女の母国は日本ではない。
東京在住の女性A様から「親から莫大な遺産を引き継ぎ、働かなくていいだけのお金があるのだけれど、仕事をしていないと不安で、仕事は好きではないのだけれど仕事を失うのも怖くて、仕事中毒みたいになっている」と連絡をいただいた。いろいろと話している中で、私は、A様に「どこか行ってみたい場所はありますか?」と聞いた。A様は「高知にあるむろと廃校水族館ですが、車がないと行けないのです」と言った。私は「本当に行きたくなったら、俺が運転します」と言った。
数週間後、A様から「仕事をやめてやりました。航空券を取りました。ホテルも取りました。一緒に高知に行きましょう」と連絡をいただいた。私は「おお」と思った。仕事をやめるようにけしかけてしまった手前、精一杯のホスピタリティを発揮してA様をアテンドしようと思い、いろいろと準備をした。高知空港で合流し、こんな場所もありますし、こんな場所もありますよと提案をしたが、A様は「私は体力がなく、食事も機内で済ませたので、今日はゆっくり休みたい」と言った。
正直が一番。あれこれやるのもよいが、室戸一本勝負であとはのんびりするのも間違いじゃない。暇になった私に、女性I様から「話したい」と連絡が来た。女性からよく聞く言葉に「喜怒哀楽を感じるのにタイムラグが発生する」というものがある。その場ではなんとも思っていないのに、家に帰ってから「本当は嫌だった」とか「本当はムカついていた」と思う。男性とのパートナーシップがうまくいかないとか、感じていることを感じないようにしているという意見も、頻繁に聞く。
英語を話せない人が、海外に行き、英語で自分の気持ちを表現しなければならないとなったら、多くの人がモヤモヤすると思う。日本語なら言えることも、英語だと言えない。本当はこういうことを言いたいのに、言葉を知らない。言葉が出てこない。本当はあるのに、あるものを出せなくて、ないことになる。極端な話かもしれないが、女性にとって、日本語は母国語ではないのだと思う。言葉は、男が作ったものだ。女は、それに合わせてくれているだけ。言語化が大事だとか、コミュニケーションが大事だとか、私には「本当かな」と疑ってしまう部分がある。それよりも、内なる母国語に耳を傾けることの方が、大事だと思う。
コミュニケーションとおしゃべりは違う。コミュニケーションは、仕事や家事などタスクを抱えた時には必要だが、相手と向き合っているために衝突しやすい。綺麗な風景を見たり、一緒に食事をしている時は、向き合うのではなく「お互いに同じ方向を見つめている」感覚がある。同意や、共感が、メインになる。同意や共感がないまま、現実だけが慌ただしく過ぎ去っていくと、心が枯れる。心が枯れた悲鳴が「タイムラグが発生する」とか「パートナーシップがうまくいかない」とか「感じていることを感じないようにしている」とか、声にならない声をあげているのだと思う。男に合わせるだけではなく、時には、女から「私に合わせろ」と言うことも、大事なのだと思う。男も、言葉にしてくれと思うだけではなく「女が発している体の声に耳を傾ける」ことが、大事なのだと思う。これから、むろと廃校水族館に行く。
おおまかな予定
11月6日(水)高知県室戸市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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