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閑話・クリス~不器用な母と子~



 アルクレシア帝国現皇帝クリス・ディア・アルクレシア。彼女が今日まで歩んできた道は決して平坦なものでは無かった。

 前アルクレシア皇帝がある日突然に側室へと迎えた淫魔。あまりにも美しい容姿、男心を知り尽くした仕草、狡猾な頭脳。それらを凄まじく高い次元で兼ね備えていた淫魔は、瞬く間に皇宮内の男たちを虜にし、発言力を増していった。

 見方によれば突然現れ、国の中枢を乗っ取ったとすら見えるその淫魔こそが……クリスの母親である。


 幼くして聡明だったクリスは、己の母親である淫魔が……大嫌いだった。育児は使用人に任せてロクに会いに来ることもなく男遊びばかり……数多の男どころか、女すらも虜にしながら誰一人にも愛情を返さず、奴隷のように扱う母親が、おぞましくて仕方がなかった。

 幸い浪費癖などはなく、国の政治にも関心がない淫魔は、アルクレシア帝国を傾けたりすることはなかったが、欲望のままに生きるその姿は、クリスの心に嫌悪の感情を抱かせていた。


 もっとも、いまになって思えば……その感情の根底は、寂しさだったのかもしれない。本当は母親に会いに来てほしかった。愛情を注いでほしかった……しかし、母親は己に会いにすら来ない。

 そんな寂しさを誤魔化すために、クリスは母親を嫌うようになった。己は母親が大嫌いだから、『顔を合わせないのも当たり前なんだ』と……己に言い訳をし続けた。

 そう、言ってみればクリスは母親への甘え方を知らなかった。自らの母親に対してあまりにも不器用だった。


「……貴女は、この世で最もおぞましい存在です。貴方のような存在の血を半分とはいえ受け継いでいるのは、生涯消せぬ私の汚点です」

「……」


 だから、だろう……16歳、大人と呼べる歳になった彼女は、久々に会った母親に対してそう告げた。己に興味すらない母親はなんの感情もなくこの言葉を受け流すだろうと、そう思いながら……。

 しかし、決別の意思すら込めて放ったはずのその言葉が切っ掛けで、彼女は苦悩することになる。


「……そう、ね。たぶん、その通りなんでしょうね」

「ッ!?」


 クリスの言葉を受けた母親は、いまにも泣き出しそうな顔で彼女の言葉を肯定した。だからこそ、クリスは酷く動揺した。

 母親の表情に対してではない。『母親を傷つけてしまったことを後悔している自分自身』に……。


 母親のことが嫌いだった。嫌いな……はず……だった。だけど、それから何日経っても、その時の母親の顔が頭から離れてくれなかった。

 己の感情がわからず、苦悩し続けたクリスは、母親から逃げるように見聞を広めるという名目で各地を旅するようになった。

 そして、その道中に冥王クロムエイナと知り合い、数年間クロムエイナの家で過ごして……ようやくクリスは、己が母親を嫌い切れていないことを受け入れることができた。


 己の感情に決着をつけたクリスは、クロムエイナとその家族に深く感謝を伝えてからアルクレシア帝国へと帰ってきた。

 そして彼女は数年ぶりに、いや……生まれてから初めて、己の母親と正面から対峙して言葉を交わした。


「聞きたいことがあります」

「……なによ?」

「貴女にとって、私はなんですか? 偶然生まれてしまった邪魔な存在ですか? それとも興味を抱く価値すらないゴミですか? 私は、貴女の本心を聞きたい」

「……つ……たのよ……」

「え?」

「私がいつ! そんなことを言ったのよ!! 邪魔だとかゴミだとか、そんなこと一言も言ってないでしょ!!」

「っ……たら、だったらなんで! 私に会いに来てくれなかったんですか! 私が話しかけても無視ばかりしたんですか! 私には、貴女が……わからない!」


 それは、初めての親子喧嘩だった。良くも悪くも似てしまった……不器用な母と子が、初めて本音で語り合った瞬間だった。


「わかんないのよ! どうしたらいいか……どうやって愛したらいいのか……わからないのよ……」

「母……上……」

「貴女を生んだのは、気まぐれだった。子供ってどんなものなのかって、本当にそんな程度の……だけど、生まれた貴女を見て……純粋で、真っ白で……どうしようもないぐらい可愛くて……怖くなったの……」

「怖くなった?」

「……貴女の言った通り、私は他者を食い物にする淫魔。いままでずっと己の欲望のためだけに生きてきた、おぞましい存在よ。そんな、私の……汚れた手で触れたら……真っ白で美しい貴女が、汚れてしまうんじゃないかって……どう接していいか分からなかった」


 そう、クリスの母は……最強の淫魔であるリリムにとって、愛とは己にかしずいた他者が捧げるものであり、誰かに与えるものでは無かった。

 愛など他者に向けたことはなかった。だからこそ、彼女はどうしようもなく可愛く感じてしまった我が子に……クリスに対して、愛情の注ぎ方が分からなかった。


「母上、本当のことを教えてください。なぜ、私の世話を使用人に任せたのですか?」

「……子育てなんてしたことない私が育てるより……ちゃんとした経験がある者がやった方が……貴女にとっていいと思ったからよ」

「なぜ、一度も私に会いに来てくれなかったんですか?」

「……行ったわ……毎日……一日も欠かさず様子を見に行った……でも、会えなかった。会ってどうすればいいのか……分からなかった」

「なぜ、私が話しかけても答えてくれなかったんですか?」

「……怖かったの……嫌われてるって思ってたから……どんな顔をして貴方と話せばいいか……分からなかった」

「私のことを、愛して……くれているのですか?」

「……愛してるわ。自分でも、どうしていいか分からないぐらい……貴女が愛おしくてしょうがないのよ」


 不器用な母親の偽りない本心を聞き、ようやく長年クリスの心に積もっていた暗い霧は晴れた。すれ違い続けていた不器用な親子は、ようやく本来の形へと戻り始めていた。

 もちろん長年すれ違った関係は、すぐには修復されないだろう。だが少しずつ、着実に彼女たちは互いに歩み寄ろうとしていた。









 深夜と言っていい時間、執務室で仕事をしていたクリスはノックの音に手を止める。そして、クリスが返事をするより先に扉は開かれ、ナイトドレスに身を包んだリリムが姿を現した。


「こんな遅くまで、まぁ、あくせくと働くなんて……ご苦労なことね。まったく、私には理解できないわ、そんな雑務下の人間にやらせればいいのに」


 入るなり悪態とも取れるような言葉を告げるリリムを見て、クリスはふっと笑みをこぼした。あぁ、相変わらず己の母親は不器用な相手だと……。

 そう、以前とは違い、現在のクリスは母親であるリリムの不器用な優しさにちゃんと気付けている。


 緩やかな衰退が見え始めた帝国を憂い、彼女が皇帝の座に就こうと動き始めた時……裏からこっそりと手を回し手助けをしてくれた。

 和解してから、派手な男遊びを控え、代わりに外交や身だしなみなどをそれとなく指導してくれるようになった。

 いまだってそうだ。告げる言葉とは裏腹に、リリムの瞳からはクリスを心配していることが読み取れる。夜遅くまで仕事をしているクリスを心配して、様子を見に来てくれたのだろう。


「……珍しいですね。母上が、この部屋に来るのは」

「来てもやることなんてないからね。まぁ、クリスちゃんもほどほどにしときなさいよ。貴女は私と違って、半分は人間の血が入ってるのだから、寝不足はお肌に悪いわよ」

「はい」


 クリスは子供のころとは違って、いまは……母親のことが嫌いではなかった。不器用ではあるし、その思いやりは分かりにくい。

 しかし、自分を愛してくれていることはハッキリと理解できているから……。


 クリスがそんなことを考えていると、リリムはどこからともなく包装された箱を取り出し、無造作にクリスの机の上に置いた。


「……これは?」

「あ~つまんない男から贈られた余りものよ。私はいらないから、貴女にあげるわ。最近は冷えてきたし、私に比べて弱い肉体しか持たないんだから、身に着けていなさい」

「……ありがとうございます」

「じゃ、私はもう行くわね……少し、髪が痛んでいるわよ。また今度、手入れの仕方を教えてあげるわ」

「はい……おやすみなさい、母上」

「……おやすみ」


 自分の用件だけをさっさと済まし、リリムは執務室をあとにした。

 そしてクリスは、リリムが去っていった扉を少しの間見つめたあと、おもむろに渡された箱を開き……心底楽しそうに笑みを浮かべた。


「……まったく、付くならもう少しましな嘘を付いてほしいものですね」


 渡された箱の中に入っていたのは、少しいびつな赤い毛糸のマフラーだった。


「仮にも皇族である母上に、こんな明らかに『素人が初めて作った手編みのマフラー』なんて、贈るわけがないのに……」


 そのマフラーを編んだのが誰かなど、クリスにはすぐに分かった。そして、それを自分の首に巻いてから……裁縫をしている姿がなんとも似合わない自分の母親を思い浮かべ、もう一度深い笑みを浮かべた。





???「シリアス先輩が気絶から帰ってこないので、私が次の話を予告しますかね。ここから何話かのんびりとした話が続いて、そのあとはいよいよ第一部最終章、シャローヴァナル編がスタートします。シリアス先輩待望の話のはずなんですが……う~ん、なんだかんだでシリアス続いたら逆に慌てふためいてるシリアス先輩が想像できますね」

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