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久方ぶりに出た東京は、裏の世界のことが嘘のように平常運転であった。
人々は忙しそうに行き交って余人のことも何も関係ないと言わんばかりに今を生きるのに必死で、棄てられた地下で何が蠢いているか、どれだけのジゴクが広がっているかも知らずに生活している。
しかし、藤木戸はそれを見て腐されることはない。
むしろ、良いことだと買い込んだ缶コーヒーをギュッと呷ってゴミ箱へ放り投げた。
あのようなジゴクなど知らなくていい。無関係でいい。他人事でよい。
人々がこうやって日常に忙殺され、自分達の戦いを讃えることは疎か、知るでもない現状こそが対魔忍として最良の成果なのだ。
一人納得しつつ腕時計を見て、そろそろかと思っていると人混みに紛れるように立っていた街角に一台の真っ赤なスポーツカーが停まった。ツーシーターの実用性を度外視した、乗ることを楽しむための底車高で高速域での安定性を求めたフォルムは美しいが、果たしてこの狭い日本の何処で本気が出せるのか、といった本物の高級車である。
左ハンドルのそれから顔を出したのは零子だ。キャリアウーマンの如くパリッとしたスーツで固めた姿は対魔忍というよりも、一般社会で地位ある女性と言った風情であり、ムチドーのタツジンには見えない。
「迎えに来たぞ」
「ドーモ、レイコ=サン、藤木戸・健二です。助かる。しかしレイコ=サン、オヌシこういう趣味があったのか?」
「悪いか?」
「イタリア女など手が掛かって仕方がないだろう」
助手席に乗り込む藤木戸に、そこが良いんだと宣って、街中での低速域ではイマイチ格好の付かないエンジン音を立てながら零子は高速へと向かった。
「……レイコ=サン……」
「安心しろ、私はゴールドだ。生まれてこの方擦ったことすらない」
「そういう問題ではないのだがな」
かなりの加速度でバケットシートに体を押しつけられた藤木戸は、自分が全力疾走するよりかは遅い制限速度で走っているにも関わらず、軽い命の危機を感じた。果たしてクラッシュした場合、シートベルトを外して扉を開け脱出するのが間に合うか。
あまり人に命を預けた機会のない藤木戸には――彼はヘリも車も自分で操縦する派だ――新鮮な恐怖であった。
「で、五車の危機とは何だ。アサギ教育主任が危ないとは聞いたが、具体的に何が起こっている」
最右側車線を快速でかっ飛ばす零子は、前をしっかり見据えたまま問うた。頭を動かさず目が細かく動いているのは、油断なく前後左右の車の位置関係を把握するためであろう。前に車がいれば素早く追い越し、後続が迫ってくれば速度を上げる様は堂に入っているが、乗っている側からすると酷く落ち着かなかった。
藤木戸はカチコチになりながらアシストグリップに捕まりつつ、ノマドに井河長老衆虐殺事件の真相が漏れたことを話す。
そして、それがスレイし損ねた星舟の手に渡っているであろうことも。
「参ったな、連中、それを長老衆の残党や抜け忍共に売ったか」
「売ったどころか共謀して今の五車をひっくり返そうとしている可能性すらある」
「チッ、裏切り者の売国奴共が」
憤りに合わせて踏み込まれるアクセルペダルの角度が鋭角になった。エンジンが甲高い絶叫めいた悲鳴を上げ、速度が一廻り上がる。
「レイコ=サン……」
「安心しろ、五車最新のステルス技術でオービスもNシステムにも捕まらん」
「そういう問題ではない!」
豊満な美女がスポーツカーをぶっ飛ばしているのは様になっているが、幾ら高速道路の速度制限が昔と比べてかなり緩和されたといえ、200km/hを軽く超えられると同乗者としては恐怖を感じ得ない。
戦場で背中を預け合って命を分かち合う相手として零子に不足はないが、運転手としては話は別だ。藤木戸からすると、キャノンボール霊柩車めいた速度を出すスポーツカーというのは怖くて仕方がなかった。
いや、彼もアンブッシュのため運転手になりすまして瞬間時速250kmで建物に突っ込み、自分だけ離脱して魔族をネギトロにしたことはあるのだが、この速度で巡航されるのはコワイのだ。
「里危急の時に速度超過でウダウダ言うな。隠密性のためにヘリが使えなかったんだから我慢しろ」
「交機の覆面がコワイと言っておるのだ!!」
「この時間帯に警邏はいない。安心しろ、情報はちゃんと仕入れている。風林火山と状況判断、貴様の口癖だろう」
そう言われてしまうとぐぅの音も出ないので、藤木戸は数時間のドライブを背中の脂汗と共に耐えきった。
そして、幾つかの高速道路を経由した後に田舎道に入ると、山間部の中にポツンと存在している市街地が見える。
五車の里だ。昔よりは発展して近代的な建物が増えてこそいるが、忍の隠れ里だけあって高層建築はなくジッサイ奥ゆかしい風情に一瞬だが藤木戸の涙腺が刺激された。
「懐かしいか」
「四年ぶりだからな……変わりはないか?」
「良くなったと思っている。閉鎖的な風土は少し改善されたし、家を跨いだ混成中隊の発足も進んで以前より活気があるくらいだ。商店街も活況だぞ」
「そうか……そういえば、以前同窓会の写真を送ってくれたな。アレには感謝している」
四年ぶりの里は記憶のままで、対魔忍が集まって生活しているとは思えない程に平和であった。市街を駆け抜けながら郊外に向かう中で五車学園の初等部に通うランドセルを背負った子供達や、少ない商店で買い食いをしている放課後の生徒を眺めていると、学生時代がソーマト・リコール現象の如く脳裏を駆け巡った。
血と泥に塗れた一二年間。同期の葬式に参加することも珍しくない、血濡れた青い春なれど、こうなると感慨深い物だ。
零子が送ってくれた同窓会の写真では同期達は皆元気そうにしていたし、変わらないことが、自分が汚名を被ってまで抜けたことで平穏を保てた街が誇らしくて胸が少しだけ熱くなる藤木戸であった。
「……ただ、誰の左手にも指輪が嵌まっていなかったのが気になったのだが。ないのか、そういうのは。俺もたまにはシュウギブクロを包みたい物だぞ」
「人のことを言えた義理か貴様。余計な心配をしてると藤木戸家が絶えるぞ。ヨミハラで何かないのか、良い話とか」
「俺は任務であそこにいるのだぞ……第一、蓮魔家とて言えた物ではあるまいに……」
「私は今の役割で忙しいんだ」
同期特有の、気安い仲でなければスゴイ・シツレイな煽り合いをすること十数分。市街地を抜けてスポーツカーは密殺中隊の官舎に辿り着いた。シャッター付きのガレージの中には麦の物と思しきバイク――車検が通りギリギリにヒーローっぽく改造してある――と中隊で移動するための装甲車が一台停まっており、紅いスポーツカーが酷く浮いていた。
「今待機しているのは?」
「井河妹と詩嶋に八津妹。ミッションの秘匿性から学生身分であることもあって秋山は外してある」
まぁ、言っては何だが賢明だなと思いつつ、藤木戸は立派なアパートめいた官舎に上がった。テッポダマは発砲するまで装填しておかないのが一番安全というものだ。
「ドーモ、けんにぃ、サクラです。いらっしゃい、我が中隊官舎へ!」
「先生、ご無沙汰してます!」
「ドーモ、サクラ=サン、ムギ=サン、藤木戸・健二です」
すると、私服姿のさくらと麦が出迎えてくれた。昨年、五車を卒業して正式な対魔忍になったさくらは、大学に通う傍ら――姉に倣って教育学部に進んだようだ――対魔忍を続けており、その立ち姿から弛まぬカラテの雰囲気が香る。
また、麦もジツ、カラテ共に充実していることが感じ取れた。最後にカラテ・インストラクションを付けてやったのは、密殺中隊の任務で二ヶ月前であるのだが、自己鍛錬を欠かしていないのか濃密なカラテの気配を感じる。
そして、談話室の椅子に一人、殺気を放つ姿が。
「……ドーモ、ムラサキ=サン、藤木戸・健二です」
「……ああ」
他の二人と違って、彼女は既に名にちなんだ紫色の対魔忍装束を着込んでいた。傍らに置いてある巨大な楽器ケースは、彼女が用いる超重量の斧を偽装した物であろう。
彼女がまだコトも始まっていないのに完全武装状態で苛ついているのは、他ならぬ敬愛するアサギの危機と知って、居ても立ってもいられなくなったからであろう。淑女らしく貧乏揺すりなどはしてないないが、組んだ腕にかなりの力が籠もっていることからして激怒していることは、どれだけ鈍い人間にでも伝わるであろう。
「ムラサキ=サン、今から気を逸らせては本番で体が鈍るぞ」
「アサギ様の危機にじっとしている方が精神に悪い! 敵が何処にいるか分かりさえすれば、今すぐにでも突っ込んで挽肉にしたいのを我慢しているところなんだ!」
呆れて声をかければ、激情を体の裡に収めておけなくなったのであろう。ドンと卓を叩いて――壊さないだけの理性は売り切れていなかったらしい――藤木戸にチャを煎れようとしていた麦を驚かせた。
「まぁ、怒るのは分かるが落ち着け……情報共有と行こう」
藤木戸は中隊員ではないので下座に座り、チャを受け取って一口啜ると、仕入れた情報を共有した。
義憤に湧く中隊員を抑え、聞き込みを開始する。
「最近、新任の教師や政府筋から押されてやってきた出向職員などはいないか?」
「いや、今のところはいないな。教師にも怪しい動きをしている者はいない」
教員である零子が思い当たる節を記憶の中から探っているが、ここ数ヶ月でねじ込まれたりした人員はいないし、新規採用組も一般対魔忍から繰り上がりで教諭になった者だけで、潜入工作のためやってきた人員は見受けられない。
「用務員や清掃員などでもか?」
「そちらの節もないだろう。メンツは二年前から変わっていない」
五車は学園ではあるものの対魔忍養成学校という性質上、機密性の高い情報を扱っていること、そして里自体が隔絶されていることもあって一般の業者を使っていない。故に用務員も清掃員も、果ては学食で自動販売機の補充要員をやっている者も全て対魔忍関係者だ。
その殆どは実力不足から前線を離れた者や、向いていないと判断して対魔忍を辞した者、そして最初から対魔忍になるつもりがなかった五車関係者から成っており、里以外の人間が紛れ込むことを拒んでいる。
「学生達は?」
ならば生徒はどうかと問えば、これにも零子は首を横に振った。
対魔忍は基本的に古い〝家制度〟を守っているところが多いので、生徒によっては両親が討ち死にしたなどで学生時代から頭首をやっている者も珍しくない。その中には藤木戸が親の仇という者もいるので、場合によっては取り込むことも容易かろうが、零子は斯様なことを考えている余裕がないくらい扱いていると言って、生徒の関与を否定した。
「それに、一通り透視して生徒の持ち物や学内を巡ったが、破壊工作や情報収集工作がされている様子はなかった。電子戦担当に聞いてクローズドネットワークの回線網も見て回ったが、バイパスして情報を抜かれているような手落ちもなかった」
「ヌゥー……となると、敵の手は俺の想定よりかなり遅い、というところか」
「街中を見て回ったが、爆破工作などもされていないな」
こういう時、蓮魔・零子は対魔忍としてよりも防諜要員として無類の強さを発揮する。
人間どころか全ての構造物を望むがままに透視する彼女のトウシ・ジツは全ての小細工を事前に見抜く。普段は生徒指導要員として禁制品の――といってもゲーム機などのカワイイものだが――持ち込みに目を光らせている彼女は、本気を出せば全ての破壊工作を無に帰する鬼札でもあるのだ。
「少なくとも武器庫、ガソリンスタンド、発電施設などはそれとなく見て回ったが事前に工作されているような様子はなかった」
「あ、そっか、そこら辺抑えられたら街が機能不全になっちゃう」
零子の周到な事前調査にさくらが感心したように手を打った。合法武装集団でもある五車の里は、普通の街より抑えられれば困る急所には事欠かない。武器庫を吹き飛ばされれば誘爆で大被害を生む上、得物を持ち歩いていない対魔忍の装備が大きく欠乏する。
同時に電力網を無効化されると多くの通信、防御施設が沈黙して里は無防備となるだろう。それを防ぐため、零子は先んじて見回りをしていたのだ。
しかし、敵はその手の工作をしていない。
ということは、実権回復に重きを置いていて、里自体への被害を厭うているのだろうか。
あるいは、こちらの動きが早すぎて、そこまで手が回っていないのか。
「……となるとアレだな」
「そうだな、閉門蟄居させられた者達や、燻っているふうま衆だ」
さて、藤木戸は旧井河上層部で汚職に手を染めていた者の大半をスレイしていたが、サスガに一晩では時間が足りなかったのもあって殺しきれなかった者達や、殺すほどでもないかと捨て置いた小粒な悪党もいる。
そういった生き残りの殆どはアサギによって閉門蟄居を命じられるか、家督を後進に譲って隠居させられているためセプクを言い付けられた者はいないのだが、内部から攻める火種としては十分であろう。
「バカと鋏は使いよう、とは能く言ったものだ」
「あのー、けんにぃ? サラッとバカ扱いするのは止めてあげて欲しいなって」
「成績は優秀極まりないんだがなぁ……」
ならば話は早いと、藤木戸はテッポダマを装填することにした。
〝言われたことを言われたままやる〟能力に長けている凜子は、正しくこういった政治的に暗躍する敵に対する鬼札であるということを当人にも学ばせておく必要があるが故…………。
オハヨ!