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「あの、センセイ」
「どうしたハヅキ=サン」
ポンコツ新人対魔忍にインストラクションを授けて、真性のテッポダマに仕立て上げてから数日。ドージョーにてアグラ・メディテーションを行っていた藤木戸は、弟子に声をかけられてゆっくりと目を開いた。チャドー呼吸を一旦止め、稽古を終えて汗みずくの葉月に何事かと首を傾げてみせる。
「その、良くやってるチャドー呼吸? っていうの、一体何なんですか?」
「これか。これは太古の禁じられた暗殺拳チャドーの最終奥義だ」
「さ、最終奥義……!」
トンチキな伝わり方をしているネオサイタマならともかく、この世界において茶道は茶道以上の意味を持たないが、藤木戸のチャドー呼吸は何故か成立している。
というのも、対魔忍は対魔粒子なる物質を体内に宿して活動しており、彼が編み出した特殊な呼吸法によって、大気中の粒子を取り込むと共に、全身を駆け巡らせることで回復技として成立させているからだ。
要するに対魔忍なら理論上は全員できる技術を更に高度に行っていることを、ヘッズソウルが〝これはチャドーだ〟と定義してしまっているだけで、ニンジャスレイヤー=サンが会得しているそれとは厳密には違うのだが……まぁ、効能は一緒なのでいいだろう。
ヘロヘロの状態からでも数呼吸で立ち上がり、致命的なダメージを癒やし、そして枯れかけた対魔粒子を取り込んで取り戻す。かなり無法な技術をしれっと使っているのはさておくとして、葉月はこの技術に前々から興味を持っていたのだ。
人狗族は残念ながら、魔界ではそこまで秀でた種族ではない。吸血鬼のような不死性もなければ、鬼のような頑強性も持たない、中層域の種族と言えよう。
故に葉月はタフネスにもスタミナにも自信がなく――藤木戸に弟子入りしてからの鍛錬で、同族の水準から飛び抜けて強くなってはいるが――持っているジツも平凡なカゼ・トン・ジツであるため、前々から人間離れした頑丈性とスタミナを持つ師の奥義に興味を持っていたのだ。
「……そうだな、そろそろオヌシにもインストラクションしてもいいころか」
「本当ですかセンセイ!」
秘奥義伝授! そう聞いて葉月は色めき立った! あのタフネスが手に入るのであれば、人狗族再興は更に近づくと興奮が止まらない。
「うむ。だが、そのためにはまず、チャドー・リチュアルの基礎を覚えねばならん。そうだな、折角だ、オヌシにもイチラクの良いのを宛がってやろう」
「イチラク……?」
チャドー呼吸のタツジンともなれば、独得の「スゥー!! ハァー!!」の呼吸だけで成立するのだが、そこに達するまでは長い時間が掛かる。頭頂部に門が開いたような感覚を覚えつつ、世界と一体化して対魔粒子を自らに取り入れるには、チャノユとゼンを通して感覚を研ぎ澄ませる必要があった。
それ故のチャドー・リチュアル……まぁ、要するに普通の茶道だ。
しかし、覚えるには道具が要る。藤木戸は最低限の愛用品しか持ち込んでいないので、チャガマやチャシャク、その他色々用立てる必要があるだろう。
その中でもマストなのが己のチャワンだ。自分と向き合う器であり、中に湛えたチャは精神そのものを現す。僅かにでも乱れれば泡が偏り――藤木戸は裏千家なのでチャに泡が立つのだ――味が濁ることもあって、精神均衡を養う核となるためだ。
「チャワンだ。センゴク・エラのリキュー・センノが愛した物でな。チャドーニュービーのオヌシに黒は早い故、そうさな、柿色なんぞがいいだろうか」
「柿色、落ち着いて良いですね!」
「ヌゥー、だが、オヌシのイメージカラーと言えば白と鴨の羽色。チャもコイチャよりウスチャの方が良さそうだから広口のワンが映えるだろうから……」
ニンジャにして文化人でもある藤木戸なりに拘りがあるのだろうが、如何せん専門性が高い上に古い和名で色を言うので、葉月にはちんぷんかんぷんであったが、センセイに任せておけば外れはないかと難しく考えることを止めた。
暫く葉月に似合うチャワンは何だろうかと考え込んでいた藤木戸であるが、気配を感じてスリケンを手に取った。
「だが、まず教えの前にデバガメ行為を咎めるべきか。イーオ=サン」
「……残念、貴方が強い秘訣の一つを探れるかと思ったのだけど」
ギラリとセンコめいた光を宿す眼光がドージョーの入り口を射貫けば、そこからイーオが顔を出した。米連のエージェントである彼女は、とある依頼を持ってきて訪ねて来たのだが、ここぞとばかりに情報収集しようとしたのだろう。
とはいえ、サイバネとチャドーは酷く相性が悪いため、サイバネ化重点の米連では、仮に情報を手に入れても使いようがない……というより、傍目から見ると真剣に茶道をしているようにしか見えないため、またイーオの提出する報告書に「担当者がラリっていたとしか……」と言いようのない評価が付けられることになるのだが。
ともあれ、イーオはサツバツナイトの勘気に触れぬよう気を付けて、コンバットブーツを脱ぎ、神棚に礼をした。
いつも通り鹿島大明神と香取大明神のオフダ・タリスマンが飾られた神棚は埃の一片もなく掃除されており、その下にはフーリンカザン、ヘイキンテキ、来た順に殺す、そうエンシェント・ソウショで描かれた掛け軸が掛かっている。
相変わらず謎の雰囲気を醸し出す空間に足を踏み入れたイーオは、彼の前に軍用のゴツいラップトップを置いた。
「少し、特殊な依頼をお願いしたいのよ」
「ふむ、聞くだけ聞こう」
「本国のお偉方には魔族や対魔忍を未だに軽く見ている連中がいて、装備更新を渋ってくるのよ」
それは由々しき事態だと藤木戸は思ったが、サイバネに被れた米連は装備の調達に大変金がかかるため、できるだけ長く使いたい気持ちも分からないでもなかった。
というのも調達価格が高価な割りに、魔界、人界共に力を入れている技術だけあって日進月歩の勢いにて進むサイバネ分野は、陳腐化が怖ろしく早いのだ。
三ヶ月前の最新型サイバネアームが半年せず型落ちになっては、さしもの米連とて財布の紐を締めたくもなるだろう。湯水の如く開発費を使って、たった三ヶ月しか最前線でしか戦えないなど有り得ないと判断する高官も多いらしい。
サスガはこの近未来においてもMBTにはM1エイブラムスを超近代化改修して使っている大国……という感じはするのだが、ヨミハラでシノギを削ろうというのならば考えを改める必要がある。
故に、対魔忍の力がどれ程のものか、模擬戦闘で見せ付けてやって欲しいというのがイーオの所属するオレンジインダストリーの意見らしい。
「真っ白な場所で監視されながら戦うのは御免被るぞ」
「そこは分かっているわ。ヨミハラの廃棄区画、そこで遭遇戦の体を取ってくればいいだけ。ただ……」
「一人も殺すな、だろう?」
「ええ、まぁね。装備は最悪ぶっ壊しても良いわ。力不足だと証明するため、派手にやってちょうだい」
「高く見られていると言うべきか、無理難題を押しつけているか、判断に悩むな」
溜息を吐いた藤木戸にイーオは、勿論報酬は弾むと言ってスライミー・スキンの中から大きな袋を吐き出させた。
中身は魔界産の黄金であり、金相場が大きく崩れると困る米連的にもヨミハラの中で消費して貰いたい物であろう。
「す、すごい、コーベインがこんなに……」
「こっちの金相場と現金相場を知って、魔界から金貨を持ち込んで荒稼ぎしようとしたバカを税関で捕まえてね。処分するのに困ってるのよ」
現金に換算すれば数千万円はしそうな金貨を受け取り、藤木戸は重々しく、承ったと頷いた。
このドージョーの運営も無料ではないのだ。ぶっちゃけ人助けくらいの値段設定にしている森田興信所の金では全く足りない。二年に一度はタタミの表替えをしたい藤木戸にとって、この収入は逃しがたいものであった。
「では、適度に揉んでやろう。ハヅキ=サン、オヌシはミトリ・ゲイコだ」
「ハイ、センセイ!!」
「……あの、テンション上げるのは良いけど、くれぐれも死人は出さないでね?」
「安心しろ、半殺しにするのは得意だ。死人にインタビューはできぬ故な」
「適度にってお願いしてるでしょ!?」
これで弟子に良い骨董のイチラクを買ってやれると悦びながら、師は如何に米連にアンブッシュを仕掛けてやろうかと深く思索を巡らせるのであった…………。
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「ええい! 反撃よ!! 反撃なさい!!」
「馬鹿! 変に撃っちゃダメよ! 味方に当たる!!」
「畜生! センサーに反応がない! 何処にいるの!?」
「タンゴ2ダウン! ああっ、エコー7も落ちた!!」
米連の強化外骨格部隊、女性のみからなる特殊タスクチーム〝ストームキャット〟を率いるミラベル・ベル少尉は、愛機であるXPS-11Aボーンの内部で分隊を指揮しながら困惑していた。
遭遇戦を念頭に置いた対魔忍との仮装訓練、そうとしか聞かされていなかったが、今までの実戦データを元にした運動予測や機動予測がまるで役に立たないのだ。
狭苦しい外骨格の中で、褐色の肌に汗が滴り、琥珀色の瞳が慌ただしく左右に揺れて計器を確認するが、目まぐるしく数値が変動しすぎて役に立たない。パイロット用のスキンスーツに身を包んだそのバストは、大変に豊満であった。
FCSは故障しているのではないかと思うほど沈黙しており、レーダーの対人センサーは感があったかと思えば即座に消える。そして、映像補正を掛けて高速で移動する物体にも明確な姿を与えるはずの視覚センサーも、色つきの風を捕らえはするが即座にロストするばかり。
「エコー1よりキャット1! こっちは壊滅状態だ!」
「キャット1よりエコー1! こちらも何も捕らえられない! 随伴歩兵部隊はどうなってる!」
「そっちも壊滅……がぁっ!?」
「エコー1!? エコー1!! 応答しろ!!」
今回の仮想戦闘は既に旧式になりつつあるXPS-11Aボーンと、最新鋭機たるセンチュリオンの混合増強小隊規模の部隊に、随伴歩兵の二個小隊、そして防衛目標たるトラックの車列があるのだが、即座に指揮車両を叩き潰されたこともあって統制は疾うの昔に崩壊していた。
今は部隊各個に辛うじて指揮を維持しているが、味方を意味するレーダー上のブリップが次々に消失していった。
サイバネ兵士も混じっているはずの歩兵部隊は、死角から浴びせ掛けられる味方より奪われたであろう機関銃などで破壊されて壊滅状態で、遮蔽に逃げたと思えば悲鳴が上がって沈黙する。
そして、もう残っている外骨格はミラベルが操る物だけとなってしまった。
「なんだ! なんだこれは! これが、これが対魔忍だというのか!? だとしたら、今までの小競り合いは一体……」
困惑から叫びを上げたところで、機体に大きな衝撃が走った。
背後からトアイラングルリープで高度を稼ぎ、位置エネルギーの優位を得た対魔忍に蹴飛ばされたのだ。
何とか立ち上がろうとするが、その間もなく機体の一部が拉げた隙間に手が差し込まれ、強引に開かれていく。
「ひっ……」
「……カラテの足しにもならんな……。オモチャめ……!!」
ギシギシと音を立ててこじ開けられていく装甲の隙間から見えたのは、センコめいた光の残影。腕一本ねじ込めるだけの空間を確保すると、仮想的な内部に手を突っ込みミラベルの首を握りしめ……。
優しく頸動脈を締めて意識を断った。
『……じょ……りょ』
それからどれくらい経ったであろうか。辛うじて生き残っていた無線からの音を聞いて、動くことのできなくなった棺桶と化した愛機の中でミラベルは、掠れた音を立てる無線を聞いて意識を取り戻した。
『状況終了。繰り返す、状況終了。各員、ダメージレポートを。おい、誰か反応しろ!』
HQが損害報告を求めて連絡してきて、ようやくミラベルは声を出すことができた。
「こちらキャット1……何があった」
『やっと意識を取り戻したか。キャット1、残念ながら貴隊……いや、部隊は全滅した』
全滅、と聞いてミラベルは至極真っ当な軍人らしく四割もやられたのかと驚いたが、HQの通信士は無線越しに首を振った。
『違う、文字通りの全滅だ。実戦だったら全員KIA判定。一人も生き残りはいない』
「そんな馬鹿な……これが、これがNINJAだというのか……」
『回収班を向かわせる。それまで大人しくしていてくれ』
対魔忍、魔族、その脅威を認識していたつもりであったが、それがまだ〝浅い〟部分でぱちゃぱちゃ遊んでいただけに過ぎないことを思い知らされ、ミラベルは戦慄した。
これから、こんなのが跋扈している魔境にて、自分達は軍務に当たらねばならないのかと。
それからしばらく、彼女は間接照明や蝋燭の炎といった、ボッとした光に軽いトラウマを覚え、悩まされることとなる…………。
オハヨ!(お昼)