というブコメをした。
や、はてブで「斎藤氏が地元ではけっこう支持されている」という事実に対して反射的に「斎藤支持してる兵庫県民は◯◯なんだろうね」と簡単に決めつけるブコメが多いもんだからさ。
そのブコメに当てはまる人もいるだろうし、当てはまらない人もいるだろうが、「何が主因か」はそんなに簡単に決めつけられるもんでもないよね。と言われれば「そんなことはみんなわかってるっしょ」「わかったうえでブコメしてるっしょ」と返されがちなんだけど、俺は「いやけっこうわかってなくない?」と思うので、山本七平の水差しメソッドに従ってできるだけ水を差していく。
ひさびさにつれづれなるままにはてブ雑感を述べる。
外から勝手に自分好みのストーリーで「理解」するのは危険という話
という話なんだけど。まあ俺もよくやるので人のこと言えんのだけど。
過去にもこんなブコメをしている。
これはさ、自分の地元とか、自分の業界とか、自分の専門とか、自分の好きな界隈とかについて、外部の人にとんちんかんな分析をされてイラッとしたことって、誰にでもあるじゃんか?
何事も、よく知らない部外者が簡単に自分好みのストーリーを当てはめて理解したような気分になるのって、危険だと思うのだよね。これって陰謀論にも当てはまることで、というか俺たちの自然な思考は陰謀論と構造が近いという理解はしていた方がいいと思う。
ここで逆の立場になって考えてみよう。「外からとんちんかんな観察をされて憤慨する、中の人」の気持ちを理解するために。
安倍さんが亡くなったとき、国連女性機関やヒラリー・クリントンが「安倍晋三氏は、女性の権利のために戦い続けたリーダーだった」と追悼声明を出して、それに対してsaebou先生とか日本人が「アベは女性差別主義者です。あなたたちはアベを追悼することで日本のフェミニズムの努力を踏みにじったのです」と猛烈に反論しまくっていた。
つまり、日本のリベラルからは「極右」と見なされていた安倍さんは、海外からはわりとリベラルなリーダーに見えていたということ。
こういう例を思えばさ、俺たちがハリスやトランプについて見えている光景と、アメリカ人から見えている光景は、相当違って当然だと思わん?
俺たちが一瞬で何かを理解し一刀両断にするときの思考は陰謀論者と似ている
俺たちには好き嫌いに基づいた、あるいは党派に基づいたバイアスがあるじゃん?
そして世の中のすべての事象を、その好き嫌いフィルター/党派性フィルターをもって測定し、瞬時に答えを出力しているわけだが、そのことについてもっと自覚的になりたいよねという話である。
そんで瞬時に出した答え(結論)に合わせて、それらしい理屈を適当に生み出してしまうんだよね。そのことに自分で気づいていればいいのだが、気づいていないと、「あらゆる要素がこの結論を示している。絶対にこうだ」と確信してしまいやすくなる。これは陰謀論と相似形である。
いかん、町山さんだらけになってしまった。いや、隊長が誰からも金もらってないって主張してるわけじゃないよ、わかってもらえるといいのだけど。
そういう(結果論的な)話ではなく、俺たちは弱い人間であるが、それでもこうした好き嫌いフィルターや党派性フィルターの気持ちよさ、簡単さに逆らう姿勢こそが、世界の分断から抜け出るために、大事になってくるのではなかろうかと思う。
「あいつら」はこういう奴であってほしいという抗いがたい願望
これでいうとさ、最近よく増田で見かける
「◯◯(属性名)だけど、目が覚めたので、過去に自分がどういう思考をしていたかを懺悔する」
系のやつ。あれら、ことごとく嘘くせーんだよね。
- 「専業主婦はこんな甘ったれた思考であってほしい」
- 「弱者男性はこんなやつであってほしい」
- 「ミサンドリーフェミはこんな人種であってほしい」
もうブクマカの大好物詰め合わせ欲張りセットみたいな。
これ書いてる奴(ら)、「俺の憎んでいるあいつらはこういう奴であってほしい」という願いが強すぎて強すぎて、とうとうなりきり増田になってしまったんじゃないかな。虎になってしまうみたいなお話である。
とはいえ増田が釣りかガチか半ガチかなんて、増田当人以外にわかりっこないので*1、俺がこうして全部釣り認定するのも妄想やんけと言われればそれまでである。皆さんと同様に、俺も自分の基準でもって釣り認定したりマジレスしたりしているものである。
が、あまりにもブクマカのマウント欲、説教欲、論破欲、アドバイス欲を都合よく刺激しすぎているものについては、通常の三倍程度の唾を眉に塗る姿勢が求められるのではないか。
つれづれ雑感なのでオチも何もない。
米大統領戦の結果分析でなるほどーと思った記事でも貼っておこう。