(評・映画)「動物界」 変身する奇病、せつない別れ

文化・芸能評

 ある日突然、人間が動物に変異する奇病が流行(はや)っている世界。フランソワ(ロマン・デュリス)は息子エミールを連れ、病気にかかった妻を見舞いにいく。だが、変異の進んだ妻とはほとんどコミュニケーションができなくなっている。医師から南仏の隔離施設への移送を勧められたフランソワは、施設近くの町へ引っ越す。だが、事故が起こり、妻をはじめとする患者たちは森に放たれてしまう。そのころ、エミールは体の変調を覚えつつあった……。

 「動物に変身する奇病」とはなんなのだろう? 劇中では変異した人々は「新生物」と呼ばれ、恐怖と嫌悪の対象となる。奇異な外見ゆえ差別され、忌避される彼らは、ヨーロッパで問題化される移民たちのメタファーかもしれない。不可逆的な変化でコミュニケーションができなくなっていく様は、社会の分断の象徴ともとらえられよう。だが、そうした分析で理解するだけでは、この映画の魅力は捉えられない。

 映画の中では、動物に変身する理由も、その仕組みもまったく説明されない。ただ見せられるのは奇怪な姿だけだ。中でも忘れがたいのは手が羽に変わってゆく鳥人間、「飛べない鳥はどうなる?」と必死で飛行の練習をしつづける。手塚治虫の漫画のような異形の姿と、予想もつかない動きは映画の最大の喜びだ。

 妻がいずれ元の姿を取り戻し、愛しあう夫婦に戻れるのだと信じているフランソワだったが、とうとう彼女は戻ってこないのだと思い知る日が来る。妻も息子も、自分の手を離れても生きていけるのだと悟るときが。ほろ苦く、せつない別れの映画である。(柳下毅一郎・映画評論家)

 ◇東京、大阪などで8日公開。順次各地で

「朝日新聞デジタルを試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験