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恋愛をモラルで断罪しないフランス人
日本では、2016年ごろから有名人の不倫に対するバッシングが相次いでいる。
フランスでも、民法212条で、夫婦は「相互に尊重し合い、貞節であり、助け合い、扶助し合わなければならない」と定められているが、人々の意識はかなり違う。カップルの半数は事実婚だが、結婚であろうと事実婚であろうと、「人の心は移ろうもの」という認識が社会全体に浸透しているように思える(*1)。こうした考え方をするのは、カップルの流動性が高いからかもしれない。
結婚とは制度化された「関係」にすぎず、すべての恋愛は「不倫」であった歴史が影響しているのだ。しかし、それだけではないだろう。どこか、恋愛をモラルによって断罪することへのアレルギーが感じられる。
その最たる例は、オランド元大統領の不倫事件における国内での反応だ。外国メディアとの違いを見てみよう。
2014年初めの1月10日、オランド元大統領が在任中、女優のジュリー・ガイエ氏と密会していたことがゴシップ雑誌『Closer』に報じられた。とはいえ、2人が一緒の写真ではなく、スクーターに乗ってアパルトマンに到着するヘルメットをかぶったオランド元大統領らしき男性の写真と、テラスから中に入る金髪の女性の写真をそれぞれ掲載した形だ。
この写真が掲載された直後、元大統領と事実婚の関係にあった元ファーストレディ、ヴァレリー・トリユルヴァイレール氏はショックのあまり入院した。しかし、オランド元大統領は謝罪するどころか、「プライバシーの侵害を遺憾に思う」とAFP通信を通じて反撃、詳細については一切説明しなかった。中道左派のル・モンド紙は、大統領のプライバシーを知ることは必要ないと判断し、報道していない(*2)。
歴代大統領の恋愛スキャンダルは以前にも数多くあったが、その報道姿勢はあくまで控えめ。フランスでは1970年以来、個人の恋愛関係と性的指向は民法第9条によってプライバシーとして守られており、それを暴くメディアのほうが責められるべき立場にある。
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また、週刊誌『ポワン・ド・ヴュ』は、オランド元大統領のファーストレディだったトリユルヴァイレール氏が、保守派政治家D氏と愛人関係にあると報道した。だが、この話はまったくの事実無根で、既婚者で4人の子どものいるD氏は同誌を名誉毀損で訴えることとなる(*3)。
しかし、驚くべきことに2015年12月17日、最高裁判所は「不倫は40年前から刑法上の罪ではなくなっており、現代の風紀においては、特にモラルに反するとはいえない。だから不倫のうわさをたてられても名誉毀損にはならない」という判決を下し、D氏の訴えは棄却されたのである。
事実として、フランスは世界で最も不倫に寛容な国である。
フランスで不倫が刑法上の罪でなくなり、民法上の過失となったのは1975年。2001年からは「生まれてきた子どもに罪はない」として、不倫関係から生まれた子どもも嫡子(ちゃくし)と同じ権利をもつことになり、これを機会に不倫につきものの暗い影はなくなった。
嫡子であろうと非嫡子であろうと同じ権利をもつようになったのは公正だと思うが、一方で不倫による離婚訴訟では慰謝料請求もままならなくなった。
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サド侯爵が暴いた近代社会の闇
近年では日本でも春画の展覧会が開催されるようになったが、フランスではこうしたポルノグラフィーを国立図書館や美術館で堂々と展示する。
危険な文書はフランス語で「地獄図書」〔注:1866~1876年、ピエール・ラルースの『ラルース大百科事典』(Grand Dictionnaire Universel du XIXe siècle)によれば、「地獄」は「危険な書物を閉じ込める場所」と定義されている〕と呼ばれるが、16世紀以来禁書となり王立図書館に保管されていた上記のような書籍は、1830年代の七月王政下で風紀を乱すとの理由から「地獄図書書庫」に分別された。
国立図書館は第二帝政下(1852~1870)で「地獄図書」目録を作成し、特別に許可を得た人々だけが、仕切りのある場所で閲覧することを許されるようになった(*4)。
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時代は進んで2007年、国立図書館は「地獄図書展」という展覧会を開催し、地獄図書目録にある作品を16歳以上の観客に公開した。日本の春画も歌川国貞(うたがわ くにさだ)作『恋のやつふぢ』と勝川春章(かつかわ しゅんしょう)作『百慕々語(ひゃくぼがたり)』に加えて、下河辺拾水(しもこうべ しゅうすい)作の12枚組紅摺絵(べにずりえ)『欠題組物(けつだいくみもの)』が鳴り物入りで展示された。
また2014年には国立オルセー美術館が、フランス革命期のエロティック文学の最高峰でありながら19世紀には禁書とされた『悪徳の栄え』のマルキ・ド・サド侯爵(1740‐1814)没後200年を記念して、「サド侯爵展」を開催した。
ところでリベルタンを地でいったサド侯爵が生きたのは、1789年に起きたフランス革命とその直後、内ゲバの連続だった革命政府の「恐怖政治」の動乱期である。
サド侯爵は、後にナポレオンによってシャラントン精神病院に閉じ込められるのだが、その理由となった『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え(*5)』のあらすじは次のようなものだ。
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なぜこんな作品がこの時代に生まれたのか
これまでに誰も書かなかった、いや、誰も直視したがらなかった人間の本性の闇をとことん暴いて見せたという点で、サド侯爵は、その後19世紀以降のボードレール、フロベール、ゴヤ、ドラクロワ、そしてシュルレアリストといった人々の文学、芸術、思想に大きな影響を与えた。
ただ、私が注目したいのは、このような作品がこの時代に生まれたことの意味である。
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科学の発展を背景として、理性を人間にとって普遍的なものとする啓蒙思想、そしてそれを思想的基盤として起きたフランス革命の結果、現代の民主主義の基盤となる一文、「人間は生まれながらにして自由で権利において平等」を含む全17条の人権宣言が採択され、共和制樹立が宣言された。「自由」は、時代のキーワードとなった。
しかし、宗教的モラルが紙くず同然の価値しか持たなくなったとき、「私の自由」をとことん実現することで、「他人の自由」が侵害されることはないだろうか? 神を否定するジュリエットと「犯罪友の会」の仲間たちが「私の自由」「私の幸福」「私の快楽」のみを追求する『悪徳の栄え』の世界では、弱者はもはや強者の欲望を満たす「快楽のための道具」でしかなく、彼らが苦しむ声はまったくと言っていいほど聞こえてこない。
いや、理性こそが宗教的モラルにとって代わるというのならば、理性が暴走したり暴力を犯したりすることはないのか?
ジュリエットは、まさに宗教とそれにまつわる迷信や感情、悔恨や道徳、慈悲、愛情といった理性にかなわないものをばかばかしいと考える理性万能主義者だ。しかし、非合理なものをすべて排除する社会が、人間にとって本当に幸せな社会であるかどうかは、甚だ疑問だ。
サドの作品は、劣悪人種と見なされたユダヤ人やホモセクシャル、ロマ族がナチス・ドイツによって大量虐殺された第2次世界大戦や、効率第一主義の社会に適応できない者は切り捨てられる現代のネオリベラリズムを予告し、自由とその負の側面、人間の理性とその限界について、今もなお私たちに切実に問いかけるものだ(*7)。
近代から現代を通じて、フランスでは「自由とは何か」が文学、哲学、政治、経済、風紀といったさまざまな分野で議論されてきた。その結果、恋愛とセックスの自由は、キリスト教が国教となった5世紀末から20世紀初頭まで、つまり約1400年にわたるキリスト教との熾烈な戦いの末に獲得した、かけがえのないものとして認識されている。
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恋愛とセックスの自由にモラルが介入する余地は?
だから、フランスの人々はそこへ安易にモラルが介入することを嫌い、それゆえ他国の人々から「フランス人はアンモラルだから」と誤解を受けるのだろう。
しかし、その根底には、フランス革命後200年をかけて練り上げられた、「自由=やりたい放題」ではなく、「自由=他者への責任や連帯の義務を伴う」という考えを土台にした、民主主義的な枠組みがあるように思える。
それが、「成人で相手が合意の上であれば、どんな関係もOK」という考えである。この条件さえクリアすれば、恋愛は容赦なくライバルを蹴散らすシビアな自由競争と化す。「奪った者勝ち」の世界である。
目下不倫中の同僚、ロランスは言う。
「不倫を悪いことだと思っているわけではないの。ただ、堂々とできないこと、コソコソしなくてはならないことには困ってる」
そう。
「困ったこと」ではあるけれども、悪くはない。
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