いつも玉木雄一郎を応援してくださり、本当にありがとうございます。
今日は、私から皆さんに一言お伝えしたいことがあり、この場をお借りして、玉木雄一郎について少しだけ書かせて頂きます。
「自分はふるさとに育っててもらった。だから、恩返しをするんだ。」と、玉木は、いつも言っています。その熱い思いをひとりでも多くの皆さまに伝えるため、妻として支えることができたらと、ずっと思ってきました。
思えば政治の道を志した7年前。正直に言うと私はとても戸惑いました。
東京から、さぬき市の神前に引っ越してきて、人生は激変しました。
でも、「自分はこんな田舎まちの出身だからこそ、東京でやるべきことがあるんや。自分のような人間は、霞が関や永田町ではあんまりおらん。自分のような人間が、地域の声をただしく国政に伝えないと、地域はどんどん衰退する。そして、地域が衰退するとき日本も衰退する。これ以上、放っておけんのや。」という玉木の思いを聞き、共に頑張ろうと決意しました。
落選中の4年間も含め、今日まで、玉木はただ前だけを向いて走り続けてきました。打たれても、打たれても、へこたれることなく、一度も立ち止まりませんでした。前進し続ける玉木をずっと見てきて、ふるさと、そして、日本を思う気持ちは誰にも負けないと確信しています。一番近くにいる私が保証します。
困っている方々の話を何時間でも聞き続け、あるべき道を、声を枯らして訴え続け、痛々しいくらい懸命に体当たりしている姿に、私自身、心が打たれます。
例えば、東日本大震災の際には、被災地に何度も行って、原発の警戒区域内の家畜やペットの保護活動にも取り組んでいました。なぜ、そこまでするのかと聞いたとき、ただ「動物の命も命だ。」一言そういって活動を黙々と続けていました。
仕事に全力であたる分、息子と一緒にいられる時間はほとんどありません。でも、忙しい時間の合間をぬって、「10分間キャッチボール」をしてくれました。息子はよほど嬉しかったのだと思います。「お父さん、忙しい中ありがとうね」と何度も何度も言っていました。
一緒にいる時間はほとんどなくても、息子の尊敬する人は、「お父さん」です。玉木が、家族のためにも、日本のためにも必死で戦っていることを、息子なりにしっかり受け止めているようです。息子は世界の「偉人伝」を読むのが好きで、リンカーンやガンジーなどの偉人の写真を自分の部屋に貼っているのですが、その一枚に「お父さん」の写真が並んで貼ってあります。
「僕もお父さんと一緒に頑張るからね。」
息子が、父、玉木雄一郎の背中を見て、たくましく育っていることは、母として、とても嬉しく思います。
玉木雄一郎は、香川をそして日本を守るために、全力を尽くす人物であることをお約束します。
そして、玉木がこうして全力で頑張れるのは、日々、支えていただいている皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。感謝の言葉も見つかりません。
今後とも、どうか玉木雄一郎をよろしくお願いいたします。
【7年前の家族写真】