「観光立国」は地方再生の切り札になれない 経済地理学者の警告
大都市などに海外からの観光客があふれています。人口減少時代の成長戦略の柱、地域活性化の切り札として「観光立国」には大きな期待が寄せられていますが、これに警鐘を鳴らしているのが経済地理学者の福井一喜さんです。「観光だのみ」にどんな限界と副作用があるのか。福井さんに聞きました。
観光客が増えた裏で
――政府が推進する観光立国戦略の現状を憂慮しているそうですね。
「観光立国という考え方そのものには異論はありません。日本には大陸アジアと異なる文化があり、治安が良いため富裕層も来やすい。かつて国連がうたったように観光には『平和へのパスポート』という役割もあります」
「しかし、現状では観光にあまりにも重責を負わせすぎていると思います。観光が経済成長や地方再生の切り札で、すべての地域が潤えるかのような言説は幻想です」
――外国人観光客の数は過去最高に達し、知名度がなかった地域が注目されるなど活況を呈していますが。
「もちろんうまくいくところもあるでしょう。でも、概して成功しているのは東京などの大都市ばかりです。観光で稼げと地域に無理な競争をさせ、疲弊させているのは統計上も明らかなんです」
「たとえば2012~16年のデータをみると、観光客数も観光消費額もほとんどの地域で増えています。しかし、増え幅が大きいのは都市部ばかりです。地方で観光が新たな有望な雇用機会になったり、稼げる基幹産業になったりしている地域はほぼありません。観光は雇用を生むとさかんに喧伝(けんでん)されますが、現実はそうなっていません。特に地方では観光関連で雇用の非正規化が進み、離職率も高くなっています」
――そうした側面はあまり知られていませんね。
「可処分所得が高くて移動する余裕のある人たちは、旅先で観光をして気力や体力を回復し、また働くことができます。その一方で、多くの人たちが富裕層のためのエッセンシャルワークを不安定な状況で強いられているのです。観光客が増える裏で、地域の働き手にしわ寄せがいっている現実を素直に喜んでいいとは私は思いません」
「観光労働の厳しさ、あるいは空しさは若い人たちを中心に知られつつあり、観光業界の人手不足は悪化しています。外国人労働者の奪い合いも始まっており、観光そのものの持続可能性も疑わしくなりつつあるように思います」
――やり方しだいで働き手の境遇を変えることもできるのではないですか。
「それは難しいと思います。観光産業は接客サービスなど人間にしかできない仕事を中心に成り立っているため、生産性を上げにくく、賃金も上がりにくいという構造的宿命を抱えているからです。観光産業にはそもそも、稼ぎにくいという特性があります。とりわけ地方の中小規模の観光産業では、人口減少で地域の労働力自体が足りていないので、仮に賃金を上げても人手が集まるとは期待しにくいようです。けっして日本の観光産業のレベルが低いわけではなく、そもそも改善しようにも難しいのです。たとえば私は昨年、イタリア南部のカラブリア州で現地調査をしましたが、そこでもホテルが一部の労働力を移民に頼っていました」
「観光産業のこうした特性は、業界では常識です。にもかかわらず、政策やまちづくりを考える局面になるとこうした常識がスルーされ、努力しだいで観光でも稼げるはずだ、雇用を増やせるはずだという議論をしている。ごく基本的な経済原理を冷静に見つめる視点が欠けているように感じられます」
競争をあおる政治の無責任
――しかし、政府は全国各地で観光資源を磨き上げるよう旗を振っています。
「地域の価値というのはとても多様で、同じものさしでは測れないという現実に目を向けるべきだと思います。観光に向いている地域もあれば、そうでない地域もあるのです。にもかかわらず、観光で稼げと地方をあおり、『成功例』をさかんに持ち上げ、補助金や知名度を得るために地域間の競争を激化させる。うまくいかないのは努力不足だとばかりに烙印(らくいん)を押す。この風潮を深く憂えています」
「地方自治体の担当者と話すと、観光振興の限界に気づいている人も多いのですが、既定路線を覆せず身動きが取れなくなってしまっているようにみえます。特に若手の職員は観光振興に熱意を持っている人も多いのですが、実際にやってみると政治家など利害関係者との調整などに疲弊して、二度とやりたがらなくなるという寂しい声も聞きました」
――観光客の誘致を目標に掲げる政治家はとても多いですね。
「政治家にとって観光振興は重要な票田で、自治体が政策をスローダウンさせるのは難しいようです。しかし本来は、地域ごとの実情を見極めてそれぞれに合った振興策を考え、調整するのが政治の仕事のはずです。どこも一緒くたに観光地として自立しろと迫るのは、政治が自らの役割を放棄しているも同然です」
「そもそも地方の疲弊は、政府の経済政策のまずさに起因しています。先進各国では地域経済に安定成長や雇用をもたらした製造業が衰退し、地域の基幹産業は観光に代表されるサービス業へシフトしました。政府は製造業に代わる安定した成長産業が見つけられていないがゆえ、観光による経済振興にこだわるのでしょう」
「より大きな問題は、資本主義の行き詰まりや経済構造の変化に対応した税制改革や再分配が必要なのに、それが十分にできていないことなのです。その大元を手当てせず、失政の穴埋めを地方に押しつけるのはおかしい。それにサービス中心の資本主義経済は、地方よりも大都市がはるかに有利だと考えられています。地方経済をサービス業である観光で再生・維持しようとするのはかなり無理があります」
――すべての地域が観光地をめざす必要はないと?
「そう考えています。地域を守ったり盛り上げたりするためには、そこに住む人たちがより良い日常を過ごすためにやりたいこと、できることを自ら考え、実行することが何より大事なはずです。観光はさまざまな選択肢のうちのひとつにすぎません。住民の良き日常を間接的に支援できるなら観光を採り入れる。そうでないなら無理に観光に力を入れなくてもいい。そんな発想の転換が求められているのではないでしょうか」(聞き手・田玉恵美)
福井一喜さん
ふくい・かずき 1987年生まれ。流通経済大准教授。新自由主義的な観光政策の影響などを研究している。近著に「『無理しない』観光」。
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- 【視点】福島県の会津地方の観光地に住んでる人間としては、非常に納得できるし、興味深い記事でした。 観光客がコロナ禍以降回復しました。インバウンド、外国人旅行客の姿も増えた。けれども、その観光業の発展が地域の人々の暮らしを豊かにしているかというと疑問です。 ハローワークやタイミーなどで旅館やバス会社などの人員募集を見てみても、ほぼ最低賃金ですしね。地方自治体の補助金や施策の恩恵を住民全員が受けられるわけではない。その利益にあずかれる層があっても、会社を経営している地方の名士だけです。トリクルダウンは感じられません。 旅行する富裕層、観光業で働く貧困層。このような不均衡が広がれば、新しいタイプの排外主義が出てくるのではないか、と個人的に危惧しています。 以前、スペインの観光都市バロセロナでオーバーツーリズムへの抗議として、観光客に水鉄砲を浴びせるというデモが起きました。オーバーツーリズムに反対する社会運動自体は正しいと思いますが、「外国人は日本に来るな」というは排外主義運動に変質する恐れがある。 たとえば、最近では過去に迷惑系ユーチューバーと知られた人物が、観光客としてきた外国人の迷惑行為を取り締まるという内容の動画で再生数を稼いでいます(本当に迷惑行為があったかどうかはわかりません)。 外国人観光客に対する排外主義の芽は生まれつつあります。観光客に対する地域住民の不満が高まれば、大きな支持を獲得する可能性があります。 …続きを読む