260.第二王子は投じた。
…全てが、怖かった。
失うことも失わせることも得ることも奪い取ることも何もかも。
「プライド・ロイヤル・アイビー、只今援軍に到着致しました‼︎」
扉が開かれ、プライドがサーシス王国の我らが本陣まで姿を現したのは、窓から敵兵を迎撃していた衛兵の報告から間もなくのことだった。
敵兵がひしめき合っている筈の城内をその足で進み、敵兵を薙ぎ倒した彼女や騎士達は驚くほどに無傷だった。先程消えたステイル王子もプライドも共に現れ「お姉様っ!兄様っ!」とティアラ王女が駆け寄った。ジルベール宰相が「お待ちしておりました」と恭しく頭を下げ、その後の報告を始めた。
ステイル王子はジルベール宰相からの報告を受けた後は通信兵の方へと向かい、プライドはティアラ王女から話を聞き、そのまま映像の兄さんやジルベール宰相との打ち合わせを始めていた。
「……。」
…何故、俺はここに居る?
兵士達のように身を晒し国の為に戦うこともできず
フリージア王国騎士団のように敵を圧倒することもできず
兄貴やプライドのように兵を率いて駆け付けることもできず
更には兄さんのように守られる価値すら無い俺が
何故、ここに。
「…セドリック?」
俯き、拳を震わせる俺に突然声がかけられる。
顔を上げれば、プライドが不安げに眉を寄せて俺の目の前まで来ていた。思わず息を飲み、身体を逸らして一歩後退ればプライドが続けて俺を覗き込んできた。
「どうかしたの?」
短いその言葉に、多くの含みが感じられた。
己でも過剰過ぎると思いながら、周囲の視線に刺し貫かれる気がした。躊躇い、押し留めようと口を噤めばプライドは更に言葉を重ねてくる。
「大丈夫よ。貴方も戦況は知ってるでしょう?あとは北方の最前線さえ」
「何故ッ…俺は、こんなにも無力なんだ…⁈」
声が上擦り、溢れた。
遅れて、また余計なことを言ってしまったと気づき、後悔する。零したワインを再びグラスに戻せぬように吐露した言葉も戻せないと、思わず目を強く閉じる。刺さる周囲からの視線とプライドの眼差しから、…何より現実から逃げるように目を逸らし、拒む。
握り締める拳に力を込めれば、不意にそっと何かが俺の手を包んだ。驚き、目を見開けば俺を覗き込むほどの至近距離にプライドがいた。鼻が触れそうなほどの距離に身動きすら奪われる。真っ直ぐに向けられたその瞳が俺を映した。怯え、目を丸くし、情けない表情をした俺がいた。拒みたくても彼女から目が逸らせない。
また何を言われるかと肩が勝手に震えれば、彼女は俺の怯えに気づいていたかのようにその口を開き、放った。王子として情けないと、愚かだと、自業自得と言われてもおかしくないその口で
「なら、力をあげる。」
…彼女は、告げた。
あげる、という意味が分からず目を開き彼女を見返せば一瞬も逸らされることのなかった彼女の瞳がそこにあった。
「来なさい。逸らさずその目で全部受け止めなさい。」
俺の手を強く握り、引く。
何をするつもりなのか、驚く周囲に彼女は指示を出す。「ステイル、追ってカラム隊長とアラン隊長。あと半分の騎士を私の元に」とステイル王子に告げて民の救助を託す。ジルベール宰相にティアラ王女とこの場を任せ、近衛騎士に「宜しくお願いします」と声を掛け引き連れる。
窓辺で敵兵を射撃し続ける衛兵に命じ、その場を退かせる。何のつもりかと思えば、彼女は窓にそのまま足を掛けて俺の手を引いた。引き摺られぬように足に力を込め、意図が分からぬまま混乱する頭で彼女にやっと言葉を放つ。
「⁈プライドッ…一体、何の」
「私に付いて来なさい、セドリック。」
狼狽える俺の声を、プライドの言葉が打ち消した。真っ直ぐ放つ彼女の声は、逃言すら許さないかのように強く響く。
言葉を失い、唇を震わすことしかできない俺に彼女は続ける。変わらず覗き込む厳しい眼差しと意図を読めぬ表情で。
「私が貴方の世界を変えてあげる。」
見てて。と彼女が初めて小さく笑んだ。
俺の手を握る力を緩め、離すとそのまま彼女は躊躇うことなく窓から飛び降りた。城の最上階、更には敵が蔓延る城下へと彼女は何の恐れもなく身を投じた。 近衛騎士が驚き彼女の名を叫び、別の窓から身を乗り出す。
彼女に返事もできず、俺はただ言われた通りに窓からその姿を追うようにして見つめ続ける。
深紅の髪が風圧で舞い上がり、紅き団服が翻り、弾丸の如く銀に輝く鎧の四肢が伸びた。
遥か下には敵兵がいるというのに、彼女は剣を構えて悲鳴も上げずにそれへと向かう。
着地か、墜落か。細い身体が敵兵の波に埋もれて沈むかと思った瞬間
彼女の周囲が華開くかのようにして敵兵を散らした。
身体を回転させ、躍るようにして彼女は周囲の敵兵を剣で跳ね退けた。傍にあった花が共に煽りを受けて散り、黄色の花弁が彼女を飾るかのように舞い踊る。更には、先程まで俺と同じように窓から覗き込んでいた筈の近衛騎士が突然彼女の上空に現れ、着地と同時に周囲の敵を薙ぎ払った。続くように他の騎士達も数人表出し、そのまま躊躇いなく左右から敵兵を退け、あっという間に無力化していく。
左右の近衛騎士が敵兵を退け出し、彼女は一度構えを解いた。そして剣を一度腰へと仕舞い、…俺を見上げた。
右手を俺の方へと伸ばし、誘うように笑んだ。身を乗り出し、窓枠を掴む手に震えながら力を込める俺に彼女は声を張り上げる。
「来なさいセドリック!」
…身を乗り出したまま窓枠に足を掛け、蹴り上げる。
気がつけば身体が宙に浮き、さっきまで乗り出していた窓が遥か頭上にあった。
何処へ行くのか、何をするつもりなのかもわからない。…それでも、俺は。
着地し、地を踏みしめる。敵兵を退け続ける近衛騎士達が俺が来るとは思わなかったのか、一瞬驚いたように振り返った。彼女が俺の方へと向き直るが、俺は未だ彼女の顔も見れずに目を伏せた。すると、伏せた先の俺の目線に入り込むように彼女の手が伸び、再び俺の手を掴み、引き寄せた。
「大丈夫。」
反射的に顔を上げ、彼女を見れば強い眼差しと揺るぎない笑みがそこにあった。未だに何も言えぬ俺に彼女は問うことなく言葉を続けた。その声は強く、気高く、俺の前に佇む姿はひたすらに眩く美しかった。
「その時までは、私が守ってあげるから。」
輝く紫色の瞳と深紅の髪が揺れた。
返す言葉を持たない俺を、彼女は迷いなく引き寄せ導いた。まるで、と再びあの言葉が頭に繰り返される。口で唱えるより先に、初めて俺はプライドのその手を握り返した。幾度も躊躇いなく触れ、そして触れるのを躊躇った彼女のその右手に。
右も左もわからぬままに、縋る思いで彼女の背中に従った。