この密貿易で稼いだ資金で、島津斉彬が近代化をすすめて強くなれたので、薩摩が維新の勝者になれたのは、琉球の特殊な扱いのおかげなのかも。
その割に、沖縄の扱いはひたすらに悪いですね…
沖縄の方では、薩摩時代より中華時代の方が良かった的な意図で、中国の方を向いた巨大シーサーがありました。
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あと「天皇」という呼称自体が、「王」より格上で、中華の冊封体制からの脱却、という意図があるみたいですねー
で、そのおかげで江戸時代の外人からも、天皇は「king」でなく「emperor」と呼ばれてて、今の天皇陛下は現在世界でただ1人のエンペラーということになってるそうな。
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なお、エンペラー扱いだったのは1693年の東山天皇の時点ですが、その時は天皇という言葉は使われてないです。
「天皇」という呼び方は、壬申の乱の勝者の天武天皇から平安時代中期の村上天皇まで使われてて、それ以降は「院」だったけど、江戸後期に光格天皇(明治天皇の曽祖父)が復活させたそうな。
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なるほどなるほど。
ここで疑問が一つ、なぜ足利は冊封を受け入れたのでしょう?以前ゆきにゃんが言ったように中国から日本に攻めるには朝鮮半島を通るしかない(まず朝鮮に戦勝)ので侵略されなかった、状況で脅威はなかったのに冊封受け入れるのがわからんのです😃
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日明貿易するには冊封を受け入れる必要があったからです。
足利義満は名より実をとった感じ。
なお、義満の息子の4代将軍義持は、冊封を嫌って日明貿易をやめてます。
まぁ義持は、義満と仲が悪かったんで、父のやってたことを否定したというのが本音みたいに教わりましたが。
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なお、義持の弟の6代将軍義教は、日明貿易を再開してます。
当時、日本では貨幣を鋳造してなくて、中国の銅銭を使ってたので、日明貿易での銅銭の輸入は莫大な利益をもたらしたそうです。
ただ、8代義政の頃になると、明側の規制で、銅銭を輸入できる量が減ってしまってたそうな。
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まぁそんなわけで、足利義政のころはあんまりお金なかったようで、銀閣寺に銀箔はれなかったのはお金なかった説もあります。
そもそも最初から貼る気なかった説、銀箔貼る前に義政他界説もあるんで、なんともいえませんが…
なお、嫁の日野富子が高利貸しで儲けてて、お金の力で応仁の乱を納めた感じ。
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ちなみに日明貿易は、幕府管領の細川氏と山口の大内氏で利権を争ってましたが、最終的に大内氏が独占。
その後、大内義隆が家臣の陶晴賢に謀反を起こされて死に、陶は養子の大内義長をたてますが、明はこれを認めず日明貿易は中断になります。
なお、その陶晴賢を厳島の戦いで倒したのが毛利元就。
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で、時は流れて、秀吉の朝鮮の出兵の時に秀吉から出された和平条件の1つが日明貿易の再開でした。
というわけで、明からの国書で「秀吉を日本国王に封ずる」という内容のことがあったはず。
ただ、他の条件で「明の太子を人質」「朝鮮半分は日本のもの」とふっかけたせいで決裂してます。
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連投し過ぎですいません(。>_<。)
今、日明貿易の動画を見たんですが、足利義満、ほんっとに明に一切敬意示してないですw
冊封願いの書面も適当だし、明からの冊封儀式でも好き勝手してるし、「儲けたいからやるんや。でも、頭なんか下げるわけないやろw」というノリです。
invidious.poast.org/watch?v=VEvkdavs…
Jul 13, 2022 · 5:33 AM UTC
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