渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

御茶ノ水・駿河台・神田界隈

2024年11月07日 | open




御茶ノ水・駿河台・神田界隈
は昔も今も学生街だ。
ただ、世相も町の風景も1960
年代~1970年代当時からは様
変わ
りした。






明大などは他の大学と同じく
宇宙局のような建物になった。




このような喫茶店で高校1年
の時からバイトしていた。
そして自分の金で免許を取り
自分の金でバイクを買い揃え
た。


御茶ノ水・駿河台・神田界隈
に足げく通い始めたのは1976
年からだ。
激動の時代の7年後から。
そして、この界隈は大学生に
なってからも日常的に出入り
する特別な場所となっていた。

今は無きこの建物の喫茶店で、
1970年代末期に首都圏の学生
連合の会議で代表者が集まっ
よく「謀議」をした(笑
共同共謀。



数年程時代遅れの僕たちは、
バリが解かれた跡地の各
点において、毎日死魚
の腐
肉を喰らいながら、
見果て
ぬ蒼ざめた馬を見
ようとし
ていた。
たとえきょうは果てしもな

く、冷たい雨が降っていて
も。

1968年~1969年。
敷石を剥がせばそこは解放区
だった。

人はそれを呼んだ。
「神田カルチェラタン」と。





医科歯科大から御茶ノ水駅前

を見る。
権中核納言のセンターコアな
方々とモヒカンのマオツォー
トン・リンピョウ派の方々。
我らは赤ブンなので白
中とは
対峙していた。三派で
あって
も。悪いけど言わせて
もらう
とZは番外、論外、大
気圏外。
という事を言うまでもなく、
内的ゲバルトは発生
した。権
力の補完物である代々木来襲
とは別に。闘わずに組織温存
のため安田砦外周警護任務を
放棄して逃げたZたちに対し
ては全諸派が反駁した。
当然だろ
う。

いろいろあった街。
答えは風の中だけにある。

風に吹かれて


 


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