占領軍がまだ日本を占領していた昭和二十五年、発疹チフスがはやりました。国民は虱(しらみ)がたかっていたわけです。すると私のところに、司令部から公衆衛生福祉部長の部屋へ何日何時に出頭しろという連絡がありました。行くと、サムス准将、そのとき大佐ですが、彼の部屋の前に厚生省の偉い人がちゃんとすわっていて、「おい、何でもいわれたことは、はいはいと聞いておくんだぞ。あとからごまかし方を教えてやるから」という。

 私はそこでカチッときた。ごまかし方を教えてやるからというのは、ちょっと聞きずてにならない。私はそれまで役人とはつきあいがなかった。私がつとめていた理化学研究所というところは原子物理学の先駆で、まともな勉強ばかりしていたわけですから、いやしくも人をごまかすなどということを習うような暇はない。まともな真実と取り組む場所でしたから、そういう会話はほとんどありませんでした。私は驚き、その瞬間、腹は決まりました。

 サムス准将のところへ行くと、彼はたいへんなごやかな顔をして「発疹チフスは虱からくるという話があるが、ほんとうかどうか証拠があるか」と聞くので、私は「証拠はございません」。「アメリカにも証拠はないんだ。それならひとつ、医科大学の学生に虱をたからせて、発疹チフスになるかならないかやってみろ。厚生省はやってもいいといっているんで、実施段階は日本医師会がやれ。おれが命令するんだ」といいます。

 それで私は、「それじゃ100%治る薬がございますか」と、ないことを知っていたが、しらばっくれて聞いてやった。そうしたら、「100%とはいかないけれども、オーレオマイシンならばたいてい助かる」という。人権尊重などといって日本へ乗り込んできた野郎が、ふざけた話をするにもほどがあると思って、私は腹の中がむかついたけれども黙って話を聞いていました。
「一人でも犠牲者が出ると相すまないから、私は学生を人体実験するわけにはまいりません」と答えたところが、今度は何をいうかと思ったら、「そんならば死刑囚でやれ」という。私は、「死刑囚でも生きている間は人権は守られなければならないから、できません」といいました。すると、テーブルの上に足をガタガタッと乗せて、「おまえは戦争に負けたことを知っているか」という。「あれは軍人が負けたんで、ぼくらが負けたんじゃありませんよ。日本の医学は負けておりません」。そうしたら、「おまえは赤だ。あまえみたいな奴は出ていけ」というので、私は喜んで出ていった。そうしたら、外に厚生省の役人の偉いのがまだちゃんと待っていて、「おい、どうした」というから「ふざけるな」といって帰ってきたのです。

 そのときの厚生大臣は、吉田茂さんといとこ同士の林譲治さんでした。われわれはみな親戚仲間ですから、私のところへ林先生が電話をかけてきて、「おまえ、とんでもないことをしてくれたじゃないか」というから、「とんでもないことをしたのは厚生省なんで、ぼくじゃありませんよ」。よく聞いてみると、なんと驚いたこちに大臣はうそをいっている。私は「あなたは何も知っちゃいないんだから、あした朝ぼくが行ってよく話しますから、そこにちゃんと役所の人も呼んでおいて話を聞きなさい」。そうしようというので、私は翌朝行ったわけです。

 実情を話したら林さんが、「それはとんでもないことだ。そんなばかなことをいったんなら、おれがこれから行って談判する」といいましたので、ある局長が「大臣、そんなことなさったらたいへんです」という。「サムスが怒りますし、通訳も怒ります」という。

 これが役人の真骨頂です。私は、戦前、戦中、戦後を通じて、役人の正体をこれくらいはっきりつかんだことはない。国民を売り、国を売ることに平気なやつが、役人という生物です。無生物扱いにしては相すまんから、あえて私は生物扱いにするわけですが、それで、その局長がしゃくにさわったから、椅子を持って、大きな椅子だったけれども、ぶんなぐってやろうと思ったら、林さんがサッとつかまえて、「役所の醜態をさらけ出してまことに申しわけがない。あとは大臣として自分で処理いたしますから、お引き下がりください」という。だから、私はそれで引き下がってきました。

 そうすると、その翌日、今度はサムス准将が「日本医師会はハウス・クリーニングを要する」といって追放ともつかないようないいかげんなことをいってきました。私はそのあと最後に、「マッカーサーの命令ならぼくらは聞くけれども、あなたの私物の命令は聞きませんよ」と言って帰ってきたのです。そして、サムスが「日本医師会はハウス・クリーニングを要する」という手紙を全国の医師会に出したので、われわれはこんなばかとけんかしながら医師会をやっていてもしようがないからと、やめてしまったのです。

 そのときの会長は田宮猛雄先生といって、東大の名誉教授ですが、代議員会が開かれて、われわれが退職するときに「昔ならば切って捨ててしまうやつだけれども」云々といって、ちょっとあとで物議をかもしたが、私は、ほんとうに国歌に一朝事あるときには、人間の本性というものが出てくるものだと思います。役人には役人の本性が出てくる。軍人には軍人の本性が出てくる。本性を出すということは当然あっていいことだと思いますが、私が役人をきらいになったのは、そのときからです。役人といっても大勢いるが、私にかかわりのあるのは厚生省だから、厚生省の役人をきらいになったのはそれからです。

 役人がサムス准将に何をしたかとみると、女を世話し、料亭を世話する。あらゆる屈辱的なことをやって歓心をかい、役人の点数を上げていこうというのだから、これは日本の風土におけるしろものではありません。こういう役人どもを扱って、吉田さんは大宰相になったのだから私は尊敬しておりますし、偉いと思います。そしてさらに、そのとき吉田さんをぼろくそにいったマスコミは、あとからどんなにうまいことをいっても、とにかくこれは先が見えなかったといわねばなりません。

(武見太郎『21世紀は慢性肝炎が国民病になる』(サイマル出版・1979年)3~7ページ)

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サムス准将に関するサイト
    ↓

http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~asano312/samusu.htm


今回暴露されたグアテマラでの人体実験と、武見太郎氏が暴露して居る占領下日本における発疹チフスの人体実験計画が似て居る事に驚くのは私だけでしょうか?


その事を考えると、当時のアメリカは、世界中でこんな事をやって居たのではないか?と言ふ疑念が頭をもたげずには居ません。


帝銀事件の事なども頭の片隅に浮かびますが、戦後世界の現代史を覆ふ闇は、医学においても深いと言はざるを得ません。


平成23年(西暦2011年)8月31日(水)
戦後66年目の夏に


           西岡昌紀(内科医・元厚生省職員)



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http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011083000471


性病人体実験で83人死亡=グアテマラで-米大統領委発表

 【ワシントン時事】米国が1940年代に中米グアテマラで、性感染症の治療をめぐる「人体実験」をしていた問題を調査している米大統領委員会は29日、実験で少なくとも83人が死亡したと発表した。
 実験は46年から48年にかけ、当時は新薬だった抗生物質ペニシリンの効果を調べる目的で約5500人に行われ、このうち1300人が性病に感染した。実験に関する事前説明はなく、同意も取っていなかった。
 売春婦を梅毒や淋病に感染させ、兵士や刑務所の受刑者らと性交させるなどして実験を行った。実験対象者には精神病患者も含まれていたという。
 同委員会のグトマン委員長は「医学実験が現在は倫理的に行われていることを人々に保証するためにも、非倫理的な歴史的不正を正確に記録することが重要だ」と強調した。
 人体実験の事実は昨年、マサチューセッツ州のウェルズリー大学教授の調査で発覚。これを受け、オバマ大統領は昨年10月、グアテマラのコロン大統領に電話で謝罪するとともに、同委員会に調査を命じていた。調査報告書は9月、大統領に提出される。(2011/08/30-14:33)
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