このすば*Elona 作:hasebe
【6】
魔王軍。
世界にそう呼ばれたアーデルハイドとその仲間達。
彼らと彼ら以外の国家、すなわち世界連合軍の戦いは、あまりにも一方的なものでした。
東の果てから進軍を始めた魔王軍に後方の憂いは無く、魔領での死闘も記憶に新しいアーデルハイド達に隙や慢心は微塵も無く。
一方の世界連合軍は数こそ魔王軍を圧倒的に上回っていましたが、内実は主力を出し惜しんだ寄せ集め。
人類同士の大きな戦争が長年起きていなかった事も要因の一つでしょうが、結局のところ、彼らは認める事が出来なかったのです。
これまでは国と呼べるものすら持っていなかった、劣等種と差別していたモノの群れが、自身達霊長を脅かす事を。そんなモノを相手に初手から本気を出す事を。
結果として、世界連合軍は初戦において当然のように大敗を喫しました。
片や絶対的なカリスマを持つ黄金の魔王に率いられ、数多の種族が自身の長所を活かし、他種族を支え合いながら戦う魔王軍。
片や協調性も使命感も無く、上層部が各国による足を引っ張り合う烏合の衆と成り果てていた連合軍。
このような状況下で連合軍が勝てる道理などどこにも無く。
また、神々も悪魔もこの戦いに関しては一切手出しをせず静観を貫いていました。
神々としては、魔王軍の理念の方が世界運営上好ましいものであったが故に。
悪魔としては、悪感情を得るなら人間オンリーよりも多種族が繁栄していた方が喜ばしいが故に。
上位者は、誰も人間一色の世界など望んでいなかったのです。
少なくとも、この世界においては。
連合軍を打ち破った後も、アーデルハイドとその仲間達は戦いました。
二度と自分たちが脅かされないように。
自分たちの尊厳が奪われないように。
今まさに各国で苦境に遭っている同胞たちを解放するために。
敵味方共に最小限の犠牲で国という国を一つずつ陥落させ続けた結果、開戦から十年も経たず、世界の版図は一色に染まります。
恐るべきは魔王軍であり、アーデルハイドの才覚でした。
そして世界に存在する全ての国家が黄金の女王に膝を屈した、まさにその時。
長きに渡る人間の時代が終わり、次の時代が始まったのです。
黄金の時代。
天上の神々ですら贔屓なしに謳い称える、数多の管理世界でも例を見ない、史上最も平和で豊かな時代が。
■
終わりの見えない戦いは続く。
どこまでも、果てしなく。
続いて、続いて、ただひたすらに続いて。
ついに、ソレが、戦いの気配を感じ取れるところまでやってきてしまった。
墓標のように死の大地に突き刺さる一本の朽ち果てた大剣。
ウィズとアーデルハイドのスタンスの違いを明確にした確執の元凶ともいえる遺物が小さく震える。
闘争の気配。血の気配。死の気配。
朽ちた大剣に自らを封じた亡霊の群れが何よりも待ち望んでいたものが、すぐ傍まで迫っていると理解したのだ。
「…………」
宵闇の漆黒で統一された重装兵、重装騎兵の群れ。
剣より現出した亡霊兵たちは、目配せも言葉を交わすことも無く陣形を組み、真っすぐに進軍を始めた。
感情さえ失い、しかし砂粒ほどに残された彼らの最期の自我が必死に叫ぶのだ。
終わりが避けられないのならば、空虚な時間の果てに磨り潰されるのではなく、誰かのように無念に満ちた絶望の中でもなく、せめて戦いの中で、と。
漆黒の亡霊兵が終焉を求めて地獄を目指す。
だが、その切っ先に立つもの。先頭を往くもの、ただ一人だけは、亡霊ではなかった。
■
「……ん?」
最初にそれに気が付いたのは領域の主であるアーデルハイドだった。
如何にしてヒトの形をした災厄を削るかに意識と能力の大半を割きながら、軽く精査をかける。
ほどなくして、第三者が自身の軍と交戦に入っている事を察知した。
「ああ、彼らか。戦場の匂いに引き寄せられたか? 身の程を知れと言いたい所だが、そんな理性と人間性が残っていれば苦労はしないか」
決して雑兵の類ではない。
むしろ史上最悪の不死王が自身の隷下に加えても良いと考える程度には鍛えられた精兵である。
そこらの小国であれば平押しで容易に陥落させられる強さだ。
だが天変地異もかくやという人外の戦場に割って入れるほどのものではない。
不死王の軍勢には多勢に無勢と呆気なくひき潰され、廃人にゴミのように蹴散らされる程度の強さ。
アーデルハイドは部屋の片隅のゴミを箒で掃くように無感情に処理の指示を出しかけ、しかし既の所で止まった。
突如としてウィズを抱えた男が第三軍の方角に向かったのだ。
これはアーデルハイドにとって完全に予想外の行動だった。
同胞であるウィズが向かうのは分かる。彼女であれば、時と場合によっては彼らを護ろうという動きすら見せるかもしれない。
救い無き者に救いを与えようという聖女の如き異端の不死王。化け物である事を受け入れながら、しかしどこまでも己は人たらんと欲すその姿勢は愚かしくも好ましい。
だがあの狂った異邦人は違う。断じて違う。
そんな真っ当で輝かしい人間性を持っているわけがない。
こういう状況の時は基本的に無視し、もし行く手がぶつかったら邪魔なので叩き潰す。この見立ては間違っていないだろうとアーデルハイドは確信していた。
「同胞に助力を願われたか? まあいい。少し様子を見よう。彼が何を為すのか興味が無いわけでもない」
相手が何を考えているのかは不明だが、ともあれこれで一息吐ける。
彼の黄金は戦場でこそ栄えると言われた女帝は軽く息を吐き、神経を鑢で削られるような指揮で気持ち凝った首をぐりぐりと揉み解すのだった。
■
ふと、戦場の空気が変わった事をあなたは感じ取った。
少し離れた場所で誰かが戦っている気配がする。
ウィズでもアーデルハイドでもない。これは第三者の乱入だ。
白い竜の群れだろうかと空を見上げるも、それらしき影は無い。
『覚えのある気配です。あの剣に封じられた亡霊の方達が近くに来ているようです』
ウィズに声をかけると、こんな答えが返ってきた。
辛うじて自我を残した漆黒の重装兵と重装騎兵の集団はあなたも当然覚えている。
だからこそ、あなたは即座に見切りを付けた。
彼らの強さは天地がひっくり返っても戦いの趨勢を左右するものではない。
邪魔をしているわけでもないし、取るに足らない亡霊だ。ウィズには悪いがどうなろうとも興味が無い。ウィズが何も言わないのであれば素直に放置で構わないだろう。
あなたは普通にそう思っていた。
『ただ、一つだけ、妙な気配を感じます』
ウィズがそう言うまでは。
『彼らの中に一際強くて、だけど亡霊ではない何かが混じっているようなんです』
その言葉は僅かにあなたの興味を引いた。
少なくとも、ウィズと共に戦闘を一時的に切り上げて亡霊兵の元へ向かう程度には。
ウィズの麾下に加えるのもありかもしれないという打算もあった。
弾除けとしては十分だろう。
とまあ、あなたは本当にその程度の意識しか持っていなかった。
騎兵の先頭に立つ、ウィズが亡霊ではない何かと言ったソレを目にするまでは。
漆黒の騎馬に跨り、身の丈を超える大剣を振るう一人の騎士。
その姿は一際目立つものであり、実力自体も他の亡霊と比べて頭一つ以上抜けている。
間違いなく騎兵隊の長だろう。アレを軸に戦えば無貌の軍にもある程度は抗しきれる。そう思える程度には一騎だけ明らかに格が違う。
その全身は兜と鎧で覆い隠されているが、あなたの目は誤魔化せない。
確かに亡霊を率いるソレは亡霊ではなかった。
では人間なのかというとそれも違う。
そもそも実在すらしていない。
無数の亡霊の祈り、あるいは呪いによって編まれた幻影。
擦り切れる魂すら持たぬ虚ろな傀儡。
そういうモノだった。
フルフェイスの兜で顔は見えない。
だがあなたはそれが誰の似姿であるのかを即座に看破した。
当たり前だ。他ならぬあなたに分からないはずがない。
現在に至るまでに得た知識と情報を統合し、そういう事かと一人得心したあなたの眉が静かに顰められ、第三勢力に向けられた視線の温度が急速に低下していく。
無粋が過ぎる。誰もが楽しく遊んでいる中、これ見よがしに悲劇をぶらさげて突撃してくるなど、空気が読めていないなどというレベルではない。
件の亡霊の対処はウィズに丸投げする予定だったが、あなたはここに来て気が変わった。というよりも状況が大きく変わった。
これは間違いなくあなたに課せられた役割であり、あなたが果たすべき仕事だ。
直感に従い、あなたはウィズに少しだけ見ていてほしいと一人で動く。
辛うじて我を残すだけの擦り切れた亡霊たち。
彼らをウィズに任せて昇天させれば少なくとも悪い結果にはならないのだろう。
ウィズの弾除けとして使っても彼らとしては本望かもしれない。
だがこれこそが最良の結末に至る一手であると確信して。
アーデルハイドは状況を見守るつもりなのか、あなたと亡霊兵をぶつけるような形で軍を後退させた。
つくづく操兵技術が神がかっていると内心で賞賛しながら、あなたは四次元ポケットから一つの武器を召喚。
大きさだけなら愛剣を遥かに凌駕する、およそ人間が扱う武器ではない巨大な得物を携え、向かってくる騎兵隊を見据えて迎え撃つ。
そして、すれ違う一瞬、あなたの腕と武器が音も無く微かにぶれる。
数秒の後、あなたの後方でぐらりと傾くのは先頭の騎士。その頭部は一瞬で消失していた。
そうして全ての騎兵が通り過ぎた後、あなたの手中に収まっているのは先頭の騎士の生首。
遅れてやってきた斬撃のダメージで兜が砕け、隠されていた幻影の素顔が露になる。
『えっ、えええっ!?』
ゆんゆんの驚愕は至極当然のものだろう。
ここにいるはずのない人間の顔だったのだから。
だが、それは間違いなくベルディアのものだった。
『ああ……彼らは、きっと、そういう事なんですね』
ウィズの嘆きにも似た呟き。
当然だがあなたが首を落としたこれは、ベルディア本人ではない。
もしそうならあなたは普通に分かる。伊達に飼い主をやっているわけではない。
『ところであの、ちょっと、あの、お話が』
恐る恐るウィズが声をかけてきたが、それも当然。
あなたが今使った武器は、冤罪の処刑刃なのだから。
つまりあなたは、ベルディアの生前を模した幻影の首を、ベルディアの命を奪ったギロチンの刃で作られた、ベルディアを殺すための武器で、真っ二つに断ち切ったのだ。
あろうことか、ほぼ間違いなく生前のベルディアの部下であろう者達の目の前で。
言うまでも無いが故意である。最初から分かってやっている。
これから行う事もまた同様に。
どしゃり、と。
落馬した鎧と体が地面に転がる音が聞こえたが、あなたは一顧だにせず、断たれた首を手放して地面に放る。
そしてそれを何の躊躇いも無く踏み潰した。
虫けらを潰すように。
処刑という言葉が相応しい、どうしようもないほどに無慈悲で、残酷で、悲惨な光景。
それはまるで、遠い過去の悲劇の再演。
神器を通じてベルディアとの繋がりを有しているからだろうか。あなたはあなたなりにこれが正しい行動だと確信している。
具体的な理由は不明だが、最良の結末を手繰るにはこうする必要があると認識していた。
だがそれはそれとして、自身のペットの不細工に過ぎる不出来で惰弱なハリボテを見て少なからず気分を害していた事は否定出来ない事実だ。
いわゆる解釈違いというやつである。あなたはあんなつまらない木偶になった自身のペットを一秒たりとも見ていたくなかったのだ。
「……a゛」
あなたに破壊され、音も無く消失するベルディアの生首を見て。
ベルディアの首を落としたギロチンの刃を凝視して。
首を失ったベルディアの体を見て。
びきり、と。
身動きひとつしない、擦り切れた亡霊たちの虚無の貌に罅が入った。
そして、あなたの手の中で処刑刃が静かに脈打った。
曲りなりにでも己の本懐を果たした事で武器に変化が起きたらしい。
あるいはヴォーパルという恐るべき首狩りの獣に使い続けられていた事も理由のひとつとして挙げられるだろう。
単にギロチンの刃を無理矢理剣の形に収めていたそれは、刀身全体に血管のような赤黒の線が走る、捻じ曲がった黒血の巨刃に変化していた。
まるでこれが本来あるべき姿とばかりにしっくり来る。
更なる呪いを帯びたギロチン剣から、不吉と恐怖の象徴、断頭台の刃が落ちる音が鳴り響く。
音を聞いた誰もが、自身の首が落ちるイメージを脳裏に焼き付けられた。
■
何かの引き金が引かれたその瞬間、ベルディアは、自室でのんびりと寛いでいた。
「ん?」
不意に、誰かの声が聞こえた気がした。
誰かが、自分の名前を呼んだ気がした。
誰かいるのかと周りを見渡してみるも、姿も気配も無い事に首を傾げる。
すると、なんとなく違和感を覚えた。首の様子がおかしい。
触れてみれば、生暖かくぬるりとした感触が手の平に伝わってきた。
「うわああああああ!?」
血である。
なんと、ベルディアの手の平には赤い血がべっとりとこびりついていたのだ。
見れば服も血で真っ赤に染まってしまっている。
だが肝心の首には傷も痛みも無い。
「こ、こわぁッ! マジで怖いっ!」
幸いにして吹き出た血は一瞬で止まり、ソファーや床が汚れることは無かった。
衣服は大惨事だが。
「怪奇現象が過ぎる! つーかよりにもよって俺の首から血が流れるとか、色んな意味で笑えない冗談すぎるだろ。アホアホ合体分離スキルの副作用か何かか?」
声色こそ冗談めかしたものだったが、彼の全身には悪寒が走り、あまりのおぞましさに顔は強く顰められていた。
彼は直感で理解していた。
今、自身にとって致命的な何かが起きかけた事を。
命と魂に不可逆の傷が刻まれそうになった事を。
モンスターボールの力をもってしても防げない、本当の終わりが寸前まで迫った事を。
死した者すら完殺する死神の鎌が目の前を通り過ぎていった事を。
身構え、最大の警戒を続けること暫し。これ以上は何も起きないと判断した彼は深く息を吐く。
「なーんかここんとこ、たまにだけどこういうワケの分からん予感というか、妙な気配を感じるようになったんだよな……」
具体的にはあなたがウィズを連れて竜の谷に向かってからである。
「中でも今回は特別ぶっちぎりにヤバかった。本気で死ぬかと思った。死んでるのに。ったく、あっちで何が起きてるんだか」
背筋を震わせ、テンションを氷点下に落としながら体と服を洗おうと風呂場に行くベルディアは知る由も無い。
今この瞬間にも、一時たりとも忘れたことの無い、しかし置き去りにしてしまった自身の過去が少しずつ迫ってきている事など。
かくしてまた一つ、運命が巡る。
遥か昔に終わった筈の物語の続きが綴られる。
世界のどこかでギチギチと音を立てながら、血で固まった錆の歯車が回る。
ただ一人、主演たるベルディア本人だけを置き去りにして。
■
異様な雰囲気に包まれる戦場。
アーデルハイドは相変わらず手出しすることなく、ただあなたと足を止めて静まり返った騎兵隊が対峙する形となっている。
ウィズもまたあなたの暴挙とも呼べる行動に困惑し、しかし問い質す事はせず、固唾を呑んで状況を見守っていた。
「a。あ、ア、,.ae」
副官だろうか、他より若干目立つ意匠の鎧を身に纏い、ベルディアの幻影に侍るように追走していた亡霊が不気味に痙攣しながら口を開く。
引きつったノイズ混じりの声が聞こえてくる。
「o m 、舞え、oマエ、オmaエ、おマえ――」
壊れかけた玩具のようにガクガクと震えながら、錆び付いた喉が不協和音を奏でる。
あなたの後方で、ウィズが驚愕に目を大きく見開いた。
「おまえ、オマエ、お前、お前、お前」
少しずつ言葉が明瞭になり、痙攣が治まり、亡霊の瞳に火が灯る。
だがそれは理性の光などではない。
煮え滾る憎悪という名の、暗黒の炎だ。
「――お前えええええええええええ!!!!」
血を吐くような殺意と狂気の絶叫。
あるいは絶望と悔恨の悲嘆。
激情は伝播するように一瞬で全ての騎士を染め上げた。
「やったな! やりやがったな! ソレで、よりにもよって、ソレで! あろうことか、そんなモノで!! 他ならぬ俺達の前で、やってくれやがったな!!!」
黒い亡者の全ての切っ先があなたに向けられる。
縋るべき最後の縁にして尊く儚き幻想を、因縁と怨恨の権化であるギロチンに再殺された怒りと共に。
「感じる、感じるぞ! 貴様から団長の残滓を感じる!!」
「よくも! よくも私達の団長を!!」
「殺す殺す殺す絶対にぶっ殺す!!」
「誰が許せるかよ腐れ外道が地獄に落ちろ!」
「楽に死ねると思うなあ!!」
戦場に無数の怒号が吹き荒れる。
だがあなたに全身に叩き付けられる殺意も憎悪も狂気も、人の域を出るものではない。
どれだけ束ねたところで断頭の獣、呪殺の黒翼、太古の魔竜、黄金の不死王といった強敵には遠く及ばず、あなたにとっては心地よい微風に過ぎない。
故に復讐に燃える亡霊たちを愚弄するように嘲笑したあなたは、ギロチンの代わりに取り出したダーインスレイヴを突きつけながら高らかに、そして朗らかに宣言した。
悪意と悲劇に翻弄された末に志半ばで非業の死を遂げ、死して尚悪夢を永遠に惑う哀れで惰弱な兵士達がこれ以上あんなゴミのような無様で不細工で薄っぺらい紛い物の木偶なんぞに縋らなくていいように、全員まとめて一人残らず本物のいる所に連れて行ってやると。
「――――!!!」
咆哮。
怒りの極点を超えて言葉すら失った黒騎士の群れが殺到する様を眺めながら、まったくもって自分はペットへの慈愛と思いやりに満ち溢れた最高の主人に違いないと、あなたは内心で自画自賛した。
今のあなたは友人とお楽しみの真っ最中。寝ぼけた雑兵に長々と構っていられるほど暇ではない。
それでもこうして少なからず労力を割いているのだから、全くもって完全無欠の善人すぎて世間様に申し訳なくなってくるくらいである。特にベルディアは歓喜に咽び泣いて然るべきだろう。
『邪悪ぅー!』
苦労人気質なあなたがやれやれと内心でわざとらしく肩を竦めていると、唐突にゆんゆんがモンスターボールの内側から大声で叫んだ。
『いやもう本気で邪悪すぎる。仮にも同居してる人にそっくりな顔をあんな躊躇無くぐしゃっとやりますかね普通? いやまあ、流石に何かしらの理由とか思惑があってやってるんだとは思います。思いたいです。うん、流石に。でも傍から見てると発言と行動がちょっと本当にやばいですよ。普通に趣味が悪いっていうか悪役や悪党通り越して悪です。邪悪の権化です。純粋悪です。悪魔も裸足で逃げ出すレベルですよ。ほら見てください、後ろでウィズさんもドン引きしてますからね』
完全無欠、天下無敵の善人(イルヴァ基準)であるあなたはゆんゆんの指摘を華麗に聞き流し、怒り狂う騎兵隊に向かってみねうちを乗せた六連流星を解き放った。
あなたは善良なのでベルディアのために不殺の剣で戦うという圧倒的不利を強いられる上級者向けの縛りプレイである。
『無視ですか。そして出た、全世界レギュレーションで使用禁止待ったなしな絶対に許されないし許されてはいけない吐き気すら覚える冷酷無情の暗黒奥義、残虐極悪外道技。殺さなきゃどんだけズタボロにしてもセーフだろ理論はほんとアレですよ、人としてダメです。彼らは死者ですけど普通に終わってます』
あなたは完全無欠、天下無敵、古今無双の超善人(ノースティリス基準)であるからして、ガチのトーンでボロクソにこき下ろしてくる毒属性弟子の言葉を華麗に聞き流しながらの信頼と安心の脳死ぶっぱ祭開幕など造作も無い。
凡百が使えば反動で全身の穴という穴から血液が噴出した挙句全身が骨折して肉体もミンチ一歩手前に崩壊するという、ダーインスレイヴが生み出した悲劇の原因の半分くらいはこれにあると評判の極悪必殺自爆技も、あなたにとっては霧払いに便利な攻撃技の一つに過ぎないのだ。
絶え間なく戦場に煌く閃光。
ノーコストかつノータイムでかつてない勢いで雑に連発される血塗られた魔剣の代名詞。
踊る白刃は無数の命で彩られた歴史を示すが如く無数の軌跡を描く。
そんなこんなで盛大にぶっ飛ばされる人馬の群れ。
あなたはみねうち以外一切の手心を加えていない。
ゆえに彼我の力量差を考えれば軽く百回はミンチを通り越して存在が抹消されるオーバーキル確定の超ダメージを叩き込んでいるわけだが、誰一人として消滅していない。即落ち二コマみたいな勢いで白目を剥いて痙攣しながら大地の熱烈な抱擁を味わっている。
あなたの健やかで快適な異世界生活をサポートする三種の神器ことテレポート、みねうち、クリエイトウォーターはいつだって絶好調。
繰り広げられるのは地獄絵図もいいところだが、自身を十全に使いこなしてもらっているダーインスレイヴの好感度ゲージは現在進行形でモリモリ上がっている。生みの親とも再会できて精神的に隙無しな清楚博愛銀髪美少女の満面のエヘ顔ダブルピースの幻影が見えてくる勢いだ。ゆんゆん顔負けのチョロQっぷりである。
ついでに愛剣の不機嫌ゲージも現在進行形でゴリゴリ上がっている。超絶不穏面青髪美女のダブルファックサインの幻影が見えてくる勢いだ。爆弾岩顔負けの地雷原っぷりである。
我慢の限界を超えてぶち切れモードになると手足が爆散する。誰の手足かというと無論あなたの手足が。
そうなる前に片を付けようと、あなたは掃除のペースを上げる事を決意した。
一人五連携、六連六連六連六連六連流星を解禁。
正しく銀の流星と化した廃人と魔剣が骸の大地を駆け抜ける。
『苛烈、残忍、惨酷!!』
ついでにゆんゆんが騒いでいたが、そろそろ相手をするのが面倒になってきたあなたはモンスターボールをウィズに預けることすら考え始めた。ここまで来ると逆に楽しんでいるのでは? と感じるくらいだ。
仮扱いであってもペットは主人に生殺与奪の権利を握られている。人権は無い。
■
二人の不死王は今起きている事に最大限の驚嘆を隠しきれなかった。
今、自分達は眩いばかりの尊い奇跡を目撃していると理解しているがゆえに。
手の施しようが無い筈だった。
辛うじて無貌になっていないだけ、決定的な破綻を来たしていないだけのガラクタじみた魂の残骸に過ぎない筈だった。
最早言葉すら解さぬほどに擦り切れ、神々や悪魔、不死王の力をもってしても強制的な葬送でしか救いを与える事が出来なかった筈の亡霊が、気が狂わんばかりの憤怒の元、現世に舞い戻ってきたのだ。
繰り返すが、これは紛う事なき奇跡である。
複数の要因によって本来であれば決して起こりえない事が起きた。
神器モンスターボールによってベルディアと魂レベルでの繋がりを有した者が。
生前のベルディアの命を奪った断頭台の刃を用い、デュラハンと化したベルディアを再殺する為だけに作られた呪われし処刑刀で、亡霊達の祈りと願いの結晶であるベルディアの似姿を斬首する。
これは亡霊達の尊厳と矜持と誇りを究極的に冒涜する、およそこれ以上は存在しないというレベルで最低最悪の行為である。
だが他の手段で彼らが覚醒を果たすことは無かった。
仮にベルディア本人と再会したとして、最良でも微かに残された人間性の欠片が顔を覗かせるだけで終わるという結果に終わっていただろう。
逆鱗という逆鱗を徹底的にぶち抜きまくったからこそ、彼らは怒りという極めて強い感情によって、自身の人間性を取り戻したのだ。
これを奇跡と呼ばずに何と呼べばいいのか。
「ショック療法、と呼ぶには趣味が悪いように思えるが。よほど彼らにとって見逃せない、決定的な何かを踏みにじったと見える。理解してやっているとしたら色々な意味で恐ろしいが……いや、あれは間違いなくこうなると確信してやっているな」
「いやまあ、私にも分かってはいるんですよ。彼は彼なりに親切心でやってるっていうのは。あえて誤解を招く言い方をしているだけで、本人に会わせてあげるっていうのも普通に言葉通りの意味でしかないんだって。実際ベルディアさんはアクセルにいますし、なんだかんだで誰も消滅してないですし」
それでもアーデルハイドとウィズは見解を同一にした。
すなわち。
「しかし、なんだな。自分を棚に上げた上で言わせてもらうが、奇跡という割には絵面が酷く邪悪だ。人間性が本当に終わっている。カスだ。あのゲヘナに正義も大義も持たないと言われるだけの事はある」
「やってる事だけ見るとちょっと言い訳出来ないくらいには魔王軍も裸足で逃げ出す極悪非道の卑劣漢なんですよね……もうちょっとこう、配慮というか、加減というか……無理ですよね、あなたはそういうとこありますもんね。知ってました」
並み居る亡霊を一人残らず徹底的に不殺の剣という名の荒れ狂う暴虐でぶちのめし、彼らの基点となっている朽ち果てた大剣を意気揚々とレアアイテムゲットー! と満面の笑みで回収する男の姿に、不死王でありながら根が善良で常識人である二人は揃って頭痛を抑えるように目頭を押さえ、それはそれは深い溜め息を吐くのだった。
■
「――まだ終わってねえぞコラァ!!」
黒い鎧を身に纏った一人の男が声高に叫びながら体を起こす。
全身がバラバラを通り越して無になったとしか思えない激痛を意思の力で捻じ伏せ、無理矢理気合いと根性で立ち上がる。
この程度、人生最悪の時と比べれば掠り傷みたいなものだと痩せ我慢しながら。
だが、しかし。
「え、は?」
男の眼前に広がっていたもの。
それは雲ひとつ無い青空と一面の銀世界だった。
赤い空と黒い大地が反転したような、冷たく静かな雪景色である。
「ドコなんだよ……ココは……」
意味が全く分からなかった。
困惑のままに周囲を見渡せば、仲間達が無様に雪の上に転がっている。
意識を失ってこそいるが、どうやら死んでいる者はいないようだと男は安堵する。
「いや、普通に全員死んでたわ。どこに出しても恥ずかしくない亡霊だわ」
ブラックジョークすぎてなんだか笑いがこみ上げてきたが、自分は明らかに錯乱していると自覚した男は地面の雪に頭を思い切り突っ込んだ。
「よし、ちょっと頭冷えた」
軽く頭を振って雪を落とすと、深く深呼吸。
肺を満たすのは冷たい、しかし清涼な空気。
久しぶりに呼吸をした気がした男は、少し離れた場所に建物があるのを発見した。
仲間達を殴ったり蹴り飛ばしたり雪に埋めたりして叩き起こそうとするも、誰も彼もが深く安らかな眠りに落ちている。
まるで残業徹夜は当たり前の三十連勤デスマーチ直後の休日といった有様である。
起こさないでくれ、死ぬほど疲れてるとばかりに、全く起きる気配が無い。ある意味死体以上に死んでいた。
いつまでもここにいても埒が明かないと男は一人で建物に向かう事にした。
どうせ死んでいるのだから、怖いものなど無いと。
「小屋かと思ったが、近づくと結構でかいな。館か?」
ややあって男が辿り着いたのは、雪の中にぽつんと佇む一軒の何の変哲も無い館。
これ以上ないくらいに怪しさが爆発していたが、少しでも情報が欲しい男は館の周囲を歩いて調査を始める。
建物は館だけで完結しているようで、物置や馬小屋などは見つからなかった。
窓は内側からカーテンがかけられており内部を窺う事は出来ない。
耳を澄ませても館内から物音は聞こえてこないし、中からは何の気配も感じられない。
「完全に無人、か」
安堵すべきなのか、落胆すべきなのか。
男は玄関の前で足を止めて思索する。
このまま入るか、仲間が起きるのを待つか。
「折角だし入るか。こちとらどうせアンデッドなんだ。今更失うものなんて何も無い」
「入るなら勝手に入っていいよ。鍵なら開いてるから。ああでも玄関で靴の汚れはちゃんと落としてね」
「!?」
計ったようなタイミングで中から声が聞こえてきた。
女、それも幼い子供の声だ。
予想外の事態に男の動きが止まり、ごくりと喉を鳴らす。
「そんな怖がらなくても、そっちが大人しくしてるぶんには何もしないから。でも家の中で暴れたら即八つ裂きにするから」
あっけらかんと放たれる殺害宣告。
物騒な言葉を受けた男は少しだけ安心した。
まともとは思えない場所にまともじゃない者がいるだけだと分かったからだ。
「……」
意を決して扉を開けた瞬間、温かい空気と、甘い焼き菓子の匂いが男を包み込んだ。
カチコチと時計が静かな時間を刻む、落ち着いた安らぎの空間。
子供が暖かく優しい両親の傍にいるような、ここは絶対に安全だと、そう思えてしまうような、胸をかきむしりたくなる衝動に駆られる場所。
男は不思議と崩れ落ちそうになる膝を無理矢理固定し、零れ落ちそうな涙を強く拭う。
「ようこそ、私のおうちへ。見ての通り手が離せないから歓迎はしないしお茶も出さないけど好きにしてて。お菓子はキッチンの戸棚の中。お風呂とトイレは左の奥」
そう言って男を一瞥する事も無く雑に応対したのは、赤い服を着た緑髪の少女だった。
男に背中を向けたまま、何か大きな板を見続けている。
「……君は、一体?」
「私はお兄ちゃんの妹」
「お兄ちゃん、とは?」
「私のお兄ちゃん。世界でただ一人の、私のお兄ちゃん。私たちの中の私だけが手に入れた、唯一無二のもの」
全くもって要領を得ない会話だった。
そもそも最初から相手に理解してもらおうとしていないのが手に取るように理解できる。
「話を変えよう。ここはどこだ? 君は何をしている?」
「さっきも言ったけど、ここは私の家。今はお兄ちゃんの超絶かっこいい活躍を見てるの」
「なるほど、全然分からん……すまないがもう少し分かりやすく教えてほしい」
「めんどくさいなあ。おじちゃん達がおじちゃんと縁のある人たちだって理解したお兄ちゃんは今にも消えてしまいそうなか弱いおじちゃん達を助けるために剣ごと四次元ポケットにぶち込んだだけだよ。おじちゃん達を本の中に呼んだのはこれから後輩になるおじちゃん達への私なりの心遣い」
そこまで言うと少女は以後うんともすんとも言わなくなってしまった。
これ以上は相手にしてられないとばかりに。
男としてはやはり内容の大半が意味不明だったが、少なくとも害意は無さそうであったし、何よりこれ以上踏み込む事にただならぬ不穏と不吉の気配を感じ取ったので、ひとまず大人しくする事にした。
ともあれ、自分達がここにいるのはこの少女が原因で間違いないようだ。
そう判断した男は仲間の下へ戻ろうとし、その前に少女が何を見ているのか気になったので後ろから覗いてみる事にした。
「……は?」
男の想像を絶するものが映っていた。
生まれて初めて見たのに、一目で天使と分かる、十三体の少女。
今まで遭遇してきたどの個体よりも強大だと分かる、巨大な悪魔。
男が誰より敬愛する存在に匹敵するであろう、超抜の英雄。
天高く舞い、地を睥睨する竜の群れ。
それらは等しく男と同じ亡霊であり、等しく顔を失っていた。
永遠に失われたはずの血の気が引いた。
恐ろしく、おぞましかった。
アレが男と仲間にとっての末路であると、理解できてしまうから。
そして、その時は決して遠くないのだとも。
だが、それよりも男に言葉を失わせるものがあった。
天魔が入り乱れる悪夢の如き無貌の軍勢を冗談のような圧倒的な力で蹴散らす、男と女の姿である。
とても現実の光景とは思えなかった。
「化け物かよ……」
震え声で呟くのが精一杯。
「お兄ちゃんだよ。これからおじちゃん達の飼い主になるんだから、ちゃんとそのつもりでいるように」
「アレがお兄ちゃんなの!? てか飼い主!? 嫌だよ!? 超嫌だよ!? 絶対嫌だよ!?」
「でもおじちゃん達全員、お兄ちゃんに喧嘩売ったじゃん」
「何それ知らないんだけど!?」
「ボコボコにされて記憶飛んだのかもね。百回死んでも足りないくらいのダメージだったし。まあ負けたんだから素直に土下座してお兄ちゃんの足を舐めなよ、いい年してみっともない」
「そりゃそうだろうよ! あんなのと戦ったらアンデッドでも余裕で死んじゃうよ! こちとら強くても一般兵やぞ! とにかくアレが飼い主になるのは勘弁してくれ本当に! また死にたくねえよ!」
心の底からの叫びだった。
敬愛する男以外に傅く気は無いとかそういう問題ではない。
なんかもう、あんな見ているだけで頭が狂いそうな超存在に正面から向き合いたくなかったのだ。
「じゃあ一回死のうか。心配しなくてもそのうち慣れるから大丈夫だよ」
絶対零度の声。
不意に男の視界が傾き、床が目の前に迫ってくる。
「全く、弱いくせに我侭ばっかりなんだから。でも私は優しい先輩だから許してあげる。ベルディアおじちゃんの苦労が偲ばれるってもんだよね、お兄ちゃん?」
最後に聞こえてきた、絶対に聞き逃せない、呼ばれるはずがない名前。
反射的に声を出そうとした瞬間、首を断ち切られた男の意識は断絶した。