもので、シゲルスダチが後藤騎手を心配するかのようにその場に留まる姿は多くの競馬ファンに強い印象を残し、彼の名はその実績以上に競馬ファンに広く知られるようになった。
年季の入った競馬ファンの中には、キーストンと山本正司騎手のエピソードを思い出す者も多かったはずである。
……まさかそのあと、ある意味ではそれ以上の悲劇が訪れることを、誰もまだ知らなかった。
きみのためにできること
幸い怪我のなかったシゲルスダチは、夏からは古馬との戦いに挑むが、CBC賞(GⅢ)は特に見せ場なく8着、1800への距離延長を試みたNST賞(OP)も逃げたものの沈んでまた8着に終わる。
続いて向かった北九州記念(GⅢ)。CBC賞で騎乗した高倉稜を再び迎えたシゲルスダチは、中団馬群の中からレースを進め、直線では馬群を割って鋭く抜け出しをはかり、スギノエンデバーの末脚に薙ぎ払われたものの2着に突っ込んだ。彼の競走生活のハイライトというべき力走であった。
後藤騎手と挑む予定だったスプリンターズSは賞金不足で出られず、その後はオープン特別で3着に入ったぐらいで2桁着順の惨敗が続き、4歳の夏に1600万下に降級。以降は地道に自己条件で走り続けたが、勝利は遠い日々が続いた。
一方、後藤騎手も苦しんでいた。NHKマイルカップでの頸椎骨折から4ヶ月で復帰したものの、復帰したその日に再び落馬、第一・第二頸椎骨折および頭蓋骨亀裂骨折でさらなる長期休養となってしまう。
1年以上の休養を経て、2013年10月に復帰した後藤浩輝騎手。8歳馬エスポワールシチーとMCS南部杯を魂の逃げ切り勝ち、JBCスプリントも制して復活を印象付けた彼は、11月16日の奥多摩ステークス(1600万下)で1年半ぶりにシゲルスダチの背中に跨がった。結果は9着に終わったものの、後藤騎手とスダチのコンビ復活を、ファンは温かく祝福した。
だが……2014年4月27日、後藤騎手はまたもレース中に斜行に巻き込まれて落馬、またしても頸椎骨折の重傷を負ってしまう。引退も考えたが、前回の休養中にもしばしば行っていた競馬メディアでの仕事をしながらリハビリを続け、騎手としての復帰を目指した。
そんな後藤騎手のためだったのか、2014年秋、5歳となっていたシゲルスダチは、所属していた栗東の西園厩舎から、後藤騎手の師にあたる美浦・伊藤正徳厩舎に転厩。10月、調教騎乗に復帰した後藤騎手は、伊藤厩舎でスダチと再会、嬉しさのあまりにスダチに跨がり、そのまま厩舎周りの運動をこなした。
幾度もの怪我を乗り越えた不屈の騎手と、それに寄り添った心優しき相棒。
後藤浩輝とシゲルスダチの物語は、華やかな競馬史の片隅に咲いた小さな白い花のような、ささやかではあるかもしれないが、幸せな物語であるはずだった。
……はずだったのだ。
さよなら、どうか
そんなスダチの転厩初戦は、奇しくも1年前に後藤浩輝とコンビ復活を果たした奥多摩S。残念ながら後藤騎手の復帰は間に合わず、武士沢友治が騎乗することになった。
そして後藤騎手はその日、ラジオ解説のため、奥多摩Sの開催される東京競馬場を訪れていた。次のレースでは、スダチに騎乗することが決まっていた後藤騎手は、スタンドの上から相棒の走りを見守っていた。
中団の内でレースを進めたシゲルスダチ。直線で馬場の真ん中、前の集団に追いすがるように脚を伸ばした。丸2年半負け続きでも、闘志は衰えていない。懸命に彼は勝利を目指して走っていた。
だが。
ゴール前、彼はバランスを崩して失速した。
12着でゴールしたとき、その脚に致命的な故障が起きたことは、誰の目にも明らかだった。
そんな状態にもかかわらず、スダチは鞍上の武士沢騎手を落とすまいと走り続けた。まるでNHKマイルカップで相棒に怪我をさせてしまったことを悔いているかのように。
そして彼は、相棒の見守る中で、最後まで騎手を守り、1コーナー過ぎで静かに脚を止めた。
前脚骨折。予後不良。
シゲルスダチは、静かに天国のターフへと駆けていった。
今日の東京10R奥多摩S。
ゴール前で前脚を骨折、予後不良で安楽死の措置をとられ、シゲルスダチは天国へ旅立ちました。僕と最後に走ったのが奇しくも昨年のこのレース。そして僕は今日それをスタンドの上からラジオで解説をしていました。
彼の走りを目で追いながら応援していましたが、ゴール前彼の脚から「バキッ」という音が聞こえそうなくらいバランスを崩しスピードダウン。僕は一瞬でただごとではない故障だということはわかりました。
痛くてもゴール後止まらず、必死に武士沢ジョッキーが手綱を引き、1コーナーを回った所でやっとスダチは止まってくれ、それからしばらくして馬運車に乗せられて行きました。
僕はただそれを遠くから呆然と見つめることしか出来ませんでしたがそこからでも彼の脚がちゃんと地面に着けていないのが分かりました。
サラブレッドのような大きな生き物は1本の脚を失うだけでも生きていくことは不可能。こればかりはどうにもならない運命です…。
今ネットを見るとたくさんのスダチファンの方々が悲しみのコメントを寄せています。そのひとつひとつを読みながら、重賞も勝っていないのにこんなにも愛された馬だったんだとあらためて感じます。彼が愛された大きなきっかけとなったのが2年前のNHKマイルCでの落馬事故。前をカットされ一緒にひっくり返り地面に叩きつけられました。
普通の馬ならそのまま他の馬を追いかけ走って行ってしまうのにスダチはうずくまる僕の元に戻ってきて離れませんでした。その姿が見ている人の心に焼きついたのでしょう。僕もそんな馬は今まで見たことがありませんでしたから本当に大好きな馬になりました。その1年後の奥多摩Sでコンビを復活した時はみんなが笑顔になり勝ち負けは関係なく幸せな気分に包まれました。
今回、それまでの西園厩舎から僕の師匠の伊藤正徳厩舎に転厩して僕の復帰を待っていてくれたスダチ。実は今回のレースを無事に終えたら次走は僕が乗ることが決まっていました。
退院後初めて厩舎で再会、嬉しくて思わず跨ったのが最後の騎乗になってしまいましたが、そこで乗っておけたこと、そしてあの時彼が僕を見守っていてくれたように今日僕が彼を見守ってあげられたことが心の慰めです。
死んでしまったことはやっぱり悔しいし悲しくて仕方ありません。
自分のせいで…とスダチに謝りたい気持ちが僕の心を締め付けます。もう一度彼と走りたかったです…。
でも彼は最後まで偉かった。脚がブラブラになっても、「もう2度とひっくり返らないぞ、ジョッキーを落とさないぞ」と、必死に最後まで走りぬいてくれました。本当に強い馬でした。
どうか皆さん、シゲルスダチを褒めてあげてください。こんな馬がいたことを覚えていてあげてください。
自身のFacebookにこう綴った後藤騎手は、スダチの死から2週間後、スダチの形見のたてがみをお守りにレースに復帰した。
スダチが旅立っても、後藤騎手の騎手人生が続く限り、相棒は天国のターフから彼を見守っているだろう。
……この記事もそうまとめることが出来れば、どれほど良かっただろうか。
スダチの死から3ヶ月後、2015年2月27日。
後藤浩輝騎手は、自宅にて自ら命を絶った。40歳だった。
部外者に後藤騎手の心境を推し量ることはできないし、その権利もない。
ただ、天国のターフで、後藤騎手とスダチが再会できたことを。そしてその魂が、あの日のNHKマイルカップのように、ずっと寄り添っていることを、祈るばかりである。
同年、『優駿』の企画「未来に語り継ぎたい名馬」にて、シゲルスダチは重賞未勝利馬として唯一、投票上位100頭の中にランクインした(95位)。
ファンにできることはただ、後藤浩輝騎手が願った通り――シゲルスダチという馬のことを、ずっと語り継ぎ、覚えていることだけだろう。心優しき1頭の芦毛と、彼を愛した騎手の物語を。たとえそれが悲劇であったのだとしても、そこにあった絆は決して、色褪せることはない。
血統表
*クロフネ 1998 芦毛 |
*フレンチデピュティ 1992 栗毛 |
Deputy Minister | Vice Regent |
Mint Copy | |||
Mitterand | Hold Your Peace | ||
Laredo Lass | |||
*ブルーアヴェニュー 1990 芦毛 |
Classic Go Go | Pago Pago | |
Classic Perfection | |||
Eliza Blue | Icecapade | ||
*コレラ | |||
エトレーヌ 2004 黒鹿毛 FNo.12 |
*ブライアンズタイム 1985 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Kelley's Day | Graustark | ||
Golden Trail | |||
ライジングサンデー 1998 鹿毛 |
*サンデーサイレンス | Halo | |
Wishing Well | |||
タレンティドガール | *リマンド | ||
チヨダマサコ |
クロス:Roberto 5×3(15.63%)、Hail to Reason 4×5(9.38%)
関連動画
関連リンク
- シゲルスダチ | 競走馬データ - netkeiba.com
- 未来に語り継ぎたい名馬 - JRAレーシングビュアー
- 「もう2度とひっくり返らないぞ、ジョッキーを落とさないぞ」。悲運の名馬・シゲルスダチの生涯を振り返る。 - ウマフリ
関連項目
脚注
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