236.非道王女は合流する。
「お…おい!待ってくれ‼︎」
タンタンタンタンと護衛の騎士を連れながら足早に去っていく小さな背中を追い掛ける。俺が声を上げてもその背中は止まることなく城内へと進んでいった。
俺が呼び止めようとする姿に、周囲の衛兵が彼女を引き止めるべきか戸惑うように俺と彼女を見比べた。だが、俺が構わず下がれと手で命じれば衛兵は下がり、そのまま彼女はその小さな足で通り過ぎていく。
白く細い腕を前後に振り乱し、一つに束ねたウェーブがかった金色の髪を振り乱す彼女は
ティアラ・ロイヤル・アイビー
俺の二つ下の第二王女。あのプライドの実の妹だ。
「待ってくれ!俺がお前っ…貴方に何をしたと言うのです⁈」
思えば、今まで彼女とは殆ど会話を交わしたこともなかった。言葉を整え、そう叫べば彼女の足が床を大きく踏み鳴らしてから止まった。
『…勘違いしないで下さい。お姉様にやったことが全部許されたわけじゃないんですからね』
俺に言葉を与え、門の向こうへ去って行ったプライドに何も言えず見送ることしかできなかった俺に、ティアラ王女はプライドとステイル王子を見送る為の笑顔のまま、口元だけでそう囁いた。
『例えお姉様が許して下さっても…』
一瞬、彼女の言葉かどうかも疑った。今まで彼女から俺に話し掛けてきたことなど初めて会った日以外一度もなかった。だが、顔を向ければ確かにその言葉は蕾のような彼女の唇から紡がれていた。そして、門が閉まりプライド達の姿が完全に遮断された途端。堰を切ったように彼女は俺の方に振り向き、全身で怒りを表すように声を荒げた。
『私はっ…大嫌いですから‼︎』
何故、突然そんなことを言われたのかもわからない。確かに俺はプライドに多くの無礼を犯した。彼女だけでなく、ステイル王子や近衛騎士達にもそれで未だに警戒されていることも自覚している。…その上で、我が国の為に動いてくれていることも。
だが、彼女自身に俺は何をした?
「ティアラ第二王女殿下!」
追いつき、声を上げる。彼女の真後ろまで到達してから立ち止まれば、小さな両手の握り拳を震わせた彼女が勢い良く俺の方へと振り向いた。
怒りで顔を紅色にした彼女は、唇を歪めるように強く結び、柔らかい筈の目元を限界まで吊り上げていた。
今にも再び声を荒げたい気持ちを抑えるように上目で俺をじっと睨み、そしてやっと口を開いた。
「しま…ッたくさん、しました‼︎」
はっきりと軽やかな声が俺の脳天を殴るようにぶつけられた。…これは『貴方に何をした』の解答か。不思議と冷静な頭でそう思えば、ティアラ王女は未だ言い足りないといった様子で再び声を張る。
「お姉様はっ…プライド第一王女は、私にとっても兄様にとっても騎士の方々や我が国の民にとっても、すごくすごく大切な御方なんですっ!私にとっても大事なお姉様で、私にとって大事な人達にとっても大事な方なんですっ!なのにっ…‼︎」
まるで今まで堪えていたものがはち切れたかのように声を荒げる彼女は、それでも残りを飲み込むように再び口をぐっと引き結び…最後にもう一度だけその小さな口を限界まで開けた。
「ばかっ‼︎甘えん坊‼︎」
…それを叫んだ途端、ティアラ王女は己の発言に取り乱したように両手で口を押さえた。そのまま更に顔を赤色に染めると、今度こそ振り返ることなく駆け足でその場から去っていった。
どうやら、俺個人への敵は思ったよりも多いらしい。
小さくなっていく背中を止まった足で見送りながら、そこまでを理解した。その途端、ティアラ王女の先程の言葉と…以前プライドに浴びせられた言葉が重なった。
『大ッッッッ嫌い‼︎‼︎‼︎』
…女に、他人に直接嫌いなどと言われたのはこれで二度目だ。
一度目がプライド。二度目がティアラ王女。
そのような言葉を直接言われた事など一度もなかった。
なのに、この数日で二度も浴びせられるとは。しかも、同じ王族の姉妹揃ってなど。
…プライドの、強さが羨ましかった。
何故、迷いも無くあんなことをできたのか。
守られるばかりの俺とは違う、あの強さがただひたすらに眩しく思えた。
『貴方も。…今度は出し惜しみなんてしては駄目よ。』
あの言葉の意味は、何だ。
単に、初めて会ったあの日の俺の愚行を窘めているのか。それとも…。
「出し惜しみ、か…。」
…俺に、何ができる。
自身の拳へ視線を落とせば、ただ無力な手だけがそこにあった。
何度も掴み取られることはあっても、己からは掴めたことなどない弱者の手だ。
例え今、俺が何かしらの覚悟を決めようとも明日には間に合わない。
それだけ俺は怠惰を続けたのだから。
…どうせもう、届きはしない。
……
馬に揺られ、国境を越える。
城下を通り過ぎ、見るのも二度目となる城へと辿り着けば城門より先にそこには多くの馬と兵が立ち並んでいた。…私達を迎えに来てくれたのだ。
そして、その先頭の馬に乗り私達を見据えている姿は。
「…待たせたな、ヨアン。」
「僕の方こそ。」
ヨアン・リンネ・ドワイト国王。
チャイネンシス王国の国王が、その線の細さを補うようにして鎧を身に纏い、そこにいた。
以前お会いした中性的な印象が嘘のように、男らしく凛々しい表情と姿だった。
馬に乗ったまま、ランス国王はヨアン国王の隣まで馬を添わせると拳を軽くヨアン国王の肩にぶつけた。鎧同士がぶつかり、カンッと軽く響いた。
「元気そうで安心したぞ。あれから少しは眠れたのか。」
「少しね。君こそ、ちゃんと休んだのかい?」
俺のことは気にしなくて良い、と言いながらランス国王が息をつくのを見て、私もヨアン国王の顔色を覗けば確かに昨日よりも血色が戻っているようだった。
昨日の映像で再会した時もそうだったけれど、二人とも意外と落ち着いていた。会話もまるで久々に会っただけくらいの感じで。あんなにお互い心配していたとは思えない。
そこまで思った後、間近で二人の様子に目を凝らしてから直ぐに私は思い直した。…ただ、今は国王として感傷を抑えているだけなのだろうと。その証拠に柔らかく笑むヨアン国王も、その肩に拳を当てたランス国王も、……少し手が震えていたから。顔色の良くなったヨアン国王だって、よく見れば細縁眼鏡の奥が若干潤んでいる。
喜べるわけがない。まだ、何も守れた訳ではないのだから。
これからの戦で、チャイネンシス王国が属州になってしまうかもしれない。ヨアン国王が命を落としてしまうかもしれない。
サーシス王国が巻き込まれ、共に属州にされるかもしれない。折角、乱心から目を覚ましたランス国王が今度こそ死んでしまうかもしれない。
国王として、安易に一喜一憂はできない。
全てが終わるその時までは。
すると、ヨアン国王が不意に私の視線に気がついたようにこちらへ顔を向けてくれた。生気の戻った中性的な顔が向けられ、一瞬どっきりする。それに釣られるようにランス国王も私の方を小さく振り返り、笑った。
「ヨアン、一度お前もお会いした後だろうが紹介しよう。我々の援軍を受けて下さったフリージア王国の第一王女。プライド・ロイヤル・アイビー殿下。そして横に御坐すのがステイル・ロイヤル・アイビー第一王子殿下だ。」
そのまま流れるようにランス国王が騎士団長のことも紹介してくれた後、私達からも改めて挨拶をする。ヨアン国王はじっと私へ注視した後、その口で「プライド第一王女殿下…」と呟いた。笑みを浮かべていた筈の中性的な顔が引き締まる。
「ヨアン国王陛下。…共に生き抜きましょう。」
馬ごと近づき、手を伸ばす。すると、すぐにその手を受け取め握ってくれた。鎧越しにしっかりとした力強さを感じ、やはり男性なんだなと失礼ながら改めて実感する。
ただ、その後すぐに目だけでチラリとランス国王を見てから私へ視線を戻し、問い掛けるように熱を込めた。…ランス国王には血の誓いについて話しているのか、と聞きたいのだろう。私が表情を変えずに握る手の力を強めると、察したように一度目を伏せ、息を吐いた。
「大丈夫です、ヨアン国王陛下。…我々は絶対に負けませんから。」
そう言って笑ってみせれば、ヨアン国王が顔を上げてくれた。少し驚いたような表情をした後、私が視線で我が騎士団を指せばじっとそちらを見つめ、…やっと柔らかく笑ってくれた。
「では、急ぎ騎士と兵達を各配置につかせましょう。もう明け方まで時間も迫っています。その間に各隊も作戦確認と洗い直しをしておきたいでしょうし。」
ステイルが声を掛けてくれ、私達もそれに頷く。これから、私達はまた通信兵をそれぞれ連れながら各自分かれることになる。
通信兵で繋がりながら連携を取り、確実にチャイネンシス王国を守り抜く為に。
夜が明ければ、それが決戦の合図になる。
…そして、明朝防衛戦。それは私の予想を遥かに上回るほどに
戦況が、変化することになる。