歴史の教科書では目にする機会のない人であります。
過去の戦争について興味のある方であれば、知っているという方もいるでしょう。
(富永恭次中将)
「富永恭次」という人物は、旧大日本帝国陸軍の軍人で階級は中将した。
第4航空軍司令官としてフィリピンの戦いの航空作戦を指揮していたのですが、昭和19年12月にレイテ島が陥落するなど戦況が悪化していった段階で、第14方面軍司令官の山下奉文大将がマニラからの撤退を決定したところ、富永は「特攻機を多数出している」としてそれに反対しました。
しかし、昭和20年1月に冨永はマニラからの後退を突然決定し、第4航空軍も台湾撤退を図ろうとしましたが、その最中に富永は視察を名目に上級司令部に無断で台湾に撤退してしまいました。
その後、約1万の第4航空軍の残存将兵は、指揮官に見捨てられる結果となったことが原因となり、大半が戦死することとなりました。
直前までマニラ死守を主張していたのにも関わらず、唐突に台湾への撤退をした富永に対し、陸軍内部でも批判が強かったようです。
陸軍内部では富永に対して怒りと嘲笑を買い、軍歌「若鷲の歌」の替え歌が流行っていたようです。
なお、Youtubeでも紹介されています。
命惜しさに 富永が
台湾に逃げた その後にゃ
今日も飛ぶ飛ぶ ロッキード(※同社製爆撃機を表します)
でっかい爆弾に 身が縮む
富永は死して尚、後世を生きる人々から、批判され続けている現実があります。
なぜ、新型コロナに関して問題提起しているブログにおいて、「軍人」に関して取り上げているかという意図ですが、そのあたりの意図は次回説明いたします。
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