突然ですがクイズです! 今、私はどこにいるでしょうか?
乗り物の中?
ぐぐぐっと画角を引いてみましょう。
このギラギラとした華美な装飾は……
デ、デコトラだ〜〜〜〜〜〜〜!
というわけで、デコトラの運転席からこんにちは。青森県八戸市在住のライター、栗本千尋です。
私の地元に「デコトラの父」と呼ばれる人がいると聞いて、以前から気になっていたんです。現在は八戸市のお隣、階上町に会社を構える天照運輸の代表であり、「レジェンドOFデコトラ」の称号を持つ夏坂照夫さんです!
夏坂照夫さん
菅原文太さん主演で1970年代に一世を風靡した映画シリーズ『トラック野郎』のモデルとしても知られる夏坂さん、本業はもちろんトラックの運転手。
言ってみれば仕事道具に装飾をしているわけですが、そもそもなぜトラックに装飾をはじめ、そしてどのようにデコトラ文化は広まっていったのでしょうか。
ジモコロ編集長の友光だんごさんとともにお話しを聞いてみると、夏坂さんの仕事論にも繋がっていきました。
気になるデコトラの中身って?
まずはデコトラの装飾を堪能させてもらうことに。モチーフとなっているのは「永ちゃん」こと矢沢永吉さん。事務所公認だそうです。
右サイド
左サイド
後ろ
と、大きな面に目がいきがちなのですが、実はかなり細かいところまで装飾されているんです。
正面
フロントの上には、住宅の軒のようにせり出す装飾が
フロントのバンパー部分には「八戸港」「伝説の男」「夏坂」、逆サイドには「青森県」「夜の花道」「天照」などの文字が刻まれています
タイヤのホイールもかわいい
……と、じっくりデコトラの装飾を見る機会もそうそうないのですが、もっと見たことがないのはデコトラの中! どうなっているのか見せてもらいましょう。
運転席。スナックにありそうな布張りのソファを彷彿とさせる、ゴージャスな柄のクロスで内張りが統一されています。
たくさん並んでいるスイッチ類は、デコトラの電飾用だそう
運転席から後方を覗くと、もはや部屋!
天井にはシャンデリアが灯っていて、壁には貴重な『トラック野郎』の映画ポスターも。さらにベッドや冷蔵庫まである……。これはもう、住めちゃう、デコトラ。
さて、デコトラを堪能したところで、天照運輸の事務所に移動。夏坂さんにお話しを伺います。
ドライバーたちの情報交換の場だった、ドライブインの存在
「ジモコロのテーマは、『地元』と 『仕事』なんです。デコトラがトラックドライバーの仕事の魅力にも繋がっているのかなと思って、今日はお話しを聞きにきました」
「デコトラは趣味の世界になっちゃって、7割から8割は『遊び車』よ。今はもう、ドライバーの仕事に面白みがないでしょ」
「そうなんですか?」
「ドライブインがなくなってきて、休憩もコンビニの時代になってるし 」
「ドライバーにとって、ドライブインは重要だった?」
「コンビニでトラックドライバー同士の集いなんてありえないですもん。 各自コンビニでお弁当なり飲み物なり買って、車の中に入っちゃうから。
昔はドライブインに入って、『お、九州の車がいるな』とか、『四国の車いるな』とかね。俺が行けば、相手は『青森の車がきた』って思うわけじゃん。大きいドライブインだとテーブルじゃなくて座敷だから、いろんな情報交換ができてたわけ」
「ドライブインはドライバー同士の交流の場でもあったんですね。たしかに駐車場も食堂スペースも広い」
「そう。俺のトラックを見て、『これどうやって作ったんですか』『内張りはどうやったんですか』とかさ、そういう情報を交換してたの。昔は写メの時代じゃねえから、インスタントカメラでみんなトラックの写真撮って帰るわけよ。んで焼き増しして配りながら『すごい人に会ってきた、すごい車見てきた』って地元で喋ってさ」
「スターのブロマイドみたいな扱いなんですね」
「その写真を車屋さんに見せて、『これ作れますか』みたいな?」
「そうそうそう。それで広がっていったから、俺が日本全国にデコトラを広げた元祖ってなっちゃったんだよ。俺、別に元祖じゃねえんだけど」
「元祖ではないんですか?」
「自分のトラックを飾る文化ってのは、俺らの先輩の頃からあったのよ。平ボディのトラックだと、荷物を下ろしたあとにシートを畳んで上に乗っけるシートデッキっていうのをつけてんだけど、そこに屋号の行灯をつけてたわけ」
矢印の部分がシートデッキ。ちなみに「平ボディ」とは荷台を備えたトラックで、一番普及している形。さまざまな荷物に対応できる
「自分でトラックを持てる時代じゃなかったから、使われている運送会社の社長に気に入られるようにしてな。担当のトラックを持たせてもらって初めて『ここを飾っていいですか』て相談してさ」
「社長に直談判!」
「俺は若いうちにトラックを持つ夢を叶えたから、人と同じことしたくねえじゃん。絵を描いたり、マーカーランプって電飾をつけたり、いろいろするのよ。
それをドライブインで他のドライバーに教えると、各自が地元に持って行って、地元の良さも出してアレンジしたの。そうやって発展したのがデコトラ文化なんです」
「口コミというかリアルのコミュニケーションで全国に広がっていった文化なんですね! 面白い。他の地域のデコトラはどんな感じだったんですか?」
「例えば福島のトラックにはバイザーっていって、フロントに日除けがついてたのね。運転してると太陽がまぶしいから、『なんだあれ、いいじゃん!』ってなって真似して。福島のやつらは逆に、こっちの行灯とかマーカーランプとかを取り入れて、お互いの良いところを参考にし合ったのよ」
「今でこそ専用の部品も売ってると思うんですが、最初はなかったですよね? どうしていたんですか?」
「当時はデコトラ用の部品なんて売ってるわけないから、家具屋に行って探したり、ボディ会社に行って『こんなことできないか』って聞いてみたり。
バンパーの上に、手すりとか、鷹のエンブレムをつけたんだけど、あれ全部家具屋で買ってくるんですよ。これをうちらがつけたおかげで広がっちゃったわけよ」
「発想力の勝負! 『この部品、あれに使えそう』みたいな目線で見てたんですね」
「そうそうそう!」
トラックに憧れた幼少時代
「夏坂さんはそもそもなぜトラックドライバーになったんですか?」
「俺が小学2年か3年のときかな、兄貴がトラックを買ったのよ。当時はトラックなんて大きい製材所くらいしか持ってないくらい高かったんだけど、兄貴が親父を説得して、先祖からもらった田んぼを2反分売ってさ、その金でトラックを東京から買ってきたわけ」
「田んぼを売ってトラック。時代を感じますね」
「昔はボンネットトラックっていって、鼻みたいに前に出るようなトラックだったんだけど、正月になると紅白の国旗を飾って、真ん中にお供えして、お酒をあげてたのよ。そんときに『すげーな、仕事してた車も飾ればかっこいいな』って思ったわけ。そっからもうトラックに乗りたくて乗りたくて」
「そこが原点なんですね!」
「ただ、うちのおふくろが、手に職をつけろってうるさい人でね。『トラックの運転手のところになんて誰も嫁にこないんだから、大工でも左官でも屋根屋でも、なんでもいいから手に職をつけろ』と。昔は『職人さま』って言われるくらい、憧れの職業だったからね。
お寺とか神社を建ててる棟梁のとこに弟子入りして、職業訓練校にも通って2級建築士の資格を取りながら、1年の半年は大工やって、もう半分はトラックに乗ってたのさ」
「それは、トラックに乗りたくて?」
「乗りたくて。ただ、おふくろに言われた手前、ちゃんとやることはやったのよ。師匠から『一人前だ』って認められるのを昔は『師匠上がり』って言ったんだけど、その資格も取ったの。 で、自分でも家を建てたの」
「すごい」
「そしたらさ、あとはもう、トラックよ。八戸の運送会社で使ってもらってたんだけど、自分でトラック持って自由にやりたいと思うようになって。そしたら当時使ってくれてたところが、もう会社をやめると。
じゃあ、俺にトラックを月賦で売ってくれってお願いしたのよ。そのときは23か24歳。飯が食えなくても、ボロ着てもいいから、自分のトラックを持つ夢を叶えたかったんだ」
「ついに夏坂さんの夢が……!」
「それで手に入れたトラックの後ろに鷹の絵を描いて、全国を走ったんだ。そしたらNHKに特集されて、それが『トラック野郎』の映画に繋がったの」
鷹の絵を描いたトラック
「そうだったんですね!」
「おしめとミルクを持って子連れ狼」
「当時、トラックドライバーは稼げる仕事だったんですか?」
「稼げたよ。1か月で300万から350万、トラックで稼いだんだ。経費引いても200万円、手元に残るんだよ。24歳のガキのポケットに1か月200万円が入るってさ、すごいじゃん」
「すごいですね。お金は何に使ったんですか?」
「そのときはもう結婚して子どももいたから、乗用車を新車で買ったり、 おっかぁに何か買ってやったり。アパート暮らしをしてたから、家を建てようってことで、ここに土地を買ったわけだ。で、その家を建てる頃には離婚したから……」
「えっ!」
「子どもがまだ1歳半とか2歳かそこらかな。子どもを引き取って、おしめとミルク持って、トラックで日本全国、子連れ狼やったのよ。しかも、おしめが今みたく使い捨てじゃないんだよ! 布のおしめカバーだから自分で洗わなきゃなんないのよ」
「デコトラ子連れ狼だ! それはドライブインに寄ったときとかに洗うんですか?」
「いやいや、飯食うとこで洗えってくれって言えないじゃん。ガソリンスタンドの洗車場の隅っこで洗うのよ」
「洗車場で!?」
「そう。邪魔になんないところでね。そんで、洗ったおしめをトラックの寝台のほうにかけたり、荷物を全部下ろしてから荷台に縄を張って干すわけだよ。風通しよくしてさ。ミルクはドライブインに行ったらお湯もらってね」
「え、知りませんでした。デコトラのきらびやかなイメージと全然違いますね」
「きらびやかなんかじゃないっすよ(笑)。苦労してんすよ」
「あんま喋んないほうがいいんじゃない、ボロが出るよ」
「事務所で作業してた奥さんからチェックが入りましたね(笑)」
「まあね、結婚3回してっからさ。いろいろありますよ」
“ただ運ぶだけじゃない”付加価値をつける仕事
「トラックではどういうものを運んでいたんですか?」
「八戸だから、魚関係が多かったね。塩水を使ってるからサビやすいでしょ。大工の職人をやってたときに学んだのは『道具は命だ』ってこと。俺らの道具はトラックだから、仕事が終わったら塩水を洗い流してピカピカに磨き上げるんだ」
「そういう夏坂さんに荷を任せたいって人もいたんじゃないですか?」
「そうよ。水産会社の社長にもすげえ気に入られてさ。荷物を運んで市場で降ろす前にトラックに入ったらもう氷がなかったから、『社長、このまま市場に下ろすと魚カラカラになっちゃうよ』ってアドバイスするじゃないですか。そしたら、『よしわかった、すぐ手配するから氷をかけてくれ。次からずっと専属でこい』って」
「ただ荷物を運ぶだけじゃなくて、自分が運ぶ商品の状態をちゃんと見ていたんですね」
「今でこそ冷蔵機能も発達しているから誰が運んでも同じかもしれないけど、当時は冷蔵トラックなんてないですもんね。『夏坂さんの運んだ魚だから鮮度が高い』みたいなことがあったんだ」
「そう、俺が運んだ魚は高く売れたのよ。港に船が入ってきて、市場でトラックに積んだ状態で魚屋さんが魚を買って、自分とこで選別して箱詰めするんだけど、そのときに俺が『こうやったほうが鮮度が保てるから』ってアドバイスするわけさ。
昔は今みたいに発泡スチロールじゃなくて木箱を使ってたの。今みたいに冷凍車がないから、炎天下を走っていくと箱の中も熱くなって氷が溶けるわけ。で、 トラックについたホースからシャーシャーって水が出て、またそれもかっこいい。だからみんなで憧れてホースつけたわけよ。
俺はそのホースをまっすぐじゃなくて、水が脇に出るように作ったから、水が流れるのが見えてテンションが上がるんだわ」
「なんかミニ四駆の改造の話みたいですね(笑)。楽しそう」
「仕事を楽しむためにトラックをアレンジしていたんですね」
「いや、仕事は楽しくない、辛いのよ! 今みたいにリフトとかパレットの時代じゃないから、全部手積み、手下ろしなんだから。だけど、仕事が全部終わるとほっとするじゃない。やり遂げた感覚でトラックに戻ってくると、自分の愛車だからくつろげるでしょう。
だから洗面所に行って体を拭いて、顔をきれいに整えて、下着も全部交換して、トラックに乗るの。そこでリセットされるわけ」
「恋人と会う前みたい(笑)」
「そうよ。走り始めたら、トラックがもうかわいくて。信号待ちで道路の脇のショーウインドウを見たら、自分のトラックの姿が全部映るでしょ。それでちょっとこう気取ったぐらいにしてさ」
「仕事の辛さが紛れますね」
「考えてみてよ。八戸から九州まで全部おかっぱしりしてるんだよ。 青森から秋田に出て、7号線で山形、新潟、金沢ね、そこから舞鶴から9号線、鳥取県、島根県。そうやって九州まで行くんだよ。夜になると寂しいでしょ」
「夜は暗いし」
「だから電飾を全灯させるんだ。それで都はるみとかの演歌を聴きながら走ってくわけよね。そうすると、途中で村とか、ちっちゃい町を通るじゃない。そうしたら『何がきたんだ』と思ってみんなでびっくりして、出てきて手ぇ振るじゃん」
「手を振ってくれるんだ!(笑) 田舎でいきなりデコトラが走ってきたら、当時は目立ったでしょうね」
「そうよ。それに応えるようにクラクション鳴らして。そういうちっちゃい交流みたいなものがあると、『俺は寝てる場合じゃねえな、まだ頑張らなきゃなんねえな』って走るじゃない。そういう楽しさがあったの。
仕事なんて辛いもんなんだけど、楽しみをつくるとがんばれるじゃない。それで何十年もやってきたのよ」
「大変な仕事でも、どうやって自分なりに楽しむかの話ですね」
「なんでも楽しまねえと。あんたらの仕事だってそうでしょう?」
「なんだか元気をもらいました。ありがとうございます!」
おわりに
八戸はデコトラ文化が盛んだったこともあり、私自身も地元でデコトラを見かける機会はあったのですが、「派手な装飾が好きなんだな」としか思っていませんでした。でも、仕事道具を磨き上げ、きれいに装飾することがドライバー同士の交流のもとになり、仕事の励みにも繋がっていたのでした。仕事が辛くても自分を鼓舞して、楽しく続けるためのヒントが詰まっているような気がします。
夏坂さんは東日本大震災で八戸が被災した際、他県にある取引先のかまぼこ屋さんから袋入りおでんを提供してもらい、200食分くらい避難所で配ったそうです。袋ごと温められるので、少ない水でも、きれいな水じゃなくてもおいしく食べられると、たいそう喜ばれたと笑っていました。
これも、もともとの関係性がなければ、おいそれとできることではありません。全国を走り回り、交流してきた夏坂さんだからこその人徳といえるでしょう。
今の時代は物流が発達し、「誰が運んでも同じクオリティ」で荷物を受け取ることができます。それは生活者としてとてもありがたいことなのですが、かつては「この人にやってもらったら付加価値がつく」ような仕事があったのだと、夏坂さんの話を通じて知りました。自分ははたして付加価値のつく仕事ができているだろうかと、背筋を正すような思いで事務所をあとにしました。
夏坂さんのご自宅にも寄らせていただいたのですが、壁がデコトラと同じ柄でした。自分で設計やデザインもしたそう。多彩すぎる!
☆お知らせ
今回の記事は、ローカルをテーマにしたマガジンハウスのWebマガジン『コロカル』とコラボした「ジモコロカル八戸取材ツアー」で制作されました。『コロカル』では以下の記事が公開中です!
・快進撃の酒蔵はどこへいく〈八戸酒造〉が描く未来図https://colocal.jp/news/167381.html
・八戸の横丁に行けば、誰しも夜の魔法にかけられる。「酔っ払いに愛を2024」が10月に開催
あわせて読みたい青森のジモコロ記事
この記事を書いたライター
1986年生まれ。青森県八戸市出身・在住。3人姉弟の真ん中、3人の(生物学上は)男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社の営業事務を経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターンしました。主な執筆媒体は、講談社『FRaU』、マガジンハウス『BRUTUS』『Hanako』『コロカル』etc...