蛇の道は蛇、とはいうものの、残念ながら蛇である以上は蛇のことしか知りようがない。
それは情報収集と状況判断に長けている藤木戸にも同じことが言える道理であって、ヨミハラにあっては五車のことを知りようがなかった。
「ヌゥー……」
すっかり馴染んだ森田興信所、その三階。普段は客間として機能している空き部屋のフートンで眠っている燐を見守りながら、藤木戸は重い溜息を吐いた。
「教育主任って、要はあのアサギ=サンですよね? そのー……逆に、あの人どうにかできるものなんですか?」
葉月が小さく手を挙げながら問うた。彼女はクローン騒動でアサギの暴れっぷりを見ているため、あのクソ理不尽性能を持つ死と破壊の権化がどうこうできる物なのか、純粋に疑問だったのだ。
それこそ師たる藤木戸が、状況によっては自分が何もできずに殺されることもあるという、対魔忍最強という称号に相応しいぶっ壊れなのだ。
その上、人狗族の軽いトラウマになっている――カラテの高みを見せ付けられて、軽く絶望したのだ――クローン殲滅戦において、アサギは一度も〝ヒサツ・ワザを使っていない〟という事実が葉月の評価を更に高めていた。
「今、アサギの弱点といえば……まぁ、健二とさくらくらいのものだけど」
「センセイは言うまでもないですけど、サクラ=サンも大概理不尽ですよ」
「そうなのよねぇ」
媚毒の解除のため、燐の血液を操作しているツバキも唸った。
サクラはカゲ・トン・ジツが無法なまでに強力なのは言うまでもなく、藤木戸が幼少期から直々にカラテ・インストラクションを授けた実績のあるカラテ強者だ。
そして、ここに座っている藤木戸は、そもそも弱点と言って良いのか。ちょっかいをかけた魔族が殆どスレイされている状況を鑑みるに、触った方が逆に危ないというか、計画に組み込んだ時点で全てをご破算にしてくる鬼札めいた存在。
両者共に互いが殺しても殺せそうにない間柄だから成り立っている親友関係であルが故に、藤木戸の命がアサギの弱点になり得ることは有り得ない。それこそ、エドウィン・ブラック級の大駒相手でもない限り。
「まてよ、弱点……弱点……」
自分を弱点と挙げられて、藤木戸は顎に手をやって深く考えた。
そもそも彼は、アサギが物理的に殺されることは危惧していない。アビ・インフェルノ・ジゴク・ジツを解禁して、やっとカラテになるかならないかという妙手である点を抜きにしても、今の彼女は五車で並ぶ物のない実力とソンケイを併せ持つ存在だ。
しかし、そのソンケイと、五車のユウジョウを傷付ける要素が一つだけあった。
そう、藤木戸本人と、彼を抹殺するという名目で結成された密殺中隊だ。
無論、中隊員達が弱点たり得ることはない。所属しているメンツにジツ頼りのサンシタは一人とておらず、誰もが藤木戸でさえ戦えば苦戦を強いられることは必至のジツとカラテを完璧に融合させた強者揃い。
未熟なところが多かった麦も生長しているし、下手な考えさえ捨てればアサギに並びうる凜子も戦闘スペックだけ見れば頭がオカシイ領域であるし、紫はアサギの足を引っ張るくらいなら自死を選ぶくらいには覚悟が決まっている。
更に連携訓練も積んでいるとあって、各々がかなり無法なジツとカラテの使い手にも関わらず、コンビ技を繰り出してくるのだから、敵からしたら大概にしろと言いたい化物戦闘単位に隙はない。
しかし、政治的な面を見れば正しく弱点と言えた。
「どこからか情報が漏れたか……」
「センセイ、情報、というと?」
「密殺中隊の結成理由。つまり、俺が抜け忍になる虐殺を引き起こした理由……旧井河上層部の汚職だ」
対魔忍の内部事情に疎い葉月には、それの何がアサギの弱点足りうるか分からなかったのだが――何故なら、アサギ自身の汚職ではないからだ――藤木戸には直ぐ察することができた。
さて、現状でアサギが五車で大きな地位を占め、割と好き勝手にできているのは、彼女が〝最強の対魔忍〟であると同時に〝悲劇のヒロイン〟だからという点が大きい。
そして、その地位は藤木戸が〝旧井河長老衆虐殺犯〟という咎を追って抜け忍になったことによって成立しており、前提が崩れると大変なことになる。
一部のくちさのない者達は言うだろう。
井河・アサギは自らの血族の罪を幼馴染みである藤木戸・健二にマルナゲすることによって今の地位を築いたと。
これは今日の彼女が築き上げたソンケイや五車のユウジョウに大きく罅を入れることとなる。
アサギが自ら告白し、五車の混乱を避けるために行ったと段取りを固めて行ったなら問題はないだろう。時間も経った今、アサギが五車の頭目に相応しいというこれまでの実績と態度で示してきた以上、そんなことがあったのかと真相に納得する者も多かろう。
無論、政治的動揺は避けられぬものの、最終的には五車のため、全ての対魔忍のために行ったこととあればアサギが赦される公算は高い。根回しをしておけば、更に万全となるであろう。
藤木戸が赦されるかに関しては微妙なところはあるが、それでも影で対魔忍を助けてきたことから助命の嘆願くらいは受けられよう。
尤も、彼は最悪自分が帰ることができなくても、裏から唯一残った幼馴染みを扶けられるだけでも十分であったのだが。
「しかし、これが余人の口から語られるとマズイ。とてつもなくマズイ」
「……ナンデですか? もうアサギ=サンは五車で揺るがぬ地位があるって……」
「罪はね、自分の口から吐露するとの、告発されるのとでは受け取られ方が大きく違うのよ」
純朴故に、それが良く分からない葉月にツバキは補足してやった。
不祥事にせよケジメ案件にせよ、自分から謝罪した方が世間の反応が良いのは世の常だ。そして、それを他人の口から放たれた場合、為政者が被る政治的ダメージは倍点どころではすまない。
それだけで進退を決める爆弾となり得るのだ。
「それに五車は四年前より随分マシになったが、未だ一枚岩とは言えん」
「ええと、あくまで五車の里という対魔忍の集合体であって、そこに色んな一族がいるんですよね」
「そうだ。現在の最大勢力は井河一族……俺もその傍流なのだが、他にも多数の名家が存在している」
五車を実質的に支配しているのは井河一族ではあるものの、その内部政治には様々な家が関わっているため簡単に図式化できるものではない。
実働であればあの家、根回しはその家、装備はこの家、政治的折衝でいえば……と言った具合に役割は細分化されているし、それぞれの家によって発言権が大いに異なる。
アサギは、あくまでそのまとめ役にして頭領というだけで、全権を完全に掌握した独裁者ではないのだ。
「そして、五車に属さない抜け忍軍や、一本独鈷でやっている小さな家を含めると膨大な数となる。ふうま一族の残党やら、俺が狩り切れなかった旧井河上層部など、な」
「せ、センセイが殺せなかった相手がいるんですか!?」
「俺もまだまだ未熟ということだ」
葉月は藤木戸の言葉に大いに驚いた。この師が強制的なミズイリ以外で殺し損ねることがあったということに。苦々しげに頷いた藤木戸は、己の不明を恥じて拳を強く握った。
「告発によって、そういう連中が息を吹き返したら五車は大混乱ね。それこそアサギは今の地位を追われる可能性をもあるわ」
「そんな!!」
ニンジャ情勢は複雑怪奇。ふうま一族の反乱が記憶に新しいように、ここでアサギが藤木戸に甘えてしまったことが露見すれば、必ず何処かで不満が爆発する。
以前よりかなり締め付けが厳しくなった上、善の人であるアサギが行った改革に不満がある保守派層も多いのだ。ここぞとばかりに心にもない文句を付けて、自分達の勢力を盛り返そうとし始めるだろう。
そうなる前にコトを止める必要があった。
「……となると、やはりヤツか」
「センセイ、心当たりが?」
「ハトリ・セイシュウ=サン……」
ぎりぃと鈍い音を立てて藤木戸の奥歯が噛み締められた。
旧井河上層部の筆頭であり、井河家執事であった葉取・星舟は齢八十越えなれど、特別なジツによって若さを保った邪悪な老獪であった。家の実権を得ようと虎視眈々と計画を練り、汚職に汚職を重ねていた邪悪の筆頭を藤木戸は殺し損ねていたのだ。
痛恨のシッタイである。しかし、彼女は禹歩という特有のステップを踏むことによって発動する特殊なワザマエを誇り、実質二八種類のジツを操るという、一人につきジツは一つという常識を越えてしまったタツジンを越えたタツジン。手札の多さでは対魔忍一の怪物だ。
無論、それを弁えている藤木戸は真っ先にターゲットにしたは良いのだが、カゲムシャを用意しておく周到さもあってアンブッシュが上手く嵌まらず、重症こそ追わせたもののスレイできずに逃亡を許してしまった。
その後は藤木戸とアサギが汚職の証拠を握っていることを知って雲隠れしたのだが、今回の一件で、もしも星舟が弱点を握ってしまったとしたら?
彼女が五車で計画していたクーデターが発動してもおかしくない。未だに旧保守層に前長老衆のシンパは多いため――何せ彼等は長老衆の不正を知らない――政治的に盛り返す地盤はある。
それに、あの政治的にも怪物であった星舟のことだ。証拠も良い具合に改竄して、自分だけは悪くなかったことにするくらいの搦め手は使ってくるだろう。
「で、でも、あれじゃないですか、結局自分達の汚職という弱点は握られている訳で……」
「声のデカいバカは何処ででもツヨイ。大声でアサギ=サンの罪だけを喧伝し、自らの悪行をなかったことと情報操作すれば……」
「アサギが気に食わない阿呆、過去の栄光を忘れられない保守派、それから燻っているふうま一族に、好き勝手やっているふうま抜け忍衆他諸々。まぁ、加担しそうな連中はいくらでも思いつくわね」
ツバキは思い当たる節一つにつき指を立てていったが、片手のそれが折り返してしまった時点で呆れて考えるのを止めた。
「もう既に根回しは済んでいるやもしれぬ。このままでは対魔忍同士での抗争に繋がる可能性がある」
「そんな!」
藤木戸は葉月の悲鳴を聞いて、決断的に立ち上がった。
このままでは、折角幼馴染みが築いた五車が損なわれる。そして、そのため地に潜った四年間が無に帰するどころか最悪の結果を生みかねない。
全ては自分が殺し損ねたが故に起こったことである。
「まずは情報収集だ。ツバキ=サン、ハヅキ=サン、事務所を頼めるか」
「そんな、センセイ! ボクもお供します!!」
「駄目だ。対魔忍の抗争に魔族を巻き込めば、また攻撃材料とされるやもしれん」
決してオヌシのカラテが足りぬ訳ではない。信頼できる故に事務所を任せるのだ。そう弟子を慰めながら頭を撫でてやった藤木戸は、ハヤキガエ・ジツでサツバツナイトに転じると、窓を開けて桟に足をかける。
「どうするつもりなの、健二」
「まずはノマドを当たる。リン=サンは調教を受けている時にノマドの人間が口走っていたと言っていた。ならば、思い当たる節を片端からインタビューし、搾り取れる限り情報を絞る」
「それから先は?」
「地上に出てセイシュウ=サンを探す」
そして、殺す。
決断的に言い放ち、サツバツナイトはヨミハラの夜に飛び立った。
まずは五車と連絡を取っているため、藤木戸や密殺中隊とは違った視点で情報を持っているであろう静流とコンタクトを取るべく。
娼館の惨劇が呼び水となり、更なるケオスが目を覚まそうとしている。
ただでさえヨミハラには死霊騎士やら淫魔王の手勢が食指を伸ばし始めているというのに、対魔忍同士での抗争など洒落にならぬ。マッポーの世において辛うじて法を司ろうとしている者達の芽を摘ませる訳には断固としていかなかった。
ブッダは未だ、高鼾を掻き続けているが故に、サツバツナイトがやらねばならぬ。奔れ! 友のために! 世の平穏のために奔るのだサツバツナイト…………。
コンバンワ!