現実主義について
言語には「誤用」はない、ということを何度か説明した。
「その日本語は誤っている」と述べるのは、原則として、その言明自体のほうが誤っている。
原則として、というのは、いちいち定義しながら使うわけにはいかない日常語において意味が逆になってしまったりする場合には、便宜的に、あるいは暫定的に、「その意味で使われると困る」と宣言しなければその言語社会の日常生活が混乱してしまうときで、例えば最近の日本語では
元来、「(サービスなどの対価として)オカネの支払いを課する」という意味の「課金」の、支払い、賦課のベクトルの向きが180度逆になっていることなどがそうで、「わたしはspotifyに月500円課金している」という使い方をする日本語人が増えて、spotifyもユーザに課金されてしまうのでは商売あがったりだが、「わたしはspotifyに500円課金されている」という用法が本来の使い方です。
困る、ということはないが、誤用を透かして、その言語自体が、ひいては社会が衰弱しているのが判る例も、歴史を通じて、色々な言語に見られて、わしが最近、最もびっくりした、というか、
日本の社会もいよいよだなあ、と失礼なことを考えたのは、
「現実主義」の誤用です。
現実主義は、特に政治哲学や現実政治において重要な概念で、本来は、空疎なレトリック遊戯や空理空論に奔らずに、現実と頑丈な鎖でしっかり言葉=考えに繋いでおいて、提案し実行する「主義」のことをいう。
それがいつのまにか特に若い世代において「与えられた現実と妥協し受容する」という意味に変化していて、あんまり考えてみなくても、現実主義が現実の唯々とした受容になってしまうと、
つまり、社会は誰がどう頑張っても永遠に良くはならないことになる。
現実主義の意味が変質するところまで、あるいはその手前まで来てしまっている、これを読んでいる日本語人のために例を挙げる。
えええ?それはない!、という声が聞こえそうだが、安倍晋三と田中角栄がよさそうです。
日本には欧州的な意味における「市民」は広汎には存在しない。
昔は、というか、つい最近までは、日本語との付き合いがこれほど長くなるとは思っていなかったので、日本語の本は現代詩を中心に、明治文学、せいぜい戦後文学(例:近代文学同人)くらいしか読んでいなくて、議論の前提となる「常識」が、どの辺にあるのか判らなかったが、このごろは少しは判るようになってきた。
少しだけど。
やや判ってきたつもりの、その日本語社会での「常識」に照らすと、「官民」というが
日本の民主社会の他国に較べての際立った特徴は「為政者側(例:霞ヶ関省庁)と庶民しか存在しない民主社会」であることを「共通に理解していること」として議論を進めてもよさそうです。
いや、そんなことはない、と頑張る人がいっぱいいるのは判っているが、その位相の議論を相手にしていると、議論がちょうどこの30年の日本の社会そのもののように堂々巡りしてしまうだけなのが判り切っているので、そういう議論をしたい人は、どっか別の所でやってもらえると有り難いとおもう。
日本の民主社会の難しさは、普通なら市民が育って、その内発的な民衆の成長が社会のなかで成立するために「民主社会」が出来上がるが、その「市民」が歴史の経過のなかで登場しないうちに、初めは国力の急速な伸長が必要だった明治時代の「富国強兵」の必要から、二度目は
明治の富国強兵が圧倒的に「強兵」に傾いて、国家主義化した国民と軍部の影響のもとに、アメリカ合衆国とイギリス連合王国に戦争を挑んで徹底的に敗北した結果、GHQによって強制された自由社会建設の必要から、まず近代社会や民主社会の器が建設されて、中身を満たす「市民」は「可及的速やか」に育成しようとしたことで、いまの日本の社会の、糸が切れた凧のような空中浮遊ぶりは、その直截の結果だとみなすことが出来そうです。
1965年、小田実を議長として、「ベトナムに平和を!市民連合」が結成される。
いみじくも団体名そのものに「市民」という単語が使われているが、この、左派からは、
「なまぬるい」
「ノンポリの巣窟」
「革命からほど遠い」
と、いまの右傾化が進んだ日本からは想像もつかない言葉で冷笑され嘲笑を浴びた団体くらいが、目立った「市民」の萌芽で、本題とはあんまり関係がないが、当時、時期を同じくして団体として形を成し始めていた、いわゆる反代々木系新左翼には馴染めず、かといって政府への抗議を行動で示さないではいられなかったひとたちが、三々五々、ベ平連のデモの列に加わっていった時代の空気がよく判るように思えるので、結成後、初めてのデモのときに小田実が記した呼びかけ文を引用しておこうと思います。
『私たちは、ふつうの市民です。
ふつうの市民ということは、会社員がいて、小学校の先生がいて、大工さんがいて、おかみさんがいて、新聞記者がいて、花屋さんがいて、小説を書く男がいて、英語を勉強している少年がいて、
つまり、このパンフレットを読むあなた自身がいて、
その私たちが言いたいことは、ただ一つ、「ベトナムに平和を!」』
一部の知識人(例:「読書新聞」に拠っていたひとたち)からは予想されたように
「日本に『市民』が存在しているという認識がすでに間違っている」と批判されたが、
小田実や鶴見俊輔たちは、そんなことは疾(と)うに判っていたでしょう。
彼らの「私たちは、ふつうの市民です」という宣言には、どちらかといえば「そうあれかし」という祈りの言葉のような響きがある。
わしは小田実が丸山眞男を後継すればよかった、と時々おもう。
なにしろごく最近まで、日本語への強い興味はあっても日本社会への興味が薄くて、丸山眞男も読んではいなくて、10年以上日本社会を観察してきた結果として
「日本には市民が存在しない」などとノーテンキに「発見」を述べていた人のいうことなので、あんまり当てにならないが。
この小田実には1958年のフルブライト留学での渡米を機に、世界を一周して書いた
ベストセラー「何でも見てやろう」という著書があって、「行動こそが思想をつくる」という思索形成の原則に忠実な人だったのが判るが、欲を言えば、数ヶ月でいいから、カラチならカラチに留まって、もっとじっくり異文化の人びとに立ち交じって暮らしてみればよかった。
もちろん、そんな経験なしでも、すぐれた業績を残した人なのではあるけれども、
丸山眞男の(あり得たかも知れない)後継者として考えたとき、常にそれをおもって、残念でたまらない気持ちになります。
結局、「市民」と呼びうる層は、広汎に広がって、ついに社会の基盤となる、どころか、小田実でいえば、ちょっと日本の「左派」の世界を知らない偏狭な理解力の小ささにびっくりするが、初めは当時日本社会の主潮であった左派から「多少は知的な右翼」として論難された小田実の「市民」のアイデアは為政者側の社会の基底から巻きあげるように起こしていった巻き返し(例:初・中等教育)によって、風化し、最近では、KGBとの接触や小田実自身の北朝鮮賛美の影響もあるのでしょう、ベ平連について「60年代から70年代にかけてデモを繰り返した過激左派」だと考える若い世代が増えて、いまではかつて「ベ平連」という市民の萌芽が存在したことも忘却されてしまっているようでした。
「市民」の政治関与条件のひとつである、「現実への有効性を保った日本改革運動」は、このあと意外なところからやってくる。
1972年の田中角栄の首相就任がそれで、この外国人にとっては非常に判りにくい人物は、多分、この人を異文化人にとって、嫌悪をもたらす以外には、たいへん判りにくくしているのと同根の理由から、他国では非業の死を遂げそうな革命家でしかありえない政治理念を現実のものに変えて、あるいは変えようとして、ついに首相にまで登り詰める。
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