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haluchobin
見守りか監視かという話
今日は朝から大阪市内の地域包括支援センターの地域ケア会議のスーパーバイザーに向かいます。
いつも地域にいるわけではないのに、その時だけ行ってアドバイスするのは申し訳なさもあるし、どんな助言ができるんだろうかと緊張します。
何回か前の会議の時にこんな質問を受けました。
「監視にならない見守りをするにはどうしたら良いでしょうか??」
私なりに考えたのは、
・我々支援者は対象者からは監視と見られる可能性をゼロにすることはできないと自覚すること
・その線引き、監視されてるかもしれないと自分が感じるのはどんな時でしょうか??
私は「相手が関わってくる目的が分からない時ーに感じることが多い
という内容を話しました。
初回訪問は特に警戒もされるし、目的も十分伝わらないことがあります。
あとは相手が「自分の望ましくない行動を取ろうとしないか」という意識を持っている時に監視という感覚になるのではないでしょうか。
色んな人の意見、聞いてみたいですね。
スーパーバイザー、頑張ってきます!
本日は以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました☆
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コメント
2こんにちは。
この度はスキとコメントもいただき誠に感謝申し上げます。
監視にならない見守りという言葉、わたしは逆の立場ですがその通りだなと思いました。
脳腫瘍の後遺症で日常生活が不自由になり、家族含めて心配からなのは分かっていますが四六時中誰かが近くにいて監視されている気分で精神的にも追い込まれてしまっていました。
それに気付いたのかは分からないですが、夫から毎日午前中は家で1人で自由に暮らしてて。何かあったら連絡して。と言われて1人の時間が出来て気持ちが楽になった事を思い出しました。
♡Mayu♡さん、
こんにちは。コメントありがとうございます。
「危ないから」「何もしないのが無難」という良かれというか善意が時に窮屈になることはありますよね。ずっと支援が必要な人と見られ続けるのも相当な気苦労があると思います。
その時の旦那様のご対応も良いですね。お互いにずっと気を遣い合うと、どこかで疲れてしまいますし、一人になれる空間って本当に大事だと思います☆