さよならイトーヨーカドー福島店 相次ぐ駅前シンボルの消滅
- 2024年05月07日
JR福島駅西口の顔として長年親しまれてきた「イトーヨーカドー福島店」。惜しまれながら、39年の歴史に幕を下ろしました。
さまざまな思いがめぐった最終日の様子と、駅周辺の空洞化が進む福島市の現状をまとめました。
最終日、ヨーカドーへの思いを胸に
最後の営業となった5月6日、朝から大勢の人が店を訪れました。大型連休の最終日ということもあり、帰省客の中には、新幹線に乗る前に思い出の店に立ち寄ったという人の姿もありました。
家が近く親しみもあって毎週のように来ていましたし、買い物といえばイトーヨーカドーと思っていたので寂しいです。新幹線で福島に帰ってくるとすぐにこの店が見えて『福島に帰ってきた』と感じられる場所でもありました。(40代男性)
6年間、総菜売り場でアルバイトをしていました。初めてのアルバイトでしたが、従業員の方がみなさん優しくて長く続けることができ、あたたかい職場でした。
大学のある金谷川に住んでいて店の利用客でもあるので、これからどこで買い物をすればいいのかという感じです。(20代の大学院生)
食器や衣料品を見て歩くのが好きだったので、残念です。この店ができた当時から通っていましたし、東口にあった「中合」が閉店してからはさらに利用頻度が増えました。
「中合」の閉店で東口全体が寂しくなりましたが、今回の閉店で西口全体にも影響が出ると思います。やっぱり残念です。(70代女性)
人生とともにあったヨーカドー
さまざまな思いを胸に大勢が詰めかける中、ヨーカドーに特別な思いを持つ人を取材しました。
店からわずか数百メートルほどの場所に住む大橋和子さん(88歳)です。かつて、共働きで仕事に家事に忙しい日々を送っていた大橋さんにとって、39年前のヨーカドーの開店は生活が一変する出来事でした。
大橋さんがある物を見せてくれました。ヨーカドーがオープンする前に、足を運んでいた店をまとめたメモです。「米」、「肉」、「魚」、「八百屋」、「酒」、「味噌」、「乾物」などなど。記憶をたどる限りで40以上の店に及び、必要な物を買うため、これらの店を訪ね歩いていたと言います。こんな買い物のスタイルが、ヨーカドーの開店によって1つの場所で完結するようになったのです。
毎日の食材を買うのに何軒も渡り歩いていたんですが、ヨーカドーさんを利用するようになって1つのお店の中で全部そろうようになり、私にとって最高の店でした。
1985年1月、「イトーヨーカドー福島店」の開店当時を取材したNHKの映像が残っていました。
店内は客でごった返し、客の手には抱えきれないほどの商品が。当時の熱気が伝わってきます。大橋さんもまた、ヨーカドーの開店を歓迎し、その後の人生をともに歩いたひとりなのでした。
長く保育園で働いてきた大橋さん。入園式や卒園式で欠かせない礼装や、いつも家族の団らんの中心にあったこたつ机にいたるまで、生活に必要なあらゆるものをヨーカドーで購入してきました。
時代や文化の移り変わりで暮らしに新しいものを取り入れ、少し豊かになったと実感する。そんな瞬間をかなえてくれたのがヨーカドーでした。さらに、店内で旧友と思いがけず再会することもあり、大橋さんの生活と人生を彩ってきたと言います。
店に来ると懐かしい人とか、みんなに会えるんです。それが本当にうれしくて、私にとっては情報交換、社交場という感じでした。いろいろ考えると感謝の気持ちも大きくなるけれど、やっぱり寂しくて悲しいですね。
閉店の時、それぞれの思い
そして迎えた最終日の夜。閉店時間の午後7時が近づくと、次第に店の前に大勢の人が集まってきました。
記念撮影をする人、店に向かって静かに一礼する人。その数およそ数百人。詰めかけた報道陣も20人以上と、夕方のニュース番組の中で中継で伝えているTV局もあります。午後7時15分、吉田博之店長がマイクをにぎり、あいさつに立ちました。
(吉田博之 店長)
イトーヨーカドー福島店は本日、ただいまをもちまして39年間の営業を終了させていただきます。開店当時から店に伝わる「決意表明」の一節にこのような表現があります。「駅西口、商業の核として、福島の皆様と地域の発展のために尽くします」と。
今、私たちはその役目を終えさせていただきます。お店の看板はなくなってしまいますが、イトーヨーカドー福島店と、最後まで頑張った従業員がいたことをぜひみなさんの記憶の中にとどめておいてください。ありがとうございました。
店長の後ろに並んで立つ従業員たちの中は、目頭を押さえる人もいて、静かに店長の声に耳を傾けていました。
そして、大勢の人に見守られ、拍手や「ありがとー」の声に包まれる中、シャッターはゆっくりと下りてゆきました。閉店を見届けた人にも話を聞きました。
小さい頃から来ているので、かなり感慨深いです。小さい頃は、おもちゃとかいろいろ見に来ていて、自分の居場所というか。ありがとうございますという感じです。(高校1年生の兄)
本当に思い出の詰まったお店で、おもちゃコーナーではしゃいでいた記憶が残っています。悲しいですが、『39年間お疲れ様でした。本当にありがとう』と伝えたいです。(12歳の弟)
高校時代、「ポッポ」でよく友達と楽しく食事をしたし、卒業式の後にも集まったほどです。県外に出かけても、福島に帰ってくると駅前で1番最初にお出迎えをしてくれた場所だったので、心にぽっかり穴が開いたような、ふるさとがなくなったような気もします。今までたくさん楽しい思い出をありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいです。(30代の女性)
決まらない跡地の活用 どうなる?
ヨーカドー福島店の閉店の原因は、業績不振にあります。運営会社の決算は、ことし2月まで4年連続の最終赤字となっていて、立て直しに向けて北海道と東北から撤退することを決めています。福島店も、その大きな流れに飲み込まれた形です。県内では郡山店も5月26日での閉店が決まっています。
ただ、福島店の閉店が特別な意味を持つのは、駅前の空洞化に拍車がかかることが強く懸念されるからです。
福島店は、駅西側の一等地におよそ2万4000平方メートルの広大な敷地を抱えています。しかし、閉店後の建物や土地がどう使われるのか決まっていません。郡山店については、後継の店舗としてグループ会社のヨークベニマルが出店することがすでに決まり、来年2月のオープンが計画されているのとは対照的です。
福島店について、建物と土地を所有する東京の大手不動産会社「ヒューリック」に今後の利活用の方針について取材すると、「現在あらゆる可能性含めて検討中」と回答があるのみでした。
「あらゆる可能性」とは何か。地元で不動産関係者などに取材すると、大きく2つのシナリオがありうるようです。ただ、いずれにも課題があり、空白状態が長期化するのではないかという見方もあります。
①建物を活用 食品スーパーなどの後継テナントが出店する
②建物を解体 新たな商業施設やマンションなどを建設する
①建物を活用する場合
建築から40年近くが経過して老朽化が進んでいる建物の改修には多額の費用が生じると見込まれます。その費用を反映した賃料を支払えるテナントがあるのか疑問視する声があり、不透明な状況です。
②建物を解体して新たに建設する場合
さらに巨額の費用がかかります。全国的に建設工事の費用が高騰している中、広大な敷地を一挙に手掛けるような大きなプロジェクトがいまの福島駅前で成立するのか、見通せません。
経済界や行政を取材していても、ヒューリックが後継のテナントを地元で探したり、土地・建物の売却先を模索するような動きは表面化していないようで、関係者もやきもきしているのが現状です。
福島市の木幡市長は、去年秋、東京のヒューリックを訪ねて跡地の利活用について意見交換を求めましたが、その後は、「自分たちで検討している」と言われたまま、面会もできていません。
取材の中で、利活用が決まらずに空白状態が長期化することと同じくらい恐れられているシナリオも聞こえてきました。それは、店舗の跡地が小さな区画に切り分けられて別々の事業者に売却されることです。駅前の顔となるべく土地が一体感もなく、無秩序に開発されることになれば、今後の街づくりに大きな影を落としかねません。
福島市は店の跡地を、駅前の集客の拠点となりえる場所として商業施設や文化施設などの整備が望ましいという考えで、今後、不動産会社側との調整や交渉で手腕が求められることになります。
東口も計画縮小へ 魅力失う福島駅前
福島駅の周辺では、東口でも大きな動きがありました。2020年に閉店した「中合」などの跡地で進められている再開発事業が計画の縮小を余儀なくされたのです。
東口の再開発では、複合ビル、100戸程度のマンション、駐車場棟が建設される計画でした。とりわけ、にぎわいづくりの中核としてホテルや商業施設が入る予定だった複合ビルに期待が集まっていました。しかし。
加藤理事長
アパレル等ショッピングを楽しんでいただく商業機能を設ける計画については、こちらの採算ラインと相手の目線がどうしてもかみ合わず誘致が困難な状況。ホテルについても、組合側としてのギリギリの提案に合意が得られず、ホテル誘致を見送る決断に至った。
5月1日、福島市と再開発組合は、複合ビルへのホテル誘致を断念すると表明。知名度の高いアパレルなどの出店を想定していた商業ゾーンについてもめどが立たず、地元の飲食店や物産の販売を中心とする構成に変更することを明らかにしました。複合ビルは当初の12階建てから10階建て程度に縮小することになり、計画の縮小に伴う設計変更などで、開業は当初より2年以上遅れて2028年度以降にずれ込みます。
ホテルや商業ゾーンのテナント交渉では、これまでに100社以上に打診したものの、計画の途中で資材の高騰などによって事業費が膨らんだこともあり、賃料の交渉で折り合うことができなかったということです。木幡市長も、厳しい状況を明かしています。
木幡市長
中心市街地では、長期的に居住者や事業所、そこで働く従業員が減少し、駅前を日常的に動く歩行者数は大きく減っている。テナントの交渉過程で、福島駅前の人流の動向から、これでは出店はできないということを、幾度となく聞かされた。大規模な民間投資を呼び込むだけの力、魅力が福島駅前には乏しくなっていることを痛感している。
100社以上に断られ、市長自身が「魅力が乏しい」と認めざるを得ない福島駅の周辺。にぎわいを失ってきたことはデータからも明らかです。
この30年ほどで、福島駅前の通行者は2割以下に減少しています。郊外に専門店が立地し、企業も駐車場を確保しやすい郊外に散らばり、その結果、中心市街地から人や商店が減る。人が減ると、また商店が姿を消す。木幡市長は、福島駅前ではこうした悪循環に陥っていると言います。
にぎわい取り戻せるか ポイントは?
福島駅前のにぎわいを取り戻すためにはどうしたらよいか。まちづくりや都市計画が専門の福島大学の川﨑興太教授に聞きました。
現在の福島駅の東西の状況をどのようにとらえていますか?
いまは、ある種の時代の変わり目です。中合の入っていた「辰巳屋ビル」は、法定再開発として東北では初めての事例だったと言われていますし、イトーヨーカドー西口店もバブル前夜に開業しました。駅の東西のシンボルは、いわば成長時代の福島の象徴だったわけです。時代が変わって低成長時代に入り、必然的な流れとしていまの状況にいたっているのだと思います。
駅前の再開発はにぎわい回復の起爆剤になりえますか?
そもそも行政が主導する形の中心市街地の再生政策はほとんど成功例がありません。空いた空間をどんな箱で埋めるかという発想ではなく、民間の活力をいかに引き出すかが重要です。成長時代であれば、空き地に建物が建つと人やお店が増えて自然と地域経済の増大につながっていましたが、いまはそうではありません。
では、いまどんな取り組みが求められていますか?
人口減少、低成長の時代に、それでもなお民間・地元の人たちが中心市街地の活性化が必要だと思うのであれば、自分たちは何をできるかということも考えないといけません。例えば、会津若松市の七日町通りは問題意識を持った地元の人が立ち上がって知恵を出し合うことでにぎわいを取り戻しました。何か1つ建物を整備すれば人が集まってにぎわいが生まれるかというと、必ずしもそうではないのです。まずは、民間・地元の人たちがどんな中心市街地にしたいかということを議論するためのプラットフォームが必要で、行政にはそうした舞台を整える役目もあると思います。
全国的に再開発の成功事例がほとんどないというのは、重く受け止めなければならない現実です。人口減少で町全体が縮小していくなかで、一度郊外に出てしまった人をもう一度中心市街地に呼び集めるには、かなりの力業が求められます。実現には、町一丸となった取り組みが必要だという指摘です。
カギは駅の東西の「一体開発」?
では、福島の経済界はどう動くか。商工会議所のトップに聞きました。
ヨーカドーの閉店の地域経済への影響や問題についてどうお考えですか?
ヨーカドーは福島にとって本当に大きな存在でした。市民にとっても、ここで仕事をしているわれわれにとっても非常にダメージは大きいというのが本音です。昔の福島には魅力的な商店や百貨店もたくさんありましたが、消費のあり方が変わっていく中で商業施設が厳しくなってきているということは受けとめなければならないと思います。
ヨーカドーの跡地にはどのような機能、施設が求められるでしょうか?
跡地の活用について、これとうい形は示されていません。そうしたなか、われわれ経済界としても市と連動して動く必要があり、市民にがっかりさせない、これから大きくなる子どもたちの目線に応えられるようなものにしなければいけないと思っています。そしてこれは、東口の再開発と非常に関係が深い話でもあります。
西口と東口を一体的に捉えるべきということでしょうか?
福島駅の場合、一番のネックは駅の東西の交流です。現在も地下の自由通路はありますが、狭く、自転車が通ることもできません。以前から自由通路の改善を求める声はありましたが、今回、駅の東西のシンボルが不在になるという、ある意味では計画的にやろうと思ってもできないようなことが起こった訳です。これをピンチと言わずにチャンスと捉え、もう一度、魅力のある駅周辺に整備することが一番の課題です。東西がバランスよく発展するためにも、東西の通路の充実をJR東日本に対しても働きかけていきたい。
駅の東西の自由通路については、福島市も強い問題意識を持っています。木幡市長は、これまでにもJR東日本に対して駅ビルの建て替えを含め、駅の2階を通路にする案などを要望してきたと明らかにしています。
しかし、JRからは逆に、市として駅の周辺をどう整備する計画なのか質され、話を前に進められないと言います。駅ビルを改修して駅の東西の行き来がしやすくなったとしても、それだけで人流が回復する訳ではありません。民間企業のJRにとって、駅の東西が空白の状態で多額の投資を伴う駅ビルの改修に踏み切れないのはもっともです。
突き進むか、立ち止るか 突破口は?
こうした状況は、駅の東口の再開発計画、駅の西口のヨーカドー跡地、駅を抱えるJRが互いにけん制しあい、三すくみになっているようにも見えます。
商業不動産に詳しい地元の関係者からは「必要なのは駅周辺の全体として目指すべき姿をまとめたグランドデザインを描くことだ。いまこそ自由通路を含めた東西一体の開発を進めるべきだが、グランドデザインがないことで協調しあう空気が生まれていない。東口の再開発を縮小するくらいなら、一度立ち止ってでも、本当の意味での東西一体の再開発プランを練り直すべきだ」という指摘もありました。同様の声は、福島市議会の議員からも上がっています。
立ち止るべきか、突き進むべきか。市の幹部は「空洞化がこれだけ深刻な状況で、この状態を放置して何も手を打たないことのリスクを重く捉えなければならない」と、前に進むことの重要性を指摘します。
木幡市長も「まずは東口の施設を魅力的なものにしていち早く運用していくことが大事だ。商業者の冷え込んだマインドが変わるようなものを作って人を呼び込み、それによって商業やビジネスが戻ってくるようにする」と述べ、まずは突破口として東口の再開発を急ぐべきだという考えです。
取材後記
今後の福島駅の駅前はどうなるのか。さまざまな考え方がありますが、はっきりと言えることは、この地で暮らす私たちが主体的に考え、行動しないと変わらないということです。
「福島市には何もないよ、桃を除いて」。転勤族の私に、市内に住む方があいさつ代わりにのように口にする言葉です。エンドーチェーン、長崎屋、コルニエツタヤ、山田百貨店など、かつては駅前にあった商業施設の名を名残惜しそうに口にする姿にも接してきました。加えて、ヨーカドーの閉店に東口再開発の計画縮小と来ると、往時と比べた凋落は著しく、希望を見いだせない気持ちになるかもしれません。
しかし、取材の中で、東口の再開発についてホテル誘致を断念して却ってよかったという声にも触れました。再開発組合は、ホテルの代わりにオフィスのフロアを拡充する計画です。駅前のにぎわいづくりの主役は、週末が中心の観光客ではなく、地元に住み、働くわれわれが担うことになるという訳です。観光客のように季節の波もなく、進出企業が地域と関係を深める中でより持続可能な街づくりにつながるという見方です。
確かに、いったん郊外に出た企業が駅前に集積するようになれば、昼休みにはランチに出かけ、帰りに買い物をする需要も出てくるでしょう。そうすると、商業施設も駅前に戻ってくる好循環に転じる可能性も見えてくるかもしれません。
東口の再開発が完了するまで、早くてもまだ4年あります。いかに、自分ごととして街づくりに関わろうという人を増やし、にぎわいを取り戻すための機運を高められるかが重要だと思います。
こぼれ話 ヨーカドー出店秘話
先述した1985年の開店当時のニュース映像。熱気と興奮に包まれるヨーカドーの店内とは反対に、閑散とした店の映像も残されています。周辺に立地していたスーパーの様子です。
ヨーカドーが立地する福島市太田町の商店会には、最盛期は90店舗ほどの店が加盟していました。1980年代前半、小規模店舗がひしめく駅前にヨーカドーの出店計画が伝わった当初、市内の商店会は猛反発。そうしたなか、おひざ元の太田町の商店会がいち早く受け入れを表明したそうです。
商店会の関係者によりますと、当時の幹部には、外部から新たなパワーを取り込みながら共存共栄を目指すべき、という考えがあったといいます。太田町の商店会が出店容認に転じたことをきっかけに反発ムードは収束し、出店は実現しました。
その思いに応える形で、ヨーカドーは地元を重視。商店会とは良好な関係を築いてきました。店の駐車場の一角で地域のお祭りを開催したり、商店会の幹部らはヨーカドーの歴代の支店長や売り場のマネージャーとゴルフや麻雀に興じるなど公私にわたって交流したりしたといいます。支店長が人事異動で福島を離れる際には、商店会が送別会を開いて盛大に送りだしたとも。いまでも当時の支店長とお歳暮をやりとりしているという声もありました。
時代の趨勢もあって太田町の商店会は解散し、現在は精肉店や米穀店など数件の商店が残るのみです。それでも、「ヨーカドーに潰された」という恨み節は聞こえてきません。文字通り「共存共栄」の時代があったのです。そしてついに、そのヨーカドーも店の灯を消しました。今後、西口の商業機能の空白は続くのか。駅周辺ににぎわいは戻ってくるのか。NHKでは継続して取材していきます。