衆院選への立候補を表明する記者会見で、落語家は泣いた。
「やるからには落語は考えずにしっかりやれ」。こう激励する師匠の言葉を思い出したときだ。
立ち向かったのは、「鉄壁のガースー」こと自民党前職の菅義偉元首相(75)が盤石の地盤を誇る神奈川2区(横浜市西区、南区、港南区)。落語家の言葉は選挙でも通用するのか――。
きっかけは国会傍聴で耳にした「ヤジ」
10月3日、落語家で立憲民主党新顔の柳家東三楼(やなぎやとうざぶろう)氏(48)は神奈川県庁で開かれた記者会見に臨んでいた。
「噺家(はなしか)は言葉で人の心を耕す仕事。言葉と言葉で対話をして、まっとうな民主主義を作りたい」
22歳で三代目柳家権太楼に入門すると、約3年半で二ツ目に昇進し、2014年に真打ちに。
18年からは米国に活動拠点を移し、今年4月にはニューヨークのカーネギーホールで英語公演を開いた。順風満帆そのものだった。
畑違いの政治の世界を志したのは、今年6月に国会を傍聴したのがきっかけだった。
裏金問題で処分を受けた自民党議員が平然とヤジを飛ばしているのを目にした。
怒りに震え、その日のうちに立憲の候補者公募サイトに応募した。神奈川2区は自ら希望した。
記者会見で、このときのことを思い返すと再び涙が出た。
当初は「落語家」カラーを封印
準備期間はほぼゼロで事務所もないまま活動を始めたが、戦略は至ってシンプル。柳家氏が選挙カー、街頭、あらゆる場所でマイクを握り、有権者と対話をする。
菅氏が応援演説で留守がちなことを念頭に、有権者との「近さ」を打ち出す狙いだ。
色もの候補と受け取られるのを警戒して封印していた「落語家カラー」も、徐々に解禁した。
公示日と週末には、色紋付きを着て練り歩き、政策を短時間で「小噺(こばなし)」風に伝えるショート動画をSNSに投稿した。
故桂歌丸さんの地元・横浜橋通商店街(南区)では「落語家の柳家東三楼です。歌丸師匠には大変お世話になりました」と呼びかけた。
菅元首相の第一声は50秒
一方、菅氏が選挙期間中に選挙区に入ったのは、公示日と最終日の2回だけ。
公示日の第一声はわずか50秒。街頭でマイクを握ったのはこの日一日を通しても6分に満たず、安全上の理由もあって、大半の時間を有権者とのグータッチに充てた。
それでも普段は人影がまばらな商店街に押し寄せた人たちが一斉にスマートフォンを向けた。
現在の小選挙区制度になって以降、2区では菅氏が9回連続で当選してきた。
安倍晋三内閣の官房長官として全国に顔と名前を売り、首相にまでのぼりつめた。その高い知名度もあって、今回も集まった人々の間には高揚感が広がっていた。
SNS上では体調を不安視する投稿が相次ぎ、実際に足元がおぼつかないように見えたり、演説中に言葉に詰まったりする場面もあったが、聴衆の熱気がそうした印象をかき消していた。
演説に応用した「目黒のさんま」
結果は菅氏の11万9548票に対し、柳家氏は4万7222票。今回、菅氏に挑んだ4人の票を足し合わせても、菅氏の得票には届かなかった。
柳家氏は「最初は有権者から目も合わせてもらえず、正直怖かった」と振り返る。
駅立ちをすると、住民から「ここは昔、菅さんが毎日立っていたよ」と聞かされた。演説を聞いていた子どもは「この町は菅さんが強いよ」。
印象的だったのは、柳家氏が「落語家」を強調して練り歩いた横浜橋通商店街だった。
実は菅氏が古くから辻立ちを続け、選挙になると必ず訪れる「お気に入りの場所」(菅陣営幹部)だという。菅氏は歌丸さんとも親交が深かった。
「ここは保守の地盤じゃない。菅さんの地盤だ」と柳家氏。
それでも「落語家と政治家は非常に似ている」とも感じた。
言葉で訴え、周囲に支援者が集まり、みこしに乗る。真打ちになった、あのときに近い感覚だった。
選挙では、ときに言葉を届けた先から罵声が返ってくることもある。とはいえ、落語で培ってきた「言葉の力」は、演説に生かせると感じた。
柳家氏がイメージしたのは、16年に文化庁芸術祭で新人賞を受賞した「目黒のさんま」だ。
漫談のように話を展開させる「地噺」と呼ばれる手法を応用させると、よどみなく演説が続くようになった。
もちろん、言葉だけでは選挙には勝てない。会って握手をする数が地盤を作るうえではものを言うことも痛感した。
「今後は言葉に加えて、菅さんが地元に密着して体と足で稼いだところも見習いたい」
「落語で笑えない社会ではダメ」
今月中には横浜橋通商店街近くに引っ越し、次の衆院選を見据えて、政治家と落語家の両方の活動を続けていくという。
「落語を聞いても笑えないような社会ではダメ。笑えるためにも生活への不安をなくして、日本が成長しているという実感を作りたい」
涙を見せた記者会見の日の思いは、いまも変わらない。(堅島敢太郎)
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