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技術向上、診療環境整備に全力 岡山ろうさい病院 伊達勲院長

「岡山市南区唯一の総合病院として、役割をしっかり果たしたい」と話す伊達院長

岡山ろうさい病院の新棟

医学部生の時にはバドミントン部に所属していた伊達院長(右から2人目)=1981年

 岡山ろうさい病院(岡山市南区築港緑町)はがんや脳卒中といった病気の治療をはじめ、24時間365日態勢で救急患者を受け入れるなど、地域の基幹病院として存在感を示している。4月に就任した伊達勲院長(65)は「地域医療に貢献し、働く人の健康を守るのが病院の使命」と話し、医療技術の向上、診療環境のさらなる整備に全力で取り組む考えを示した。

     ◇

 ―院長に就任して3カ月が経過しました。

 岡山大で脳神経外科教授を20年間務めました。岡山大病院の副病院長も8年間(2011~19年)経験し、その時に得た病院運営のノウハウを生かそうと考えています。病院を支えているのは医療スタッフや事務職員です。早速個別に面談し目指すべき方向性を共有しているところです。

 ―具体的には。

 病院の立ち位置をしっかりと定めることが大切だと思っています。病院の開設経緯はご存じでしょうか。戦後の復興期には労働災害が多発し、その治療対策が強く求められていました。岡山県でも当時の労働省に対し、県民一体の病院誘致運動が展開され、1953年に設置が決定、55年3月に内科、外科、整形外科の3診療科と病床数30床でスタートしました。

 時代とともに労働災害は減りましたが、理念に掲げる「地域の人々に最適な医療を提供し、働く人の健康を守る」は不変であり、「勤労者医療」「地域医療」を全力で進めます。

 「勤労者医療」では院内の治療就労両立支援部が中心となって、がん患者、メンタルの不調などに悩む人たちの職場復帰をお手伝いしています。高齢化や人口減少で労働人口が減っていく中、治療と仕事の両立は不可欠です。

 ―「地域医療」の充実も大切ですね。

 病院は21診療科、病床数358床と県内有数の規模です。住民が住み慣れた地域で暮らし続けるためにも、各診療科の強みをさらに伸ばしていかなければと考えます。

 労働災害に対応する目的で開設された病院ですから、外傷や骨折治療を担う整形外科は県内トップクラスと自負しています。病院全体の手術数は年間約5200件で、整形外科はそのうち約1600件と3割以上を占めています。脊椎・脊髄治療で国内有数の実績を持つ田中雅人副院長を中心に、術中画像装置とナビゲーションを組み合わせて行う手術は特徴の一つです。アスベスト(石綿)による健康被害についての治療・研究はわが国におけるリーダー的存在であり、引き続き力を入れていきます。

 私自身の専門分野でもある脳神経外科もより強化します。脳卒中や脳外傷の診療はもちろんのこと、ふらふらして転びやすく、尿漏れなどを起こす「特発性正常圧水頭症」▽脳卒中や脊髄損傷などで四肢の筋肉が異常に緊張し、手足がこわばったり突っ張ったりする「痙縮(けいしゅく)」▽治療が難しい脳腫瘍の一種「悪性グリオーマ」―も岡山大病院と連携し治療に当たります。

 ―診療環境の整備も進めています。

 7月に3テスラのMRI(磁気共鳴画像装置)が稼働します。従来の1・5テスラと比べ、磁場強度が2倍になり高解像度の撮影が可能になります。小さな脳腫瘍や脳動脈瘤(りゅう)の診断能力も飛躍的に高まるでしょう。

 医師の働き方改革の一環として、業務の一部を看護師に移す「タスクシフト」にも取り組んでいます。脱水時の点滴や動脈血液の採取・分析といった一部の医療行為(特定行為)について、医師の指示を待たずにできる特定看護師を年間4人程度育てています。看護師が患者の状態を見極めることで、タイムリーな対応が可能になっています。

 ―新型コロナウイルス感染症への対応も続いています。

 2020年5月から感染者の受け入れを始め、病床の閉鎖や再稼働を繰り返しながら乗り越えてきました。職員は常に感染と隣り合わせにあり、大変な苦労をしながら病院を支えてくれています。今後も感染拡大に備えないといけません。さまざまなリスクを想定しながら病院運営の継続に力を注いでいきます。

■プロフィル

 伊達勲院長は兵庫県西宮市に生まれ、岡山市で育った。岡山大安寺高校卒業後、岡山大医学部に進学。1982年に卒業後、同大脳神経外科学教室に入局した。90年に同大大学院医学研究科博士課程修了。

 2003年に教授就任後は最新の医療機器を次々と導入し、コンピューターと連動した脳ナビゲーション手術、高解像度MRIを使った脳手術などを実施。就任当初、年間400件ほどだった手術件数は数年後に約600件に増えた。

 現在も日本脳神経外科学会理事など公職を多く務め、院長業務と合わせ多忙な日々を送る。唯一の息抜きはジョギングで、土日祝日の朝は8~10キロは走る。勤務を終え、病院近辺をぐるりと回るのが心身ともに心地良いそうだ。

 京都大呼吸器外科教授で、岡山大時代に日本初の生体肺移植を手掛けた伊達洋至さんは実弟。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2023年07月03日 更新)

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