哲学が「無意味」である理由
はじめに
「哲学に意味はあるのか」。一度は見聞きしたことがある問題だと思います。
大多数がガン無視してるこの話題、最後まで見聞きする物好きな人は、「〇〇だから哲学は不要〜」「〇〇という意義において哲学が求められる〜」という主張を発見するでしょう。
題名の通り、私は哲学が「無意味」だと思っていますが、文章を読んで皆さんが抱く内容とは少し違う考えを持っています。 今から解説しますので「〇ね」「イキんなカス」という感情を抑え、最後まで読んでくれるとうれしいです。
「哲学」って何?
そもそも、皆さんは「哲学」という言葉の意味を知っていますか?
大抵の人は「よく分からん理論を振りかざしてあらゆる人にマウントを取りに行く学問」だと思っているのではないでしょうか。
違います。「哲学」とは「学問」なのです。
「薬キメてる?」と思われるのも無理はないですが、今から解説していきます。
「哲学」の語源
「哲学」という言葉を作ったのは西周という明治時代の学者です。
この人、めちゃくちゃ大量の言葉を作ったことで有名です。「経済」「科学」「理性」「技術」...本一冊につき100回以上はmade in 西周が登場します。
彼は、西洋の言葉をカタカナ語ではなく、翻訳語(和製漢語)として導入した超偉人です。
超偉人は、英語「philosophy」を「哲学」と訳しました。これは、「希哲学」を省略した語です。
分からん言葉に分からん言葉がくっつきましたが、もう少し耐えてください。
Philosophyは、ギリシャ語のphilosophiaに由来する言葉で、「philo(philein)」は愛、「sophia」は知恵を意味します。つまり、「知恵を愛する」がphilosophyの意味です。
「くたばれ」と思いましたか?
西周も相当苦しみました。素直に訳せば「愛知」ですが、さすがの大賢者西周、がんばりました。漢語(中国語)で似たニュアンスの言葉を発見します。「士希賢(士は賢を希(ねがう)」、この言葉をパク...引用し、「哲(明らか、賢い)」を「希う(強く望む)」学問として、「希哲学」としました。(その後なぜか希を省略して使うようになりましたが、西周大先生以外誰も理由を知りません。)
つまり、哲学とは、「ものごとを明らかにしようとする学問」のことなのです。
もう一度言います。「ものごとを明らかにしようとする学問」です。
「哲学」が「無意味」である理由
↑を読んで「それ学問全部そうじゃん」と思ったあなた、正解です。これ学問全部に同じことが言えるんです。
Ph.Dという言葉を聞いたことがありますか?
大学→大学院(修士課程)→大学院(博士課程)を潜り抜けた猛者たちには、「めちゃくちゃすごい学問がんばったね」という証として、もれなく博士号Ph.Dが与えられます。
Ph.Dは省略せずに言うとDoctor of Philosophyです。
つまり、(博士課程行ってない人を除く)研究者は、すべて「哲学博士」です。
『「哲学」は「学問」である』という主張は文字通り『「哲学」という言葉=「学問」という言葉』という意味です。バグってます。
結論を述べます。原義上、哲学=学問です。したがって、哲学は全部学問という言葉で置き換えできます。なので、哲学という言葉は使う必要がありません。無意味です。
終わりに
最後まで読んでくれた方には「いや、哲学って言葉そんな使われ方してねえだろ」という反感しか残っていないと思います。次回は、皆さんが思っている通りの「哲学」の意義について考えていこうと思います。
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