三笠宮妃の百合子さまご逝去 101歳 宮内庁

三笠宮妃の百合子さまが、15日朝、亡くなられました。皇室で最高齢の101歳でした。

百合子さまは、脳梗塞や誤えん性肺炎のため、ことし3月3日に東京 中央区の聖路加国際病院に入院されました。

右の手足の動かしづらさがかなり回復し、肺炎の症状も落ち着いたことなどから、10日余りで集中治療室から一般の病室に移り、療養を続けられました。

さらに、軽い肺炎の症状がみられたことから、8月中旬から9月上旬にかけて3週間余りにわたって再び集中治療室で治療を受けたあと、一般の病室に移って療養を続けられていましたが、今月8日に宮内庁が全身の機能が低下していると発表していました。

その後容体が悪化し、宮内庁によりますと、15日午前6時32分に亡くなられたということです。

入院先の病院には、15日朝、孫の三笠宮彬子さまと妹の瑶子さま、それに高円宮妃の久子さまと高円宮家の長女の承子さまが、相次いで駆けつけられました。

百合子さまは、昭和天皇の弟で平成28年に亡くなった三笠宮さまと75年にわたって連れ添い、6月4日には明治以降の皇室で最高齢となる101歳の誕生日を迎えられていました。

皇族が亡くなったのは、8年前に三笠宮さまが亡くなって以来です。

百合子さまが亡くなられたことで、皇室は、天皇陛下と上皇さま、それに皇族方のあわせて16人となりました。

宮内庁会見”死因は老衰”

三笠宮妃の百合子さまが亡くなられたことを受けて、宮内庁は午前11時ごろから記者会見しました。

この中で、諸橋省明宮務主管は、百合子さまがきょう午前6時32分に東京・中央区の聖路加国際病院で亡くなられたと説明したうえで、「謹んで哀悼の意を表する次第であります」と述べました。

続いて、皇室の医療を統括する永井良三皇室医務主管が、ことし3月に、脳梗塞などのため入院後の経過について、9月に集中治療室から一般病棟の個室に移ってからは、毎日30分から1時間ほど車いすに移ってマッサージを受けるなどのリハビリを続けられていたと説明しました。

そのうえで、亡くなられた経緯について、「お声がけすると目を開きうなずかれていたが、今週はそうした時間が減り、徐々に心臓や腎臓の機能が低下していると考えられた。病院にはできるだけの手を尽くしていただいたが、きょう早朝から血圧が低下した」などと述べました。

死因は老衰だということです。

百合子さま これまでの歩み【動画 2分55秒】

百合子さまは、大正・昭和・平成・令和と激動の時代を歩まれてきました。
※この動画はデータ放送ではご覧になれません。

石破首相謹話”心から哀悼の意”

石破総理大臣は三笠宮妃の百合子さまが亡くなられたことを受けて内閣総理大臣謹話を発表しました。

内閣総理大臣謹話は林官房長官が閣議のあとの記者会見で読み上げました。

この中では「三笠宮妃百合子殿下のご訃報に接し悲しみの念を禁じ得ません。妃殿下は皇族として医療、福祉、文化、スポーツ、国際親善など幅広い分野にわたり貢献され、とりわけ母子愛育事業には長年にわたり関わり、献身的なご尽力をなされました」としています。

その上で「国民は妃殿下のいっそうのご長寿を願っていたところ、思いもむなしく薨去 (こうきょ)されましたことは誠に哀惜に堪えません。皇室をはじめ、ご近親の方々の深いお悲しみを拝察申し上げ、国民とともに謹んで心から哀悼の意を表します」としています。

ご遺体 赤坂御用地の宮邸に

百合子さまのご遺体を乗せた車は、午前9時半前に東京・中央区の聖路加国際病院を出発し、午前9時40分すぎに、お住まいの宮邸がある東京・港区の赤坂御用地に戻りました。

百合子さまと交流あった方

東京女子大学元学長の湊晶子さん

湊晶子さんは研究者として東京女子大学で教べんをとった三笠宮さまの助手務め、百合子さまとも交流がありました。

「三笠宮さまはいつも私に『百合子がいないと僕はないんだ』とおっしゃっていました。どの時代も、百合子さまは前に出ることをなさらず、いつも謙遜し、皇室を支えられた方だと思います」

「ありがとうございましたという感謝の気持ちです。悲しみも苦しみもお顔に出されずに、本当に平静を保ちつつ、最後までその姿勢をお示しになられた百合子さまはあっぱれといいますか、すばらしい女性でいらしたと思います。日本の国民を思い、そして、たくさんの愛、温かさをみなさんに届けてくださいました」

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