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テンソルとテンソル積(後半)

後半では、ベクトルとベクトルの「積」としてのテンソル積(前半の議論を少し進化させたもの)から、ベクトルのテンソル積を特徴付けるための重要なキーステップである「Tensor-Hom随伴性」を経て、いわゆるテンソル積の写像普遍性に進む。

北青葉山分館

東北大学青葉山北キャンパスの片隅に東北大学附属図書館北青葉山分館がある。ここは思い出深い場所だ。数学科に学科替えをする直前、東北大学に潜っていたころに、毎日通った場所である。

生物学科の学生だった3回生後期には、すでに自分の勉学がうまく行っていないことは明らかだった。私は京大をしばらく休学して、郷里の仙台で過ごすことにした。東北大学には出身高校の先輩もいて、当時物理学科の院生だった堀田昌寛さん(現東北大学理学研究科助教)にはカオス理論の勉強のためにセミナーしてもらったりした。堀田さんの紹介で数学教室の小田忠雄先生と知り合ったが、小田先生とは実はすでに私が高校2年生のとき、数理の翼夏季セミナーでお会いしていた。1990年度の4月には、小田先生の計らいもあり、東北大学の理学部数学科3年生の授業を聴講させてもらった。今だったら考えられないことだ(そして、すでに時効であると思う)が、この特別な計らいは当時の東北大学数学教室の教授会合(当時の学科長は堀田良之先生)で了承された(!)ということだ。

もちろん、聴講できるのは講義だけで、演習の方には参加しなかったので、午後は完全に自由な時間である。その時間を私は北青葉山分館で過ごした。北青葉山分館は数学の勉強には世界一適した場所である。自然に囲まれた静かな環境の中にあり、しかも数学の本も多く所蔵されていた。

私は北青葉山分館の数学の本を片っ端から読み始めた。とにかく「なんだこれは?」と思った本はとりあえず中を覗く。目次くらいには目を通す。おもしろそうな感じの箇所があったら、そこを斜め読みする。本当におもしろそうなら、机に座って読み始める。こういう読書スタイルは、いろいろな数学(の名前くらいは)を学ぶ方法としては悪くない。そして、これと並行して、その時々でじっくり読みたい本を精読することも大事だ。乱読と精読のバランスである。

特にブルバキ『数学原論・代数』第2章・第3章・第5章はとても勉強になった。第2章が線形代数で、第3章が多重線形代数、第5章が可換体論(ガロア理論)である。ブルバキの線形代数は、もちろん、普通の線形代数の教科書とは違っていて、環上の加群の理論である。そこにはすでにテンソル積の節もある。

特に私が重要だと思ったのが、第3章の多重線形代数だった。テンソル代数やグラスマン代数などの話だ。ここで私は、一般相対性理論の勉強をしていたころの、あの「座標的・係数的テンソル」と、抽象的なテンソル積の概念を結びつきについて、自分なりの理解が得られたのだと記憶している。当時勉強していた多様体論やリーマン幾何学に出てくるテンソル計算や微分形式の計算が、一体何をやっている計算なのかということも、そのころになって、(ようやく!)初めて統一的に理解できるようになった。私は中高生の頃から大学の数学を勉強するような「数学少年」では全然なかったし、大学に入っても数学の勉強はしてこなかったので、本格的な現代数学の理解は遅かった方だと思う。でも、京大を休学中の4年生相当の頃にはいろいろな数学の勉強ができたのは、とてもよかった。北青葉山分館は私にとってとても重要な場所だったのである。

ベクトルとベクトルの「積」

本稿の前半では、すでに有限次元ベクトル空間Vの基底\bm{x}_i(すでにアインシュタイン記法が始まっている)から、そのテンソル積(例えば、\bm{x}_i\otimes\bm{x}^jなど)を作った。一般に、ベクトル空間V,Wのベクトル\bm{v}\in V,\bm{w}\in Wに対して、そのテンソル積\bm{v}\otimes\bm{w}を定義できる。

この「\bm{v}\otimes\bm{w}」が一体何なのか?ということには、あまり目くじら立てるべきではないだろう。それは何かの性質をもつものだ。例えば、しかるべき変換を受けるというような。そしてそれらの性質は往々にしてそのモノを決めるのである。

テンソル積は(なにしろ「かけ算」のようなものであり、スカラー同士の普通のかけ算の拡張のようなものなので)どちらの因子に対しても線形である(べきである)。

\hspace{5em}(a\bm{v}+a'\bm{v}')\otimes\bm{w}=a(\bm{v}\otimes\bm{w})+a'(\bm{v}'\otimes\bm{w})
\hspace{5em}\bm{v}\otimes(b\bm{w}+b'\bm{w}')=b(\bm{v}\otimes\bm{w})+b'(\bm{v}\otimes\bm{w}')

この双線形(bilinear)性より、V,Wそれぞれの基底\bm{x}_i,\bm{y}_jによる表示\bm{v}=v^i\bm{x}_i, \bm{w}=w^j\bm{y}_jから

\hspace{5em}\bm{v}\otimes\bm{w}=v^iw^j(\bm{x}_i\otimes\bm{y}_j)

(再び、アインシュタイン記法に注意)という表示が得られる。例えば(V=Wとして)、2つの反変ベクトルv^iw^jの積v^iw^jをテンソルとみなすということの背景には、このような計算がある。私が大学1回生のときにしこたまやった計算に現れるようなテンソル概念は、要するに、テンソルの係数だけを取り出したものになっているわけだ。

いずれにしても、以上のことから、上で考えているようなテンソルの空間は、\bm{x}_i\otimes\bm{y}_jを基底とするベクトル空間である。その各要素は\bm{v}\otimes\bm{w}という形に書けるとは限らないが、上の表示からもわかるように、少なくともこの形の要素の有限個の和にはなっている。このテンソルの空間は通常

\hspace{5em}V\otimes W

と書かれている。この記号はとてもよく考えられていて、この空間の本質をよく体現しているのだが、その理由もまた今はあまり深く考えないで先に進もう。

Tensor-Hom随伴

この「テンソルの空間」というベクトル空間を、もっと内在的な方法で定義したい。なぜなら、この謎めいた「テンソル・テンソル積」というものを、もっとよりよく理解したいからだ。その先には抽象代数学における「テンソル積の写像普遍性」があるだろう。その重要なキーになるテンソル積の性質、まさに「テンソル概念を特徴付ける本質的性質」がTensor-Hom随伴というものである。これを見るために、次の考察をしよう。

まず、V\otimes Wの双対(V\otimes W)^{\ast}を計算しよう。その要素は基底\bm{x}_i\otimes\bm{y}_jの行き先で決まる。そこでまた自然な記号法を導入しよう。V^{\ast}の要素\phiW^{\ast}の要素\psiのテンソル積\phi\otimes\psiは、上に倣ってV^{\ast}\otimes W^{\ast}の要素を決めるが、これとV,Wのベクトル\bm{v}\in V,\bm{w}\in Wに対して

\hspace{5em}(\phi\otimes\psi)(\bm{v}\otimes\bm{w})=\phi(\bm{v})\psi(\bm{w})

と定めよう。これによってV\otimes Wの双対(V\otimes W)^{\ast}の要素が決まること(つまり、線形に矛盾なく拡張できること)は確かめなければならない(まさに、後出の「テンソル積の普遍性」が保証することではあるが)。また、さらに双対空間の方での線形性とも整合的であることも確かめなければならない。例えば、双対基底による表示\phi=\phi_i\bm{x}^i,\psi=\psi_j\bm{y}^jから双線形性によって決まる表示\phi\otimes\psi=\phi_i\psi_j(\bm{x}^i\otimes\bm{y}^j)とも整合的になっていることなどである。

ともあれ、結局このことから、\bm{x}^i\otimes\bm{y}^jV\otimes Wの基底\bm{x}_k\otimes\bm{y}_lの双対基底を与えていることがわかる。つまり、(V\otimes W)^{\ast}V^{\ast}\otimes W^{\ast}と自然に同一視できる(自然に同型である)のだ。

では、このV^{\ast}\otimes W^{\ast}は何か? その任意の要素はa_{ij}\bm{x}^i\otimes\bm{y}^jという形をしている。ここにもう一つ、記号上の工夫を加える。この要素にVの要素v^k\bm{x}_kを「代入する」という大胆なことを考える。上でやったように、\bm{x}^i\otimes\bm{y}^jにはVの要素とWの要素を同時に代入する(具体的には、そのテンソル積を代入する)ことができるが、その片方だけ●●●●を代入するということだ。その結果はスカラーではなく「Wの要素を代入したらスカラーになる」もの、すなわちW^{\ast}の要素を与えるだろう(カリー化のような話だと思えばよい)。具体的に式で書くと

a_{ij}(\bm{x}^i\otimes\bm{y}^j)(v^k\bm{x}_k)=a_{ij}v^k\delta^i_k\bm{y}^j=a_{ij}v^i\bm{y}^j

ということだ。この計算から、結局V^{\ast}\otimes W^{\ast}VからW^{\ast}への線形写像のなすベクトル空間\operatorname{Hom}_K(V,W^{\ast})Kは基礎体)に自然に同一視される(自然に同型になる)ことがわかる:

\hspace{5em}(V\otimes W)^{\ast}\cong V^{\ast}\otimes W^{\ast}\cong\operatorname{Hom}_K(V,W^{\ast})

前半でも述べたように、ベクトル空間V上の反変1価共変1価のテンソルa^i_jVからVへの線型写像(を表現する行列)に他ならないが、上の同型は(W=V^{\ast}とすることで)その一般化になっている。V^{\ast}\otimes W^{\ast}の要素a_{ij}\bm{x}^i\otimes\bm{y}^jが対応するVからW^{\ast}への線型写像は、行列\{a_{ij}\}で表現される線型写像に他ならない。

上の同型(V\otimes W)^{\ast}\cong\operatorname{Hom}_K(V,W^{\ast})は下記の定理に(すぐに)一般化できる。

定理(Tensor-Hom随伴)以下の自然な同型が存在する。
\hspace{5em}\operatorname{Hom}_K(V\otimes W,U)\cong\operatorname{Hom}_K(V,\operatorname{Hom}_K(W,U))

この定理でU=K(1次元ベクトル空間)とした場合が、上で示した同型(V\otimes W)^{\ast}\cong\operatorname{Hom}_K(V,W^{\ast})である。

カリー化と普遍性

私は2000年の10月に九州大学の助手から京都大学に講師として戻った。こうして代数学の授業を本格的に行うようになったが、加群のテンソル積を説明することは、いつも一苦労であった。やっぱり、その「写像普遍性」が難しい。これで何かが定義されている(自然な同型を除いて)というが、なかなか説明しづらいものだ。私の作戦は、まず環の局所化を分数環による構成と普遍写像性による定義の二通りで丁寧に説明して、普遍写像性の考え方を(その実地の構成との対比を踏まえて)前もって理解してもらうというものだった。

参考:普遍性による議論では、可換環Aの部分集合(空集合でもよい)Sによる局所化とは、可換環の準同型i\colon A\rightarrow Bで次を満たすものである。
1. 任意のs\in Sに対してi(s)Bで可逆である。
2. 可換環の準同型f\colon A\rightarrow Rが「任意のs\in Sに対してf(s)Rで可逆である」を満たすなら、準同型g\colon B\rightarrow Rf=g\circ iなるものが唯一存在する。

さて、Tensor-Hom随伴の同型\operatorname{Hom}_K(V\otimes W,U)\cong\operatorname{Hom}_K(V,\operatorname{Hom}_K(W,U))に戻ろう。上ではこの定理(の特別な場合)の議論で「カリー化」を示唆したが、この同型を見ると、まさに右辺がカリー化そのものを示唆する形になっていることに気づくだろう。つまり、\operatorname{Hom}_K(V,\operatorname{Hom}_K(W,U))の要素は、どれもV\times W\rightarrow Uという形の写像のカリー化になっている。

ここで(この解説記事の最後の最後で)極めて重要な注意事項がある。\operatorname{Hom}_K(V,\operatorname{Hom}_K(W,U))の要素をV\times W\rightarrow Uという形の写像のカリー化と見なした場合、そのV\times W\rightarrow Uはどのような代数的性質をもつか?残念ながら、それは線形写像ではないV\times Wには直積としてのベクトル空間の構造を考えることができる)。実際、上でテンソル積\bm{v}\otimes\bm{w}の表示を求めるときに、それは各因子に関して双線形的に振る舞っていたことを思い出そう。そこからすぐにわかることとして、この写像V\times W\rightarrow Uは双線形ではあるが、線形ではないことがわかる。

ともあれ、以上で我々は次の同型を得た。

\hspace{5em}\operatorname{Hom}_K(V\otimes W,U)\cong\operatorname{BLin}_K(V\times W,U)

(ここで右辺の\operatorname{BLin}_Kは「K上の双線形写像」全体のなすベクトル空間の意味。)これが実はこの場合の「テンソル積の普遍写像性質」である。つまり、こういうことだ:テンソル積\bm{V\otimes W}とは「そこから(\bm{K}上の)任意のベクトル空間\bm{U}への任意の線形写像が、\bm{V\times W}から\bm{U}への双線形写像(から線形拡張によって得られるもの)に等しい」という性質をもつものである。そして、この性質はV\otimes Wを(標準的な同型を除いて)特徴付ける(この「同型を除いて一意に決まる」ことは、どんな代数学の教科書にも普通に書いてあるはずだからそちらを参照)。

この最後の事実を一般化したものが、いわゆる「テンソル積の普遍写像性質」である。(簡単のため、可換環上の加群で話をする。)

テンソル積の普遍性 可換環A上の加群MNA上のテンソル積とは、A上の加群TおよびA双線形写像\otimes\colon M\times N\rightarrow Tで、以下の性質をもつものである。
⚫︎任意のA加群LおよびA双線形写像\Phi\colon M\times N\rightarrow Lに対して、A線形写像\phi\colon T\rightarrow L\Phi=\phi\circ\otimesを満たすものが唯一存在する。

この手の普遍性による特徴付けと同様に、この場合もテンソル積\otimes\colon M\times N\rightarrow Tは同型(つまりM\times N上の同型)を除いて一意的である。また、これもこの手の普遍性の話と同様であるが、この場合も、テンソル積T=M\otimes_AN存在●●についてはこの議論では何も言及されない。存在を示すには、別の(往々にして具体的な構成による)議論が行われる必要がある。

とはいえ、テンソル積の普遍性はベクトル空間や加群という空間的対象の議論階層におけるテンソル積の本質を抉り出している。それは要するに

  • 双線形写像を線形化するモノ

ということだ。テンソル積の本質はそれに尽きるし、要素レベル(ベクトルやテンソルのレベル)で言えば、

  • 双線形的な変換を受ける(座標・係数の)(v^i,w^j)を、線形的な単一の変換を受けるように鋳直したモノ(=v^iw^j

に他ならない。もう少し大胆に噛み砕いてしまうと、この

  双線形性の線形性への鋳直し

こそが、テンソル概念の本質だということだ。そのためにベクトルのテンソル積の有限和をとるのである。そして、だからこそ、本稿の前半の冒頭にも述べたような「テンソルとは変換の受け方によって決まる添字つき係数」のような議論が、改めて生きてくることになる。テンソルはベクトルを多重に重ねて有限和をとったようなものだ。ただ重ねただけでは(双線形などの)多重線形にとどまり線形の変換を受けない。だから、変換の方のかけ算を考えて、その変換を受けるものとすればよい。私が一般相対性理論の勉強で四苦八苦したあのテンソル概念も、このように考えれば、普遍性による抽象的なテンソル積にも自然につながって見えてくるように思われるのだ。

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