解散権の制約は必要か 有権者の判断支える「健全な報道」が解決策
「憲法季評」 安藤馨・一橋大学教授(法哲学)
政治資金収支報告書の不記載問題に端を発した一連の政治過程は、与党敗北による少数与党への転落という政治状況に落着した。私個人の政治的選好としてはこの結果自体はそれなりに満足のいくものではあるものの、他方で我が国の民主政の現状についての懸念を抱かざるをえない。衆議院解散を出発点としてこの問題を考えてみたい。
石破茂首相による就任早々の衆議院解散は、かつて本人が首相(正確には内閣)による無制約の解散権行使を否定し、内閣不信任決議案の可決という憲法69条の定める場合に限られるべきだとする立場を公言していたことから、その「変節」を強く印象づけた。
日本国憲法は内閣による解散「権」を明示的に定めていない。学説はおおむね天皇の国事行為を内閣の助言と承認に基づかせる7条を根拠とするか、権力分立と議院内閣制という憲法上の制度趣旨によるとする説に分かれる。問題は、両説とも、69条所定の場合以外にも解散権行使を認めつつ、それが制約されるべき状況を具体的に示す原理を欠くがゆえに、いわゆる「解散は総理の専権事項」を防ぎ得ない点にある。
首相が自身にとって有利な時機を狙いすまして解散を打つことを解散権の「濫用(らんよう)」であるとして非難するにせよ、解散権をいかにして制約しうるかは困難な問題である。第一の方策はもちろん、憲法改正である。解散権の憲法上の制約はおろか根拠すら定まらないことは端的に現行憲法の欠缺(けんけつ)に起因しているのだからこれが一番の正道であるが、明らかな不備をただすための改正とはいえ即時には実現しがたいだろう。第二は議会による立法である。内閣法を始めとして、政府に憲法上与えられた権限を法律が制約している例を挙げ、内閣の解散権行使が立法によって制約されうると説く論者がいるが、これは疑わしい。議会に対抗するために内閣に与えられる解散権を議会の意向によって制約できてしまえば、解散制度そのものの趣旨が損なわれる。解散権の実質的制約とはならない程度の、解散理由の公表などを義務付けることができるにとどまると考えるべきであろう。第三は首相が解散権行使を自制する憲法慣行が成立することに期待するというものであるが、69条限定説だったはずの石破首相の「変節」はこの望みを見事に打ち砕いてみせた。
かくして、現行憲法下での解散権の制約には見込みがない。結局、日本の民主政はもっぱら党利による濫用的な解散権行使にさらされる危機に常にあり、しかもその問題を根本的に是正しうるのは憲法改正のみなのである。
だが、そもそも解散権の制約が本当に必要なのだろうか。政権与党にとって有利な時機を捉える党利のみが解散の理由であってはいけないのだろうか。有権者がきちんとした判断をしているならば、解散総選挙が与党に有利な状況であるとは、その選挙において与党を支持する理由がまさしく有権者にはあるということなのだから、与党に有利な結果が出ることにはなんら問題がないはずである。解散が不当だと思えば、有権者は与党を支持しないだけのことであって、そのような解散はそもそも有利ではなくなるだろう。無制約の解散権に(選挙費用や行政の停滞以外の)問題を見いだすとすれば、それは有権者が眼前の(野党も含めた)政治状況によって「踊らされて」いるに過ぎず、その判断が信頼できないものであるといった前提を必要とする。
だが、もし仮にそのような信頼性の不足が有権者にあるとすれば、それに対するまっとうな対処は、有権者の判断の信頼性を確保することである。具体的には今の政治状況についての正しい情報の提示によって、適切な事実認識をもたらすということにほかならない。それこそが民主政においてジャーナリズムに期待される役割である。ジャーナリストが、事実に基づかない感情的反発などの情動に働きかけようと笛を吹く活動家であるべきでない理由であり、党員の鼓舞を任とする政党機関紙がジャーナリズムに属しないゆえんである。解散権が制約されたとしても事情は本質的に変わらない。健全な民主政は健全に機能するジャーナリズムをなお必要とする。
今年5月の本欄で述べた通り、不記載は決して形式的問題ではなく、選挙という民主政の根幹をゆがめる問題であり、不記載議員の失職を無過失の場合にすら正当化しうる。しかし、今回の選挙において、不記載を公金横領や贈収賄の類と誤解しているとおぼしき怒れる有権者が見られたのはひとえに「裏金」という語の独り歩きの産物であろう。野党議員の不記載には「裏金」という情動的ラベルを貼らず、与党議員のみを「裏金議員」と呼ぶようなやり方は、事実認識に基づかない評価をもたらそうとするものであり、民主政にとって有害ですらある。
選挙終盤に発覚した自民党による、非公認候補の支部を含む各政党支部への一律2千万円の分配と拙劣な対応は有権者の怒りを招き、選挙の大勢が決した。だが、野党が「裏公認料」と呼んだこの分配自体には法的問題があるわけではないことや、また(たとえそれに納得しないにせよ)自民党の言い分を十分に認識した上で怒っていた有権者がどれだけいたかは、私自身を含めやはり心もとないところであろう。果たして敗北したのはひとり与党のみだったのか、民主政は無傷だったのか。
安藤馨さん
あんどう・かおる 1982年生まれ。一橋大学教授。専門は法哲学。著書に「統治と功利」、共著に「法哲学と法哲学の対話」など。
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