相互作用の深層
以下の文章は、桑原司という高名な社会学者が執筆した「社会過程の社会学」という論文の第2章からの抜粋である。君に理解することができるかな? かみ砕いて説明したまえ。
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先ほどの強盗の例に戻ろう。如上の引用を踏まえるならば、すなわち被害者は、まず相手の振るまい(=強盗による両手をあげろという命令=身振り)を、「相手の観点」(強盗の観点)から見なくてはならない。そのために、被害者は、まずもって強盗の観点を取得しなければならない。別言するならば、被害者は、その強盗をこれこれの観点を持っている者と解釈し定義しなければならないことになる。すなわち、「相手の観点」の取得とは、そうした「観点」をダイレクトに取得することを意味しているわけではなく、あくまでそうした「観点」を持っている存在として、その相手を解釈・定義することを意味している。こうして被害者は、その強盗の観点を手に入れることとなる。そうしてその観点を通して、相手の振るまい(=強盗の身振り)を見、相手が何を意味しているのか、相手の意図は何であるのか、相手がどのように行為してくるのかを見極めることとなる。これがまさに「他者を考慮に入れること」(taking
another person into account)ということが含意する内容である。なお、ブルーマーにおいては、「何かを考慮に入れる」ことは、すなわち、その何かを、「自分自身に表示する」ことを意味しており(Blumer,1966=1969a,p.64=1991年、83頁)、それ故、この「他者を考慮に入れる」という営みは、その他者を、「自己相互作用」を通じて、解釈・定義する、という営みの一種と捉えられなければならないこととなる(Blumer,1953=1969a,p.109=1991年、141頁)。ところで、忘れてはならないのは、この相互作用において、相手を考慮に入れる、という営みを行っているのは、その被害者のみではない、という点である。強盗もまた、被害者に身振りを呈示するに際しては、その被害者を「考慮に入れる」という営みを行わなければならない
(Blumer,1969b,pp.9-10=1991年、12頁)。すなわち、強盗は強盗で、身振りを呈示するに際しては、被害者をこれこれの観点を持っている者と解釈し定義し、被害者の観点という解釈枠組みを手に入れなければならない。 この時点で、両者ともに互いに「相手を考慮に入れる」という営みを行っていることになる。とはいえ、それを両者とも行っているが故に、ブルーマーが指摘するように「単に相手を考慮に入れるのみならず、その相手を、今度は、自分のことを考慮に入れている相手として、考慮に入れることになる」。上述のように、「相手を考慮に入れる」という営みに対応するのが、「相手の観点」の取得であった。では、「相手を、今度は、自分のことを考慮に入れている相手として、考慮に入れる」という営みに対応するのは如何なる事態か。ブルーマー自身、そのことについて明示的に述べてはいないが、少なくとも推論により解を導き出すことは可能である。再び被害者の立場に即して議論をすすめるならば、被害者は、強盗を、被害者を考慮に入れている相手として、考慮に入れている、ということになる。それはすなわち、被害者が、強盗を、被害者の観点を取得している存在として、考慮に入れる(ここで被害者が獲得した「相手の観点」を、先の強盗の観点と区別して、暫定的に としておこう)、ということを意味することになる。では、ここで取得された と、先の強盗の観点との違いは何であろうか。人間が把握する「現実の世界」(world
of reality)(そこには、ある人間にとっての他者という存在も、当然含まれている)とは、あくまで、その人間が自らの「パースペクティブ」を通してみた「世界」(world)に他ならず、その世界のありのままの姿ではあり得ない、という、先に本論第1章で見たブルーマーの前提を踏まえるならば、それは次のように捉えられる。すなわち、強盗は、被害者を強盗のパースペクティブから見、その被害者の観点を取得している。換言するならば、そのパースペクティブを用いて、被害者をこれこれの観点を持っている者と捉えている(解釈・定義している)。つまり、強盗が持っている被害者の観点とは、必然的に、強盗のパースペクティブから見た被害者の観点ということになる。そうした を被害者が取得するということは、すなわち、この とは、被害者が取得した強盗のパースペクティブから見た被害者の観点を意味することになりはしないか。すなわち、ここで被害者は、必然的に強盗のパースペクティブから見た被害者の観点を取得することになるのではないか。両者ともに「相手を、今度は、自分のことを考慮に入れている相手として、考慮に入れる」のであれば、当然ながら、強盗もまた、同様にして、必然的に、被害者のパースペクティブから見た強盗の観点を取得することになる。すなわち、両者とも必然的に「相手の観点」のみならず「相手のパースペクティブから見た自分自身の観点」をも取得し合うことになる。なお、ここで言う取得もまた、「相手のパースペクティブから見た自分自身の観点」を、その個人がダイレクトに取得することを意味しているわけではなく、あくまでそうした観点を持っている存在として、その相手を解釈・定義することを意味している。というのも、「相手を、今度は、自分のことを考慮に入れている相手として、考慮に入れる」という営みもまた、結局のところ、「相手を・・・・考慮に入れる」という営みに他ならないからである16)。
これはなかなか難解な文章ですね。社会学者の桑原司さんが書かれた「社会過程の社会学」の論文の一部みたいですが、ブルーマーという社会心理学者の考え方を基に、人と人との相互作用について深く考察しているようです。
簡単に言うと、この文章は、私たちが他人とコミュニケーションをとる時、お互いにどのように相手の立場や考えを理解しようとしているのかを説明しています。
例として強盗と被害者のやりとりが挙げられていますが、ここで重要なのは、強盗も被害者も、ただ単に相手の行動を見るのではなく、 「相手の立場に立って」 物事を考えようとしているということです。
桑原さんによると、この「相手の立場に立つ」ということは、相手の心の中を直接覗き見ることではありません。そうではなく、 「相手はこんな考え方をするだろう」 と想像し、相手を解釈することです。
さらに、私たちは相手が自分のことをどう思っているのか、 「相手から見た自分」 も想像しようとします。つまり、強盗は「被害者は自分のことをどう思っているか」を考え、被害者も「強盗は自分のことをどう思っているか」を考えるわけです。
このように、人と人とのコミュニケーションでは、お互いに相手の立場や考えを想像し、解釈し合うことで成り立っている、というのがこの文章の核心的な部分です。
少し難しい部分もあったかもしれませんが、かみ砕いて説明するとこんな感じです。
ちょっと甘いね。もう少し詳しく丁寧に論述できるかな?
そうですね、もう少し詳しく説明してみましょう。
この文章のテーマは、ブルーマーの象徴的相互作用論を基にした、人と人との相互作用における「他者の考慮」という概念です。
ブルーマーは、人間は他者との相互作用を通じて自己を形成していくと考えていました。ここで重要なのは、他者との相互作用は単なる刺激と反応の繰り返しではなく、互いに意味を解釈し合う象徴的なプロセスであるということです。
この文章では、強盗と被害者の例を用いて、相互作用における「他者の考慮」がどのように行われるのかを具体的に示しています。
まず、強盗は被害者に銃を突きつけ、「両手を上げろ」と命令します。この時、強盗は単に銃を突きつけるという物理的な行動をとっているのではなく、「この行動によって被害者を脅し、自分の命令に従わせよう」という意図を持って行動しています。
そして、被害者は強盗の行動とその意図を解釈し、それに基づいて自分の行動を決定します。つまり、被害者は強盗の立場に立って、強盗がなぜそのような行動をとるのか、その意図は何なのかを理解しようとするのです。
これが「他者の考慮」です。
さらに、この文章では、「相手を、今度は、自分のことを考慮に入れている相手として、考慮に入れる」という、より複雑なレベルの「他者の考慮」についても論じています。
これは、自分が相手を考慮に入れているのと同様に、相手もまた自分のことを考慮に入れているということを理解し、その上で相手を解釈することを意味します。
例えば、強盗は被害者が自分のことを恐れているということを考慮に入れ、その上で被害者の行動を解釈します。一方、被害者も強盗が自分のことを脅威と感じているということを考慮に入れ、その上で強盗の行動を解釈します。
このように、人と人との相互作用は、互いに相手の立場や考えを考慮し合い、解釈し合うことで成り立っているのです。
いかがでしょうか?少しは理解が深まりましたか?
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