富永恭次中将の後世での評価について(2)

「富永恭次」という人物を本ブログで取り上げた意図とは、「非を認めない」「決定的な間違いをした」場合、死してなお後世において厳しい批判を受け続けるということに関し、実感を持っていただきたいというものがあります。

富永中将は、直前までマニラ死守を主張していたのにも関わらず、唐突に台湾への撤退をした富永に対し、陸軍内部でも批判が強かった現実があり、替え歌まで作られてしまった現実があります。
そして、後世においても、死してなお批判されるづける現実があります。

新型コロナウイルス感染症に関しては、マスコミや専門家、一部の政治家が過度に恐怖あおる傾向が顕著であり、それによって客観的な対応ができずに、国民生活に過大な負担を強いられる状況が長期に亘っている現実があります。

例えば、テレビでコロナの恐怖をあおった某コメンテーターや、コロナの恐怖とワクチン接種を煽った医療関係の複数の某専門家、ワクチン接種を煽った権力者などが代表格でしょう。

そしてワクチン接種に関しても、安全性などを十分に検証しないままに過半数の国民がそれを接種する状況となりました。

そのような間違いに国民全体が気付いたときは、新型コロナに関し恐怖をあおったマスコミ・専門家・政治家らが痛烈に批判されてしまう展開が十二分に予想されます。

そうなった場合は、富永中将みたいに、新型コロナに関し恐怖をあおったマスコミ・専門家・政治家らは、「後世において裁かれ、死してなお、批判され続ける存在」になることになるでしょう。

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