拝啓、母さん、父さん――勇者召喚に巻き込まれてこの世界に来てから、本当にいろいろなことがあった。元の世界に居た頃よりずっとたくさんの、本当に充実した日々を過ごせていると思う。
けど、不思議なものだよ。以前とは比べ物にならないぐらい毎日が賑やかで、騒がしくて……心から楽しい。俺がこんなに幸せな日々を過ごせるなんて、思ってもいなかった。
物語の中でしか聞いたこともないような世界にきて、沢山の戸惑いの中でクロに出会って……救われた。いまでは、本当にあの時が俺自身の物語の始まりだったんじゃないかって、そう思える。
たくさんの人と出会って、たくさんの優しさに触れた。絆はひとつひとつ積み重なり、温かく素敵な日々へと変わっていく。
人界では、あちこちに足を運んだ。宝樹祭に参加したり、アルクレシア帝国で生まれて初めてのギャンブルを経験したり、ハイドラ王国で思わぬ再会があった。
魔界にも何度も訪れた。アイシスさんの居城に遊びに行ったり、マグナウェルさんの住む山脈に赴いたり、六王祭という前代未聞のお祭りにも参加した。
神界は、そこまであちこち見て回ったわけではないけど、シロさんの住む神域やフェイトさんたち最高神のすむ上層には、幾度となく足を運んだ。
それでも、またまだこの世界には俺の知らないものがたくさんあって、見たことのない景色も山ほど存在している。本当に、世界ってのは広いものだ。
周囲の人たちとの関係の変化も多くあった。本当に俺が出会う人は、皆いい人ばかりで……俺は縁に恵まれているのだと、心からそう思うよ。
母さんと父さんを失ってから塞ぎ込んでいた俺の心を救ってくれ、いつでも明るい笑顔で俺の心を照らしてくれたクロ。
出会った時からずっと惜しみない愛情と向けてくれ、いまでは本当にかけがえのない存在となったアイシスさん。
いつも優しくて、なにかあれば快く相談に乗ってくれて、一緒にいると穏やかな気持ちになれるジークさん。
イレギュラーであるはずの俺を受け入れてくれて、頼りがいがある面も可愛らしい面も併せ持ったリリアさん。
いつも騒がしくて調子者だけど、どんな時でも一番に俺を助けてくれる親友でもあり、愛おしい恋人でもあるアリス。
面倒くさがりで自堕落な面もあるが、懐に入れた相手を心から思いやる優しさと意外な純情さのあるフェイトさん。
それ以外にも本当にたくさんの人たちと出会って、仲良くなった。それを絆を紡ぐと呼ぶのなら、皆と紡いだ絆は俺にとってなによりの……『宝物』だ。
あぁ、そういえばクロと初めて出会った日……クロは俺に『宝探しをしよう』なんてことを言ってたな。だとしたら、うん……俺の見つけた宝物は、なによりも素晴らしいものだと胸を張って言える。
だからこそ、俺はこれから先もこの世界で生きていきたいと、そう思った。だけど、そのためには曖昧に済ませるわけにはいかないものがある。
そう、親戚のおじさんとおばさん……幼かった俺を引き取ってくれ、何不自由なく育ててくれたふたりに別れを告げないままで、こちらの世界に移り住むにはいかない。
当時は、よく分かってなかった。ただ母さんと父さんを失ったことが大きすぎて、周りを気にするだけの余裕なんてなかった。だけど、いまこうして思い返してみれば、おじさんとおばさんには感謝しかない。
子供ひとりを引き取るというのは大変なことだ。おじさんたちは俺をちゃんと大学まで進学させてくれたし、そこまでの生活になにか不自由をした覚えもない。
思えば、俺はもうずっと前から恵まれていたのかもしれない。母さんと父さんを失ったことは間違いなく不幸だと思うけど、それ以外では目を背けていただけで、ずっと俺は温かく優しい人たちに囲まれていた。
どうしていままでそれに気づかなかったのだろうと、どうしてちゃんとおじさんとおばさんにちゃんとお礼を言ってなかったのだろうかと……それが、一番大きな心残りだ。
もちろん、エデンさんあたりに頼めば、おじさんたちが使ったお金も元通りになり、俺という存在の記憶や記録を消すことも可能なのかもしれない。だけど、それはしたくない。
ちゃんと自分の口で説明して、いままでのお礼しっかりと伝えてから、俺はようやく胸を張ってこの世界の住人として生きていける。
だから、俺はそれを神に願った。現時点ではまだそれは叶ったとはいえない状況であり、与えられるであろう試練を乗り越えなければならない。
だけど……チャンスを与えられているという時点で、すでに幸福なことだと思う。
俺にはシロさんの心の奥は分からない。感応魔法も当然のことながらシロさんには通用しない。
世界を創り、長きに渡ってその行く末を見守り続けている正真正銘の神……最後に立ちはだかる壁としては、これ以上ないほど大きいと言っていい。
だけど、疑問にも思う。そもそもシロさんは、なぜ俺に勝負を持ちかけてきたのだろうか? あの時、神域の温泉で語ったシロさんの言葉……シロさんは嘘を付かないから、真実ではあるのだろう。だけど『すべてを語った』わけでもない。
それを勝負と表現するからには、シロさん側にもなにかしらの目的……得たいを思うものがあってしかるべきだ。
なにかが引っかかる気がする。大事ななにかを見落としているような、そんな不安が心にある。だけど、答えは出てこない。
いや、もしかしたらそれは……シロさんとの勝負の中で――見つけなければならないものなのかもしれない。
ペンを置いて日記を閉じ、座っていた椅子から立ち上がって、俺はそっと懐中時計に目を向ける。長針、短針、秒針……全ての針がひとつの場所に収束し、一日の終わりと始まりを示す。
天の月29日目が終わり、天の月30日目が静かに始まる。
その瞬間、景色が切り替わった。空は満天の星空に、足元は満開の花畑に……。幻想的で美しく、それでいてどこか寂しさを感じる光景。
それを見た時、俺の心には以前に聞いた言葉が思い浮かぶ。
――神界に夜はありません。夜にすることはできますが
青空ではなく星空……『夜の神域』……ここが、シロさんが選んだ場所。
「貴方が、貴方自身の物語を始めたのは、星空の下でしたね。その日の夜空を再現してみました。私と貴方の戦いに、これほど相応しい景色もないでしょう」
「……そうですね。こんばんは、シロさん」
「ええ、こんばんは……快人さん。愛おしき特異点よ。さぁ、始まりと終わりの時間ですよ」
シリアス先輩「ここにおいて、多くは語るまい。さぁ、第一部最終章! この作品『最後』のシリアス展開の始まり……え? 最後?」