#18 松本隆×鈴木慶一、博文①

松本隆 風街ラヂオ
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#18「松本隆×鈴木慶一×鈴木博文」

 

今回の『風街ラヂオ』では、ムーンライダーズの鈴木慶一さん、鈴木博文さんをゲストにお迎えし、これまであまり語られてこなかった話など、貴重な回となりました。

 

 

まずは、松本さんとお二人のつながりをご紹介します。

 

鈴木慶一さんは、1970 年頃から様々なセッションに参加し、1971 年にはちみつぱいを結成。このはちみつぱいは、はっぴいえんど と共に日本語ロックの先駆者としても知られています。

1972年、年末のはっぴいえんど解散後に松本隆さんは、鈴木慶一さんの弟、鈴木博文さんらとオリジナルのムーンライダースを結成。

1973年に東京・文京公会堂で、はっぴいえんどが再集結して解散コンサートと銘打った『CITY―LAST TIME AROUND』を開催。この日、はっぴいえんどにピアノ(キーボード)で、鈴木慶一さんが参加。そこでオリジナルのムーンライダースも演奏しています。

その後、名前を譲り受ける形で、1975年、鈴木慶一さんはムーンライダースを結成。

鈴木博文さんも、ムーンライダースに参加されています。

(※初期の表記はムーンライダース。途中からムーンライダーズになったそうです)

 

 

●「大瀧さんを除いたはっぴいえんどの3人と早川義夫さんが仮歌を歌うという、とても貴重なものを拝見しました(鈴木慶一)」

 

鈴木慶一「初めて出会ったのは1970年の春にリハーサルスタジオを見学に行ったら、大瀧さんを除いたはっぴいえんどの3人と岡林信康さんがリハーサルしていた。そこで話をチラッとする。18歳の時」

松本「それは誰に連れてこられたわけ?」

鈴木慶一「あがた森魚さんに連れて行ってもらった。あがた森魚さんはジャックスの早川義夫さんに会いに行くというんで。岡林さんがいないから早川義夫さんが仮歌を歌うというとても貴重なものを拝見しました」

松本「つまり、はっぴいえんどが、バックやってて、早川がリードボーカルをやってたってこと?」

鈴木慶一「仮歌で」

松本隆「ありえないね(笑)」

鈴木博文「ないね。想像できないね(笑)」

鈴木慶一「録音されてたらすごいね。多分、同じ時期に(はっぴいえんどの)1枚目の録音中ですよ」

 

 

●「隆さんと歌詞を一緒に詞を作る機会があって、ひと言ひと言ずつ頭から作っていった(鈴木慶一)」

 

鈴木慶一「隆さんの家に行ったのは “ほうむめいど” という(隆さんの)弟さんがやってたバンドになぜか入ることになって。マンションの一室で、練習するという。それで時々顔を出す。そのあと、あがた森魚さんの2枚目のアルバム『噫無情』で、私が作った曲(「キネマ館に雨が降る」)に隆さんと歌詞を一緒に詞を作る機会があって、その時は1日中一緒にいましたね。ちゃんと1日さ、歌詞について語り合うみたいなのは隆さんぐらいしかいなかったね。あがた森魚に合う歌詞にしようってことで、映画館じゃなくて、キネマ館だろうなとか、ひと言ひと言ずつ頭から作っていった」

松本隆「そんなことしたことないよ。慶一だけだよ。こいつね、潜り込み方が上手なんだよ。知らないうちにTシャツの中入ってくるんだよ(笑)そういうちっちゃな生き物いるよね(笑)」

 

 

●「『大寒町』は、どっちかっていうと詞がすごいなと思って。あんまりそういうこと思わないから。(松本隆)」

 

鈴木博文「知らないうちに隆さんのマンションに遊びに行ったのを覚えてる。きっかけになったのは『大寒町』かな」 (※『大寒町』作詞作曲:鈴木博文)

松本隆「(『大寒町』の)曲も詞もね、彼が作ってて、どっちかっていうと詞がすごいなと思って。あんまりそういうこと思わないから。この人は面白いなと思ってね」

 

 

鈴木慶一さん選曲で、はっぴいえんど「はっぴいえんど」をオンエア♪

 

松本「それまで“バレンタイン・ブルー”という仮のバンド名になってて、この詞を書いたら、細野さんが “はっぴいえんど” がいいって。スタジオからうちに帰る時に二人で車乗ってて急に言い出したのね。はっぴいえんどってどう思う? って聞かれたから、僕が書いた詞から取られてるからいいんじゃない? って。バレンタイン・ブルーだとバレンタインデーに一人ぼっちの男の子って感じで年に1日しかないじゃない? はっぴいえんどだったら一生使える普遍的な言葉だから」

 

 

●「はっぴいえんどが5人になってたらまた違うものになってただろうね(鈴木慶一)」「ムーンライダーズはないですよ(鈴木博文)」

 

鈴木慶一「70年の9月に、はっぴいえんどがアルバムを出した後に初めて大きなところ、日比谷・野音でライブをやるということで、その時に手伝いを頼まれてギター弾くんだけど、すげー難しいの。簡単な曲もあるんだけど細野さんが書いた曲のギターのカッティングがめちゃくちゃ難しい」

松本隆「高度だね」

鈴木博文「はっぴいえんどに入れると思って喜んだらしいんだよね」

松本隆「3回くらいあったよ。そういう瞬間」

鈴木慶一「3割か4割はあった」

松本隆「俺はね、入った方がいいんじゃない?って言ってたよ」

鈴木慶一「ベース弾いたら入れよって。でも、細野さん目の前にベース弾けないでしょ」

松本隆「ちょっとね(笑)」

鈴木慶一「はっぴいえんどが5人になったらこれまた違うものになってただろうね」

鈴木博文「ムーンライダーズはないですよ」

松本隆「歴史が変わっちゃうよね」

 

 

●「じっくり詞を見たことは初めてだったから今ビックリしてさ。すごいブルースだね、これ(松本隆)」

 

鈴木慶一「1971年に “風都市” という事務所が出来たんです。隆さんは、風都市という言葉を使おうと思ってたのに、先に会社の名前になっちゃった」

松本隆「『風街ろまん』って、2枚目じゃない。あれに風都市ってタイトル付けようと思ってたら、使っちゃったんだよ。で、大喧嘩になってさ。事務所の名前にしちゃったから、って。何それって(笑)」

 

音楽事務所、風都市には、はっぴいえんど、はちみつぱいが所属していました。

 

はちみつぱい「塀の上で」をオンエア♪(作詞作曲:鈴木慶一)

 

松本隆「こんなじっくりさ、詞を見たことは初めてだったから、今ビックリしてさ。7センチ? 7センチのブーツの女に踏み潰された? 慶一がマゾか(笑)」

鈴木慶一「俺がじゃない(笑)」

松本隆「鈴木慶一マゾか、知らなかった…みたいな(笑)すごいブルースだね、これ(笑)」

鈴木慶一「これは塀の上に座ってるってことが変でしょ?」

鈴木博文「2年前うちの実家の塀を壊した時に、塀を持っていった」

鈴木慶一「モデルとなった塀だから」

 

来週も鈴木慶一さん、鈴木博文さんをゲストにお迎えします。

 

 

『風街ラヂオ』84日(日)夜11:0011:30オンエア

テーマ:「松本隆×鈴木慶一×鈴木博文」

パーソナリティー:松本隆

アシスタント:竹内香苗

松本隆 風街ラヂオへのメッセージ、リクエスト、質問は、こちらまで。

kazemachi@tbs.co.jp

日曜夜11時に、ラジオの中の風街で、会いましょう。

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